RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

父とアマデウスの父の命日に言葉供養

2007-05-23 21:57:48 | 超おすすめ

(日焼けちまった悲しみに、今日も埃の降りかかる・・・古い本)

伊藤静雄全集という本がうちの本棚に、入っている
かなり古びて色も焼けているが、詩や散文、日記、書簡を
一冊にまとめた本で、持ち主は母である。
その書簡の一頁に栞が挟まれている、何故なら
その書簡集の中の知人に宛てた葉書の文の中、ある同人誌の詩を
彼が褒めている一節に、父の名が他の数人と共に並んでいるからだ

伊藤静雄は昭和28年3月12日に結核で亡くなったが
父と母は彼が亡くなる前に二人で国立病院大阪長野分院に
お見舞いに行ったと、母が話していた。
裸電球の暗い病室であったと言っていた、享年48歳だった
父もその数年後、彼よりもっともっと若くで彼と同じ病で亡くなった。

母にいわせると、もともとガッシリとした山男の父が
病気になったのは戦争にいき、栄養不良で疲れ果てて戻ってきた為で
「戦争に殺されたのと同じよ
と言っていた。
祖父は当時高価だった結核の特効薬ストマイを手に入れるのに
大金をはたいたらしい、けれど結局、乳飲み子2人(るると姉)残して逝った。
るるが一歳の5月のことである、だから父の記憶は無い、

薬学部を出た父は、確か製薬会社の社員?だったと聞いたことがある
写真でしか知らない父だが、父が亡くなった後に
母や父の妹達が父の遺詩集を編んで近しい人達に配った
その小さな本が残されているから、るるにとって父というのは
この小さな本かもしれない。

その中でもるるが一番好きなのが
「愛の悲歌(エレジィ)」という詩である
父が20代の頃に作った詩で、50数年前昭和の初期の香りもする。
この詩を読むとなんとなく気持ちが安らぎ
まあるるにとっての精神安定剤と応援歌というところかな
4~5年前から1年に1度このるるの応援歌を誰かに読んでもらい
命日の言葉供養にしている
だから今年までに4人に供養してもらったことになる
今年はこの際「50回忌供養」ってことで載せちまおう

ちなみにモーツアルトの父、レオポルドの命日と同じ
5月28日である
まあその220年の後だが

大阪へ墓参りに行こうと思う
15~7年ぶり?くらいの墓参りである
25日から数日大阪にいます。
しばらくブログ更新できないかもしれませぬ。

ちなみに今日はキスの日らしい
1946年「はたちの青春」で初めてのキスシーン登場
皆様に愛を込めて
るるの応援歌と接吻を




愛の悲歌(エレヂィ)Ⅰ
                        

人の心を氷らせた
寒冷の氷雪を
誰が暖めて融かすのだろう。
深く閉ざした
憂鬱症(ゆううつしょう)の孤独癖を
誰がどうして開かし得るのだろう。

豊かな愛の情操の故に
融けた一滴の水滴にすらも
人はどうして
疑惑の目を向けるのだろう。
猜疑(さいぎ)は愛を異端と呼びかけ
罵り謗(ののしそし)りそして嘲笑を送る。
けれど
誰も知らない
万年雪の下に集結して
雪解けの凍えた水が地中に潜り
何時か清冽な流れとなって
山合いの町々を流れ 
ああ しかし
ひとは誰もひとの内部を流れゆく
清純の地下水を信じはしない。
寧(むし)ろ弱々しい馳走(ちそう)を信じ
ひとさまざまの悲しみを悲しんだり
ひととりどりの喜びを歓んだり
その水に浸って生長した
春の花のみを信じている。
どうしてひとは
知ろうとする努力に
億劫(おっくう)がることだろうか。

愛は無限の息吹きを注ぎ
悪魔はふと誘惑の陶酔を吹きかける。
誰も這入り得ない
ひとの内部の
深い孤独に堪えて
愛は無心にその微笑を繰り返す。


   愛の悲歌(エレヂィ)Ⅱ


陰鬱(いんうつ)な曇天(どんてん)は
耐えがたいほどの寂寥(せきりょう)を誘い
何処かで誰かが呼んでいる
そんな郷愁の唄声は
静かな部屋を氷らせる。

静かに室内に坐して
灯もともさずに暮色(ぼしょく)に親しむ。
もう総てのものは定かでなく
十分に見分けもつかない。
・・・・ものらは
哀しい放心の室内に
黙って融け込んで行ったりする。

この静寂に
・・・・人は喋らない。
何が 人に
ある種の孤独を伝えるのだろう。
そして人は
人を憎んだりしない。
まして侮蔑(ぶべつ)の目を送ったりはしない。

やがて人の子は
愛の重荷に耐えかねて
心の暖まって来る暗さの中で
触らないで
そっとして置いて欲しいと思う。


    愛の悲歌(エレヂィ)Ⅲ


愛は透き通った水晶の結晶を秘めて
追憶の影絵を重ね合った美しい光りを誘ふ。

静かな円を画いた一つの波紋にしても
幾許(いくばく)かの小さい輪を重ねては
貧しい愛の営為(いとな)みを
何処までも限りなく広げてゆく事だろう。
そんな小さな輪の数々を廻って
人は虚しい愛の炎を
一年も十年も或ひは永却を信じて
密かに燃やし続けるのだろう。

酒場では暗くても
シャンペンが泡沫をあげ
音をたててかすかに無理な微笑を喜ぶ。
それも青いピエロの健康を
祝したなりに
汚れた世相と穢れた季節に
こつこつと墓石を彫り碑銘(ひめい)を刻む。

信じてはいけないものを信じた人々に
風が冷えた地上の
地獄絵図を煽り
風を孕(はら)んだ雨に古ぼけた街は
薄ら淋しい墨絵の中にとけて
    
   幾人(いくたり)かの女(ひと)が
   せつない愛に恍惚(こうこつ)と
   歩みを止めて
   見とれるシャンデリア

眺める潤んだ瞳に罪があろうか?
唯 哀愁が宿り色彩を放つ。

やがては旅愁を噛(か)んで
歌唄う人の心に鳴り響く
郷愁の調べはせつなく
人は人を慕って噎(むせ)び泣きを映し始める。
遠く 何処か
星の流れる夜の中空に
冴々と青褪(あおざ)めた半月がかかって
跡形もなく一つの魂が消え失せる。

けれど人は最早その先を進まない。
刹那(せつな)は永遠に通じて
悲しみは犠牲を乗り越え愛に深まる。
深まる一すぢの澄んだ愛に
静寂の季節が呼びかけ
黄昏の彼方に沈んだ幾つかの憎悪
それすら
その時は果しもなく遠く滑り
この際限もなく愛情を注ぐ
白い窓々に
そして窓際の白い壁に
純真に投げられ
他愛もなく揺れている
唯一輪の花 紫陽花(あじさい)の淡い影。
影は仄かに弱く
遠い夜景の電柱の下に
濡れた街路樹がしんみりと
その明暗の境を閃いて揺れている。

ふと隙間もる風の冷ややかさに
神は信じなくとも
人々のよさは信じていようと思う。
そして又
明日の暁雲(あかつきぐも)の美しさを
あの薔薇(しょうび)の朝(あした)を
唯 信じていたいと思う。







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