Peach night
今日も、朝からシトシトと、雨が降っていた、梅雨である。
男はこの山間の地で、晴耕雨読の自給自足の質素な生活をしていた、
真面目一筋で、仕事を定年まで全うして、結婚をすることも無く、傘寿になった、
定年後にこの地に来て、畑を開墾して、今の生活に至った。
その昔、「名も無く貧しく美しく」そんなタイトルの映画が有ったが、
男の人生には、そんな言葉が、ピッタリだった、男の名は、江呂笛佐と言った。
午後を過ぎた頃に、玄関で人の気配がした、出てみるとそこには、着物を着た
四十代ぐらいの切れ長の美しい瞳の女性が居た、
「申し訳ありません、少しこの軒で、雨宿りをさせて下さい」
「なになに、こんな年寄り一人の家じゃ、上がって行きなさい、今コーヒーを入れるところじゃて」
女を部屋に通して、江呂はコーヒー豆をハンドミキサーでゆっくり挽いた、
それにまた、ゆっくりとお湯を注ぐと、部屋の中にコーヒーの香りが充満した、
「コーヒーはワシの唯一の贅沢じゃ、さあ」そう言いカップを手渡した、
女は一口啜ると、「美味しい」と小さくつぶやいた。
青白かった、女の頬に少し赤みが差したようだ、
不意に女が「何も御礼が出来ませんが」そう言い、着物を脱いだ、
「止めなさい、ワシはもう・・・・」と、自分の下半身を見て驚いた!
もう何十年も、小用にしか使わなかった息子が、セブンティーンの朝を迎えていた、
驚く男に、女は妖艶な笑みを浮かべて、唇を重ねた。
江呂笛佐が目覚めると、翌日の朝であった、こんなに深く眠ったのは何年ぶりだろうか、
はっ、として、周りを探したが、女は居なかった、顔を洗おうと洗面所の鏡を覗いて驚いた!
そこにはすっかり無くなっていた、髪の毛が生えた、四十代の自分が居るのだった。
それから、2週間ほど過ぎた、朝から雨がシトシト降る日に、何となく予感がして
玄関に出てみると、女が立っていた。
見覚えのある着物にあの、切れ長の瞳、しかしどう見ても、女は二十歳にしか見えなかった、
「もう一度、コーヒーをご馳走して下さい」女は部屋に上がった。
部屋にコーヒーの香りが充満して、満ち足りたひと時が流れ、無言で女が着物を脱いだ、
当たり前のように、二人は結ばれた。
江呂笛佐は情事が終わり、また眠ってしまい、ハッとして目を覚ました、
洗面所の鏡を見ると、こんどは二十歳の自分が居た、
「どうなっているのだ?」
そして、隣の部屋には、女の着物があり、その上に女の子の赤ちゃんが眠っていた。
江呂笛佐は何故かは、理解できなかったが、これが神様の決めた定めならば、
この子を育てるためにもう一度、人生を生きようと決心するのだった。
この短編は、モデルの人物の人柄を再現する事で、誰もが共感できる、
ハートフルな作品に仕上げました。
南野圭吾