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(春眠暁に死す惰眠むさぼらず道端のすずらんをごらん)
つきー おちーぃ~~
からすー ないてーぇ~~
しもーぉ てんにーぃ~~
みつーぅ~~う~う~う~
て吟じてみた
なんのことかというと
婆ちゃんの想い出のうたですわ
母の母は詩吟をやる人だったので
小さい頃
祖母の家に入り浸っていたるるは
その詩吟の発表会とやらに
連れてってもらったりして
舞台でよく通る良い声で
漢詩を吟じる婆ちゃんを見て
真似をして覚えた詩が
この
『つきーおちーからすーないてー』
(月落ち鴉啼いて)
なのである
馬鹿の一つ覚えで
こればっかり真似していたのだ
何ゆえこのフレーズが気に入ったのだろうか
わからない
小さい頃はおちゃらけ娘であったので
兎に角
すまして映っている写真が無くて
カメラを向けられると大抵変な顔をするし
よく歌を歌っていたので
まあ詩吟も演歌みたいなもん
と思っていたのやろうね
祖母は90歳頃まで生きたから
まあまあ長生きしたと思う
お葬式には沢山の詩吟の友達が
お別れの詩吟を披露された
お寺の境内の灯籠の間に
声が響き渡っていた
そうそう
響き渡るといえば
西本願寺からお坊さんが10人くらい来ていて
村中に響きわたる お経の合唱も聞いたし
ちょっと信じられないくらい
賑やかなお葬式やった
まあお婆ちゃんらしいともいえたが
祖母は昔は ええとこのお嬢
だったらしい
良家の子女じゃね
実家は池を借景にした大きなお屋敷だった
と母が言っていた
代々の家系図とかもあるような
由緒正しきってヤツだね
母が小さい頃
婆ちゃんの和ダンスの中の
沢山の着物や刺繍の半襟の豪華絢爛な
美しさにうっとりして
値打ちの分からぬ小さい母は
その一部を遊びに使い
切りちゃんちゃくにしたことがあるとか
言っていたような気がする
まあそんな宝石箱の着物類も
戦争やなんやで食料に替わっていったらしい
惜しげなく家族の為に放出していたらしい
お嬢で育った人はかえって貧乏に強いのかも知れんな
執着心があまり無いのは育ちのせいかも
祖母は人にプレゼントというか
物をあげるのが好きで
よく押し入れからなにかだしてきては
「これ持って帰り、あれ持って帰り。」
と来る人に渡していた
歌が好きで
よく素人のど自慢や
素人名人会(西条凡児司会だったよ)ふるっ
をテレビで見ていた
るるも一緒に横で見ていた
婆ちゃん家(浄土真宗の寺だった)に
休みごとに入り浸っていた小さい頃
祖母は和裁を教えていて
寺には嫁入り前の若い娘さんたちが習いに来ていた
一緒に住んでいた一番末の伯母さんも
お茶とお花を教えていたから
嫁入り前の若い娘の出入りが多い
はなやいだ時期があった
小学生のるるはうろちょろとその周りを
じゃましつつ遊んでいた
習っておけばいい嫁になれたかも知れぬなあ
と思うが~まあそんなもんでしょ
後で気付くのよね 色々とね
まあ作法は出来ぬが
お抹茶は上手に点てられるのよ
手首のスナップが結構イケテルからね
すばやく手ばやく細かく振動させるのよ
茶せんをね 茶碗の中でね
ふわっと 細かい泡が出来てね
おいし~ オイシ~のよ
伯母さんにポイントだけね 教わったしね
ああ~ お抹茶飲みたくなってきた
おこい茶にこんぺいとうころりん
おうすに菊花饅頭
満開の桜の花びらが風に乗って
開け放たれた障子の間から
縁側をす~と滑って
畳にほろほろ
模様のように散り染めて
懐紙の上のお茶菓子や
抹茶碗のうぐいす色の泡の上へ
着地して
桜の花びらごといただきます
なんて
よか風情やねと
るるの中の日本人は思うのだった
出来れば死ぬまでに山か海か池を借景にした
寝殿造りの家で桜満開の春に
花びらをあつめ床に敷き詰めて
その上で春の宴を開き
酔っ払ったら
桜の花びらにまみれて寝る
ふんふん どや?
まあそんな桜花夢はおいといて
月落ち鴉啼いて
の話に戻るけど
この詩は中唐の詩人の作なんだけど
最近まで知らなんだのよ
でまあ婆ちゃんの思い出として
これは知っとかなあかんがなと思い
調べてみたがな
「楓橋夜泊」(ふうきょうやはく)
張 継(ちょうけい)作
月落ち烏啼いて霜天に滿つ
江楓漁火愁眠に對す
姑蘇城外寒山寺
夜半の鐘聲客船に到る
つきおちからすないて しもてんにみつ
こうふうぎょか しゅうみんにたいす
こそじょうがい かんざんじ
やはんのしょうせい かくせんにいたる
月は冴えて水の面に映り、烏がないて、
霜の気配が天に満ちている。
川岸のかえでの間には、いさり火が点々として、
旅愁のためにうつらうつらとして眠れない私の目にうつる。
そんな折、
姑蘇城外の寒山寺から打ち出す夜半を告げる鐘の音が、
私の乗っている旅の船にまで響いてきたのであった。
というような意味らしく
なかなか好ましい旅情の詩であったのです
楓橋というのは
江蘇省蘇州の西にあり南北往来の要路だったらしく
寒山寺は蘇州の西郊楓橋の近くにある寺
唐の詩僧寒山が住んだことから名づけられたのだそう
同じ楓橋とカラスと寒山寺が出てくる詩をみつけた
こんなのですわ
重ねて楓橋に宿す <張 継>
かさねてふうきょうにしゅくす <ちょうけい>
白髪重ねて來る 一夢の中
青山改まらず 舊時の容
烏啼き月落つ 寒山寺
枕を欹てて猶お聽く 半夜の鐘
はくはつかさねてきたる いちむのうち
せいざんあらたまらず きゅうじのすがた
からすなきつきおつ かんざんじ
まくらをそばだててなおきく はんやのかね
意味はね
しらが頭になってふたたびこの地を訪れたが、
実に夢の中にいるような心地がする。
まわりの山々は変わり無く昔のままの姿である。
烏が啼きながら寝ぐらに
急ぎ冴えた月が水の面に映るころ、
寒山寺から打ち出す夜半の鐘の響きを
枕を傾けてしんみりと聽きいったのである。
(関西詩吟文化協会漢詩紹介参照)
というわけで
母の母、祖母、婆ちゃんのことを思い出して
風流にひたってみたのです
蘇州に行ってみたいと思いました
楓橋まだあるかいな
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