和楽の会民謡(唄、三味線、尺八、太鼓、箏 etc..)

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余りにも大切な人を失った

2015-12-11 11:01:15 | 民謡のお話
私がそのことを知ったのは、今年の春が来る前のことだった。 ある民謡全国大会で尺八を吹かれ本当に多くの競技者を長年に渡り支えてくださった方が亡くなられたとの訃報であった。

その方の尺八の素晴らしさは、私の尊敬する、じろうさんでさえ誉め称えていた。 だから日本を代表するほどの素晴らしき尺八奏者であられたことは間違いない。

来年開かれる大会では、もうその素晴らしき存在を官能することは出来なくなっただけではなく、一番大きな大黒柱を失った大会自体が、一体、どのように対処されるのか非常に注目されるところだと私の中では考えている。

まず、去年まで伴奏して戴いていた競技者が今回の大会で一体、どのように、それぞれが対処されるのであろうか。 その人数が余りにも多いので私は密かに心配している。

実際、私も、じろうさんにばかり頼っていてはいけないと思い、素唄の練習をしてみた… だが、素唄には、二つの難題があった。

1つは1番と2番の唄始まりの音程を保つ難しさ。 更には、保てる唄い手であったとしても… それにプラス、合いの手の技量が非常に高くなくては成り立たないことである。

1番を終えて、もし合いの手の掛け声の高さが半音下がれば、2番の始まりを半音下げて出るか、1番の始まりに合わせるのか(合いの手とは半音上がる形となり不自然だ)、迷ってしまうし、半音違ったまま唄うのは難易度が高くなるし、総合的に考えれば得点は落ちてしまうだろうと考えられる。

尺八伴奏の場合、伴奏者が、じろうさんの様に完璧であれば、唄い手は、その音程を基本に乗れば良いので安心して唄に集中出来る。

なので尺八伴奏者が唄い手の運命を確実に握っていることは紛れもない事実である。 私は今回、2名の伴奏を任されている。 つまり二人の運命の舟の舵を握ったわけである。 その責任は、とても重要であり重い。

今、毎日、鳴りにくい4本木菅にて練習を重ねているのだが、少しずつ上達はしている。 ただ、本番と練習では全く違うことだけは身に染みてわかっている。 私は地元のお祭りで巫女の笛を任されている。

以前に一人で吹いていた時に緊張してか、音がほとんど出なくなった経験がある。 時は無情にも過ぎてゆき… 私は大恥をかいた。 それだけじゃない、巫女にも残念な思いをさせた。 今、その経験が私を震えさせている。

だから私は今月から体を少しずつではあるのだが、スロージョギングや、スローバーベル(1キロをスローでトレーニングする)などで体を鍛えている。

唄の声、尺八の吹き込み、良い姿勢の維持などに、きっと役に立つであろう。 誰だって1日が経てば1日、年を取り、1日、寿命が短くなっている。 しかも、この寿命は明日かも!?しれないのである。

私は、この大きなチャンスを私に与えてくれたお二人に一生涯、感謝し続けてゆくことになるだろう。 もう、じろうさんには、返せないほど私の尺八伴奏をして戴いた。

彼が日本民謡フェスティバルに出演しないのが私は何か寂しい(私だけの密かな思いですが)、出来るなら私が日本一に輝き、彼を東京へ招待したい!

そして、私は夏生さんの前で唄うんだ!! だが、それは夢のまた夢である。 それでも、万が一、その私の夢が叶ったならば… それは、どんなに日本の民謡ファンが喜ぶことであろうか!!

