「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

父と母の死

2010-02-04 | 日記
父は15年ほど前に亡くなり、母もその4年位後に亡くなったのだが、父が未だ生きていた頃は何かに付け父の悪口を言っていた母が、「父が死んだ後は元気になるだろう」と思っていた私たち兄弟の予想を裏切り、3ヵ月後には「早くおじいさんのところに行きたい」とか「おじいさんと一緒に死ねばよかった」などと口走るようになったのです。
これには私たちも呆気に取られるしかなく、「生前の父に対する態度は一体なんだったのだろうか」と思ったものです。
父は元々血圧が高かったので2回脳溢血で倒れ、その後遺症で体が不自由だったのだが、子供が嫌いだったばかりか「料理を作る事も嫌い」と言う有様で、姉たちが良く料理を作って持って行っていたのだが、毎日と言うわけにもゆかず、母が作らなくてはいけなくなるのだが、料理を作る事が嫌いな母は「小さく切ったパンと牛乳」を父に与えていたのですから驚きです。
私が何か持っていっても父が喜ばないので「もう少しマシな物にしたら」と私が言っても、母は「おじいさんが美味しい美味しいと言って食べているから心配は要らないよ」と言うだけで、全く取り合おうとはしなかったのです。
そして、父の生前は「おじいさんのおかげで旅行にも出来ない」と愚痴をこぼし、「おじいさんがいなければ旅行に行けるのに」と言っておきながら、父が死んだ後は旅行の誘いがあってもけして出かけることはなかったのです。
これ以外にも様々な事で父が生きている頃に言っていた事と正反対のことを言うようになったので、正直な話、「早く死んでしまえばいいのに」と思ったこともよくありました。
そして、母は90歳になる少し前に老衰による多臓器不全で亡くなったのだが、私はお通夜には出たものの、葬式当日私は日本にいなかったのです。
「エッ?!」と思う方もいるだろうが、当日は上海で結婚式を挙げることが2ヶ月前から決まっていため、息子を代役にして欠席をしたのですが、このとき何となく虫が知らせたのか、どうしても母の死に顔を見る気にならなかったのが不思議だったのだが、帰国して1ヶ月チョット経った頃、全くの偶然から「過去の真相」がわかったのです。
この事はすでに書いているので省略するが、事の真相がわかった事で「死に顔を見る気にならなかった」と言うことにも説明がつき、最終的には「墓参りもする気にならない」と言う事で、今では兄弟とも「絶縁状態」になっているのですが、なんとも不思議な事に、母が死ぬまではしばしば「親兄弟がらみの悪夢」に悩まされていたのだが、母が死んだ直後から全くと言ってよいほど見なくなったのです、が、最近になってからはまた「別の原因の悪夢」に悩まされるようになってしまったのです。
これが八回目の転倒にあたるのだが、ここに至って「七転び八起き」と言う言葉に違和感を感じてしまったのですが、こんな事を考える人はいないのでしょう。
それにしても「7回しか転んでいないのに8回起きる」とは、なんとも不可解な事である。
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