東京都の社会保険労務士のデイリーブログ 

東京都港区の社労士ブログ!人事労務から様々、ワンポイントレッスン

日本に向かう中で

2018-10-19 21:46:52 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士の頼木優子です。

日本に戻り、今日はオーストラリアからの帰りの空港内での、一幕をご賞味あれ。
▲ブリズベン空港内にて。

今月の16日日本への出発の日、ホテルから乗り合いバンに揺られ空港に着いたのは、そう、早朝7時前後。チェックインを済ませ、ぶらぶらとゲートに向かい、ゲート前出発ロビーに着いたのが8時前後。

ボーディングタイムが8時50分でしたから、飲んだり食べたりそうこうしているうちに、ロビーは人でむせ返るようになり、女子トイレ前には長蛇の列ができていました。

娘がその列に並び、私も娘から2人間に挟み並びました。私と娘の間には、日本人の親子がいて親は65歳過ぎ、その娘さんももしかしたら私と年が近かったかもしれません。

トイレ内は、便器のブースが2つしかなく、それが混雑している所以でした。娘は始めからうんちがしたいとのことで、ブースの片方に(私がトイレを後にするまで)雪隠(缶)詰め、残った一基を先の親子が順に使用し、その後私の番がきました。

すぐ前に入った先の娘さんが、通り過ぎながら私に一瞥(いちべつ)をくれ、何気に気に止めず入ってみると、彼女の残した床に帯びたたしいお憔悴とそれによる便器も水浸し。

私は手荷物に、娘のリュックと自分の大きなリュックを背負い、エコバックの大きめのものを二つ、そしてショルダーバックを肩にして。

つれなさを感じつつも、後に利用する方が困らないように、便器から床に至るまで丁寧にトイレットペーパーで拭き上げ、後にしましたが、ロビーに戻ってから、こんなことを思っていました。

NZ留学時代、少なくとも私のいた高校は公立高校でしたが、こんなことは一度たりともなかったと。これはひとえに先生方が陰でいろいろ見守ってくださっていたからかなって。

べブ先生も、S.B先生も、J.S(G)先生も。そんな先生方の人懐っこい笑顔が心に浮かんでは消えて。機内に乗り込んでも、涙がただ、もう止まらなくって。べブさん、本当にありがとうございました。

東京都の社労士「頼木優子(Yuko Yoriki)」でした。





豪国行きの中で

2018-10-19 20:35:59 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士の頼木優子です。

実は、日本に戻っていま~す!! 今日は、先日のオーストラリアへ行きの飛行機内での一幕について、書きたいと思います。

11日の日、飛行機に乗るため、指定のゲートに着くのが若干遅くなり着いた時には、すでに多くの方が飛行機に乗りこんでいる最中でした。

慌てて、エコノミークラスのシートに着いて、手荷物を頭上のロッカーに入れようと見上げると、座先最寄を始めロッカーがすべて満杯。

「えっ(そんなことってあり得る?と我が目を疑い)」、ふと何気に自分の真後ろのシートの方に視線がいったところ、

欧米系の白人の女性(夫婦でおられて)と、視線がかち合って、一瞬「(ははぁ、原因はこの人らか…)」と悟った瞬間、彼女がニッと私に微笑んだんです。

これなんだよなぁ、多くの白人が年配のアジア系(日本人特に?私の伯父叔父だけ?)に誤解される、一つのコミュニケーションミステイクンといいますか。彼女らは私が荷物におたおたしていたのを見ていたはずです。

私は、どのような表情をすべきだったのでしょうか。同じ白人だったら、これらはもしかしたら“Easy peasy!”又は“A trivial thing”つまりたわいもないことや些細な事として、

笑顔を返すか、生温(なまぬる)い笑顔を返すか、何も表情にあらわさずスルーするか。

私は、明らかにぎこちない笑顔(!)で返し、あたかも椅子取りゲームで、最後の一脚を二人で奪い合い、椅子を取り損ね敗れて突っ立って呆然としているかのような、そんな暗澹(あんたん)たる気持ちでした。

私らの荷物は、結局固まり事に分散して、無理くりロッカーに押し込みましたが、内心やはり「してやられた~(!!)」感でいっぱいでした。
▲帰りの飛行機内からの写真ですが…。


そんな出だしの初日でしたが、なんとか無事帰って来てるんで、これはこれで。

べブさんの形見も分けてもらい、お墓も終の住まいも、すべてを感じて。なのに、彼女の家のクロゼットの前で、彼女の衣類や靴を目の前にして、その時も今も泣けてきちゃって(涙)。

以上、東京都の社労士「頼木優子(Yuko Yoriki)」でした。


Fairwell

2018-10-14 17:25:36 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士の頼木優子です。

昨日、無事Fairwellであるお葬式も終わり、海沿いの石碑(の表面のうちの一つにべブさんのネームプレートがある)の前で参加者全員で写真を撮り、

▲私は前列の向かって右から2番目。ピンクの傘の娘と一緒です。


一路皆でブロック先生宅で、簡単なパイとか、ケーキとか、お酒(私はイングリッシュティー)を飲みかわし、

故人を悼む会が終了したのは、かれこれ11時開始し、15時前後までおしゃべりに花を咲かせました。

この食事会で、たまたま親切にお話しして下さった男性の方が、確か84歳前後でいらして、冷戦の最中、イギリス兵としてベルリンの壁付近に派遣されたことがある方がおられて。

