(アダムの創造は六日目に行われた猫と共に)
月曜日に昼と夜を造り
火曜日に空(天)を造り
水曜日に海と大地を造り
木曜日に星たちを造り
金曜日に魚と鳥を造り
土曜日に獣と家畜と人を造った
『アダムの創造』は
天地創造の六日目のことです
七日目は神様も疲れておやすみにしました
だから日曜日という安息日が出来たのです
旧約聖書の話よね
世界中が天地創造の一週間のサイクルを実行してるが
人間のサイクルと神様のサイクルは違うんでないの?
5日に一度の日曜日とかで良かったかも
神様より人間は疲れやすいかも知れないっしょ
世界中がアイラブユーじゃなくて
世界中が旧約聖書にのっとって生活する
ああ1っしゅうか~んて
トゥリャトゥリャトゥリャリャ~
トゥリャトゥリャトゥリャトゥリャリャリャ~
そんなざれごとはおいといて
写真はミケランジェロの「アダムの創造」
システィーナ礼拝堂の天井画の一部です
神様が脳みそをアダムに送り込んでいる所を
描いているらしい?
指先から脳みそを?
あんたもうちょっと品よくね、生命の源とか
知恵の素(味の素じゃなく)とかなんか
いいかたあるっしょ・・・うんそうね
なんでこの絵「アダムの創造」の話かっていうと
先日テレビで見たイラン映画レザ・ミル・キャリミ監督の
『こんなに近くこんなに遠く』って作品のラストシーンが
この絵をイメージさせる映像だったのでね
父と息子の話なのだけど、巡礼の旅?の話でもあるかも
すごく印象的なラストなので、これはおススメの一本です。
さっき白猫がガラス戸にイモリのように張り付いていた
勘弁してくれ、お前達も巡礼の旅に出ろ~
白猫よ?しかしお前はもしやプシケの生まれ変わり?
そっくりだよ・・・。
父が一歳の時に亡くなったおかげ?でるるは
物心ついた頃からの生粋の筋金入りの鍵っ子であった
幼稚園前後は母が会社に出かけている間
住んでいたアパートの隣りの家で入り浸って遊んでいた
親切な優しいおばさん達がいたのである
昔はそんな感じよね、近所付き合いがね
子供を育ててくれる
夏休みはほとんど祖父母の家に居て
やっぱり祖父母と伯母伯父達にお世話になっていた
小学生になると学校から我が長屋に帰って
鍵をあけて、近所の市場に買いもんかごさげて
食料の買い出しに行くのが日課となった
晩ご飯は三つ半年上の姉がメインで支度をして
二人で食べる事も多かった
ある日そんな鍵っ子小学生のるるは
母に自分で世話をするから猫を飼わせてくれと頼み
おばあちゃんちから一匹子猫をもらって飼い始めた
祖父母の家は浄土真宗の寺で広い庭があり
庭から土間の台所には出入り自由な村の猫達が
かってに住み着く場所がたくさんあったから
いつも猫がいた、寺に捨てに来る人もいた
もらってきた猫はプシケと名付けた
しっぽと耳の付け根に黒い毛が少しあり
それ以外は雲のように真白い猫だった
そいつが毎日るるが学校から帰ってきて
玄関の鍵をカギ穴に差し込むと
すぐに玄関に飛んで来ては、にゃあご、にゃご
とお出迎えである
そりゃ暗い部屋に半日閉じ込められているから
当然である、あるが、るるは出迎えのある家は
いいもんじゃ~ねと満足げにうなづいた
だからプシケは所謂るるの妹分であった
夏休みおばあちゃんちにプシケを連れて滞在し、
寺の庭で放し飼い状態で過ごしたら、プしケは村猫にやられ
妊娠猫となり家へ帰ってしばらくして押し入れで子供を生んだ
このときるるは初めて生き物の生態をじっくり勉強したのだった
子猫はおばあちゃんちに連れてってかつおぶしを付けて
近所で飼い主を探し里子にだした
その数年後プシケは姿を消した
寿命を悟って消えたのかも知れない
そのプシケによく似ているのだ
新三獣士の中の白猫君がね
それで思い出してしまったのさ
おまいさんプシケ再来ということでサイラと名付けよう
あとはオマケとグリコにしとこう
神が人をつくりアダムとイブと名付けた
三獣士たちも名前があるほうがうれしかろ
だが早めに巡礼の旅にいってくれ
どうやらここの他の住人達も猫嫌いらしい
ジプシー猫たちの安住の地はどこにあるのか
造りっぱなしの神様に聞いてくれ
(今は亡きプシケ(左)と新3獣士のサイラ(右)よ、似ている・・・尼寺へゆけ~)