13日から16日までは天草に帰ってました。
育ってきた環境でしょうか。
私の田舎では、お盆の墓参りは、やっぱり15日以外には考えられません。
というのも・・・。
長崎の『精霊流し』はご存知ですよね。
私の田舎でも『精霊流し』があります。
初盆の家が作る船は、提灯や花で飾り付けが終わると、
畳一畳分くらいの大きさになります。
私が小さい頃は・・・
15日の夕方から、皆が一家揃って墓参りに行き、そこで花火をする。
そして、すっかり暗くなって墓から帰って来たら、初盆の家から出る精霊船を送り出す。
そして、漁船に乗せるため、港まで担いで練り歩く精霊船に着いて行く。
『チンチンカンカン、ドーイドイ!』の掛け声と爆竹の音と火薬の匂い。
精霊船を乗せ、沖まで行く間の漁船から飛び交う飛び物の花火。
沖で下ろされ、沈んで見えなくなるまで提灯の明りを見送る。
この数時間こそが“私たちの『田舎の盆』”なのです。
ここまで終わってやっと、今年のお盆の終わりです。
この数時間のために、皆、帰省して来ます。
それにあわせて、同窓会がよく行われます。
でも、私の田舎でも、過疎の勢いは凄まじく、この小さい頃からの光景もだんだんなくなろうとしている事を感じた今年の“盂蘭盆会”でした。
育ってきた環境でしょうか。
私の田舎では、お盆の墓参りは、やっぱり15日以外には考えられません。
というのも・・・。
長崎の『精霊流し』はご存知ですよね。
私の田舎でも『精霊流し』があります。
初盆の家が作る船は、提灯や花で飾り付けが終わると、
畳一畳分くらいの大きさになります。
私が小さい頃は・・・
15日の夕方から、皆が一家揃って墓参りに行き、そこで花火をする。
そして、すっかり暗くなって墓から帰って来たら、初盆の家から出る精霊船を送り出す。
そして、漁船に乗せるため、港まで担いで練り歩く精霊船に着いて行く。
『チンチンカンカン、ドーイドイ!』の掛け声と爆竹の音と火薬の匂い。
精霊船を乗せ、沖まで行く間の漁船から飛び交う飛び物の花火。
沖で下ろされ、沈んで見えなくなるまで提灯の明りを見送る。
この数時間こそが“私たちの『田舎の盆』”なのです。
ここまで終わってやっと、今年のお盆の終わりです。
この数時間のために、皆、帰省して来ます。
それにあわせて、同窓会がよく行われます。
でも、私の田舎でも、過疎の勢いは凄まじく、この小さい頃からの光景もだんだんなくなろうとしている事を感じた今年の“盂蘭盆会”でした。
スゴイですね。
えんえんと続く行列
なかには大きな豪華な船と飾り、とりかこむ人の群れ。
今でも憶えていることがあります。
一人の幼い少年が、小さな船をかかげて無心に走っている姿がありました。
どんな事情かあるのでしょうか。
豪華な舟の脇を走り抜けていきました。
天草のお盆、ふるさとのお盆。
いいですね。
いつまでも心に残るふるさとのお盆ですね。
「精霊流し」ふるさとでは、何と呼びますか。
私は「しょうろうながし」と言ってます。
盆も正月も感慨深いです。小さい時はもっと尚更でした…。
田舎では、『ひょうろさまぶね』って呼んでました!
それにしても味わい深い 素敵なお盆でしたね!
いいですね。「さま」までついて。
いろいろの言い方がありそうですね。
長崎では何と言うのでしょうか、気になってきました。
それで、15日にご先祖様をお見送りするときには、お地蔵様の前にサトイモの大きな葉っぱを置き、その上にたくさんのお土産を載せてお送りしていたような気がします。(あれ?違ったかな?)
それに、今年は仕事だったため大好きだったおじいちゃまのお迎えも、お見送りもしてません。ゴメンナサイ。
風情。などといった言葉を使うと怒られそうですが、精霊流し、とても素敵な厳かなものだと感じます。
その文化はずっとずっと続いて欲しいと願います。
そうなんですよね。
春と秋の祭りにしても、その日にやる意味があるのに今は、日にちも日曜日優先になってます。
段々、風情が遠のいていってますね。
小さい頃は、さまざまなことにこんな風でしたけどね。
長崎は『しょうろうぶね』じゃないんでしょうか?
山の方たちのお盆も気になってました!
そう、厳かなんです。グレープの『精霊流し』が出た頃は自分ところを歌ってるような気がしてましたよ。
住んでいた関係で、お盆、お正月のお墓参り
の経験がありません。
熊本に移り、今は毎年お盆にはお墓参りをし
ていますが、9sugoさんのような「田舎の盆」
の話を聞くと育つ環境の影響は大きいと
改めて感じます!
育った環境って違いってありますよね。
サラリーマン時代、12・13・14で盆休みになった事がありました。
15日が“盆”として重要な私の環境では、次の年の8/15までなんとなくしっくりこない1年間だった記憶があります。