東京都の社会保険労務士のデイリーブログ 

東京都港区の社労士ブログ!人事労務から様々、ワンポイントレッスン

普通

2023-07-20 11:38:10 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士という専門家の細木(頼木)優子〔Yuko Hosoki(Yoriki)〕です。

今日は、「普通」について、書きたいと思います。

女性は結婚すると、安定感からか歯に衣着せぬ物言いになったり(自分にも認めます)、恐れを失う一面があると考えたりします。

もちろん、その姿勢にも両面性があって、女性の地位向上に特化できたり?、大事な要素だとも感じます。

ただ、女性の私には「普通にいる」ということが、どれだけ多くの人の願いを叶えていることなのか、どれだけ持っている(gifted)ことのなのか、

それが、どんなに脆く、崩れやすいものなのか、という危機意識(自分自身が崩したこともあるので)、を忘れずにそれへの備えだったり、警戒だったり、用心を事あるごとに欠かせなくいたいと思います。
▲ひまわりの花 A photo directed by photo AC.

他人の幸福な姿をみて、自らを改める、戒める、襟を正す、その必要性を忘れずに、今も幸せだし、今後幸せに恵まれても、足元をすくわれるリスクを常に予感し、

他者への感謝だったり、思いやりだったり、気配り?だったり、そんなことを大事にしたいし、大事に出来る日常を送りたい、というのが最近テレビを視聴していて思うことです。

失ってみて、(自分が)失わせてみて、これだけ肝に銘じていたのだからと、危機が巡っても自分を許したい気がしています。

くだんの件は、自らへの健康だったり、家庭だったり、生活だったり、社会的立場だったり、戦争へ?だったり、災害への備え、等を私自分自身には投影しています。

以上、東京都の社労士(社会保険労務士)「細木(頼木)優子(Yuko Hosoki(Yoriki))」でした。




イスラエル・パレスチナ問題

2023-07-17 13:35:17 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士という専門家の細木(頼木)優子〔Yuko Hosoki(Yoriki)〕です。

今日は、「イスラエル・パレスチナ問題」について、未来のご提案を書きたいと思います(笑)。

このイスラエル・パレスチナ問題は、積年の歴史の経過もあって、現在起こり得る悲劇を語る紛争の一つですが、

そもそも、領土紛争ですしお互い犬猿の仲だとしたら、お互いに接近できる面積を極小化した国境の線引きがそもそも必要であったこと。

そして、宗教が重なったり聖地と呼ばれる地区全てに関しては、Untouchable places として、国際文化遺産?としての重要性、二者どちらにも(三者間)?帰属する/しない?ものとすること。

そして、生存権は恐らく誰しもに恵まれているはずなので、領土線引き後あらゆるインフラを整え上下水道完備、

しかし、対アラブ人/対ユダヤ人の現在の人口構成比から、未来の人口構成比を割り出して、その人口数に基づく発展形の専有面積、つまり

以下()を加味した区分け敷地面積のデータに基づくそれぞれの土地の所有を認めること。

(例えばマンションであれば、72㎡であれば通常日本に置いては、3人家族住居が妥当だとか、一人当たりの専有面積の最低必要なお決まり面積基準がある…)

最後に問題になるのは、どうやって右派を満足させれば良いのか、が自分には分からないです。
▲様々な手、アプローチの、手段、方法がある。

基本的に、衣食住が整って、教育にも恵まれるようになり、それ以上に右派の方々を満足させ得る物事や彼らの懸念を払しょくできる、

何か、何だろう、格闘技の普及とか???(のわけ無)何か良心的な何か、分かりません。大事なのは、彼らの宗教の教義を熟知することから始めて、落しどころを探り、報復行為をしたら実効性のある債務を課すとか?

債務の行先は、発展途上国の発展資金の足し、資金源とする、とか??? 国土や領海の資源の問題も含むから国土の線引きは、多角的に捉え考え実行すべきだよねぇ、もちろん。

でも不安を日々抱えて生きて過ごすよりは、落しどころも大事なのかなぁ。

世の中、分からないことが、多すぎるぅ❣!(^^)!

皆さん、暑い夏を乗り切って行きましょう!

以上、東京都の社労士(社会保険労務士)「細木(頼木)優子(Yuko Hosoki(Yoriki))」でした。

旧約聖書パート3?

2023-07-07 22:37:04 | 社会保険労務士の日記
こんにちは。東京都の社会保険労務士という専門家の細木(頼木)優子〔Yuko Hosoki(Yoriki)〕です。

以前のブログで、私が4-5歳の時に近所の友人のクリスチャンであるお母様から、旧約聖書の個人教授を受けたお話をしましたが、その時学んだ内容の中には、覚えている限り一つ目「やり返してはならない」、

二つ目「相手を試してはならない」という教えがあります。一つ目については、武道を嗜んでいる限り、競技上の精神(やられたらやり返す?)を見失わずにして大事にし、
▲今日は七夕なのに、天気は快晴。実におめでたい‼

しかしかつ自分は、既に時と場合によっては綱を解かれても尚従順な象のようでもあり、若気の至りから強くこの教えにかつて助けられて支えられてもいることもありました。そして今日は二つ目について、書きたいと思います。

この二つ目「相手を試してはならない」という内容は確か、どのような旧約聖書のストーリーで語られたかは既に覚えてはいないので明確さには欠けるのですが、

何か物事や他人の物事を推し量るような行動への選択肢が自分にあった時などに、自分にはこの言葉が強く自分の心を捕らえます。

今多に愚かしいかもしれませんが、「相手を試すこと」は避けた選択肢を選ぶ自分です。

そして、またよく逆に相手から自分は試されたな、と気付き(その人に対し)なんて無作法で失礼な奴なんだろう、と内心ひどい時には怒りや悲しみを伴うことも時にあります(試された経験それは一生警戒心と用心を忘れないです)。

それでも、自分は基本的には相手を試す選択肢は外すのです。もちろん、自分はクリスチャンでは全くありません。

日本古来の家族下の宗教観のみの環境ですが、それでもこの教えを大切な心理の一つだと自分は考えています。

皆が例え誰しもがしていても、「相手を試すこと」へのリスクを自分は負わない、それに尽きるのです。

以上、東京都の社労士(社会保険労務士)「細木(頼木)優子(Yuko Hosoki(Yoriki))」でした。