結局その時の首相は、「チャーチルでしたっけ?」と尋ねた私に、「いやいやチャーチルのもっと前で…」という話の時に、話が遮られてそのまま、ご挨拶も早々になってしまったのですが、

その方は、確か3人の実のお子さんの他に2人フォスターペアレンツとして、お子さんを引き取りお育てになったそうで、うち実のお子さんの一人は、どうやら知的障害がある方のようでした。

彼は、私に子供を育てているときには、これで本当に正しいのだろうかという問が浮かぶんだけど、成人以上に育て終えてみると、自分が正しいと思ってしてきたことは、正しいこと(だった)ですよ、と。

その他、べブさんのお嬢さんやそのご友人方との、会話(日本から来たんですよ~的な)とか、会計士をリタイアされたご婦人や、べブさんのご主人のご親類方々等々。

今日は、サンシャインコーストからブリズベンに戻り、これまたシャビーな朝食付きホテルにて、晩御飯はスーパーで購入した、チキンの丸焼きを一匹買ってきて、野菜を挟んでチキンサンドイッチを作って、食べました。美味しかった~!!

明日は、恐らく5つ星ホテル。というのも、航空券とホテルの一泊付だけだと、ホテル代がホテルの格式の割にも安く仕上がるので(H.I.Sでブッキング)、最後の晩だけ、素敵なホテルに泊まることに。

16日の晩には、日本に着いています。ビジネスの面での仕事も山積みです。うれしい悲鳴(キャー!!)聞こえます?なかなか動画をアップできずにおります。スミマセン!

以上、See you later, elligator. (応答で)In a while crocodile.

東京都の社労士「頼木優子(Yuko Yoriki)」でした。







私の高校時代

2018-10-02 20:32:21 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士の頼木優子です。

今日は、高校時代のことについて書こうかなって思っています。

高校時代は、中学卒業して私立の女子高に行きまして、女子だけの生活にも飽きが来たころ、留学したっていうか(!?)。高2の冬休みからニュージーランドの高校に留学しました。

留学する前にN.Zにホームスティを恐らく約1か月ぐらいしていたと思うんですけど、夢のような生活感で、そこでボーイフレンドもちゃっかり作って、帰国したんですけど、N.Zが忘れられなくてそもそも留学理由はそこにあるっていうか。

今でも思うのは、ホームスティ生活は留学生活よりも、むしろN.Zのいいところばかりかじった断片的なものでした。

ホームスティで初めて様々体験できたその時間の尊さと、高校生という多感な時に、現地の方々と多く触れ合えたことが、今となっては何よりも自分にとっての大きな財産の礎(いしずえ)を築いてくれたと思います。

身につけるファッションから、音楽観、価値観、生活観、男性観、結婚観から話す内容まで様々、多くのN.Zの方々の影響を受けていて、N.Zで学んだことなしの自分は、自分ではあり得ないという思いを強く感じるほどです。

因みにホームスティでゲットしたボーイフレンドとはN.Z国内での遠距離恋愛の末、関係性は破綻し傷つき傷心の上、食事も約3日3晩絶食、寮をも脱走しえらい騒ぎを起こしましたが、

亡きべブさんのブロック先生ご夫妻が小旅行に連れ出してくれて、その行き帰りの車窓から見たN.Zの壮大な景色への、傷心からのせつなさもが、寒さと共に身を切るように感じられて。

その一件以来そのおかげで立ち直ったことは以前のブログに記した通りです。

実は日本の高校にも在学した扱いでの留学ではあり、N.Zでは「卒業」ということが見込めないことが明らかでしたので、日本の高校に在籍することにもこだわりました。友人は結局日本とN.Zの両天秤はできず、

結果、日本の高校の友人の大半は今も付き合いが無いようになってしまっていますが、病状の寛解を迎えた現在以降のいつでも、昔のような関係性にはさほど時間がかからずともなれる気がしています。

日本の高校生活も本当は実に楽しかったです。ノーベル賞をお取りになったとある方の元母校、埼玉の男子高校での学祭も、Over Night Successの曲に合わせた男女混合のダンス(?)は、実に思い出深いなぁ。その後ほんのちょっと、ラブロマンスも続いたりして。

部活は最後は剣道部に落ち着いて、合宿とか毎日の部活動での友人とのやり取りがホント、楽しくて。元気かな~、みんな。

実を言うと、留学生活の初っ端(しょっぱな)、どんだけ~日本の高校生活にもどりたいと後悔したことか。失ってみて初めて事の大きさに気付く、これは人間ならではの愚かさなのか賢さなのか、いまだその辺が分からないのですが。

ごめんなさい。長くなっちゃいました。以上としますね。東京都の社労士「頼木優子(Yuko Yoriki)」でした。