なぜなら、じろうさんの尺八は、多くの民謡ファンを酔わせるから… 彼の技術がすごいからではない… 技術が上手い人など、この世には、いくらでも存在する。 

そうではなく、彼の尺八から滲み出ている彼の品と温かみのある素晴らしい人柄が観ている者の心に通じるからだと私は分析しているのである。

実際、彼が日向木挽唄を吹き、すみれさんが唄い、息子さんがお囃子した映像が残されている(お祝いコンサート日向木挽唄)映像があるので、今、一度、彼の尺八を聴いて戴きたい。

涙が流れてくるのは、私だけではないはずです。 陶山さんは出ました(三味線にて)、まりさんも出ました。 こばさんは来年の予定です。 だったら、じろうさんも出て戴きたいのです(私の思いです)。

彼らが、今からの民謡界を大きく支えてゆき、引っ張って牽引してくださる、とても大切な中堅処なのでございます(私の思いです)。

最後にお1つ、ブログを通じお願いがございます。 陶山さん、あなたの音戸の舟唄、もう一度、私や母に聴かせてください(尺八、じろうさんにて)、あなたほど私達を驚かせた音戸は他にありませんでした。

実に男らしく海を感じさせ、波を匂わせ、更には雲南の香りをもブレンドさせ誠に素晴らしき音戸の舟唄でした。 あの唄が決勝に残らなかったのは、私にも母にも納得が未だに行かないのです。

あなたの音戸が忘れられず、私は毎年、大会に参加させていただいております。 またじろうさんとお尻を並べて能美温泉に入ろうじゃないですか。

あなたは島根県を代表するに大変相応しい素晴らしき民謡人です。 是非、島根から羽ばたきNHKホールをあなた様の今度は唄で御願い致します。

出来れば安来節、関の五本松、音戸の舟唄で!! あなたの唄を早くテレビやラジオにて聴きたくてたまりません。 どうか宜しゅう御願い申し上げます。 メリークリスマス!子供達に!!

民謡に必要な種まきとは

2015-12-05 13:45:09 | 民謡のお話
民謡は、そもそも古い昔の先人方が作業を少しでも楽にしようと考えられたものが唄となり生まれたものである。

そんな昔のことを、今の近代に再現することは基本的には出来ない。 そんな私達、民謡人がなぜ民謡を志し一体、何を目指して頑張っているのだろうか。

ある人はこう言う「日本一を目指す」と、ならば、日本一になれたなら、どうなるのか? その先を想像してみたことがあるだろうか。

私が思うに、この民謡という世界は非常に難しく奥が深い。 何が難しいといえば、それは民謡人、自らの心の持ち方の制御であり心の構え方だと私は思う。

絶体に起こらないことではあるのだが、万が一、私が民謡日本一に輝けたと課程してお話してみよう。

私が日本一になってしまうと必ず声すら掛けてくださらなかった民謡人や周りの方達から、「あなたは大した者だ」と持て囃やされる事であろう。

そして私はいつ日か自分は優れているのだと大きな勘違いを巻き起こすのだ。 それは目指すまでの自分の作り上げてきた素晴らしい唄を崩してゆき心の闘志さえ波にさらわれる砂浜の砂のように削られてゆくであろう。

人生というものは波乱に満ち溢れ頂点に立てば更なる仕掛けや罠が私達を待ち受けているように私は想像している。

大体、私のような器のない男一匹が民謡大会で日本一になるなんて全く持って似合わない。 私の民謡の為には、なるべく優勝は後に楽しみを回しておくのが良い。

そんなことになれば、あなたは年を重ねチャンスがなくなるわよー はい、それで良いのです。 私は考え方を改めたのです。

実際、優勝者は翌年度より競技に参加出来なくなってしまう為に、その唄のレベルを優勝時のまま保つことなど非常に無理な話なのです。

私が考えるに、これからの大会では、過去の優勝者にも、競技者の一員として、決勝に進むことは出来なくとも参加を奨めるべきであると信じております。

音戸大会の場合には、過去の優勝者には、名人を決める優勝者だけの決勝大会が5年に一度だけ行われるシステムになっているのですが、やはり競技に参加出来ないためにレベルを保てていないケースが見受けられるのです(私だけが感じたことです)

素晴らしい民謡を維持してゆくためには、一人でも多くの競技者に、その素晴らしき唄を生で聴かせる機会がとても必要と考えます。

もし過去の優勝者も舞台上にて自分の唄を表現できるのならば、競技でなくとも技術の維持にはなります。

お手本としては、しげさ節コンクール東京大会におきましては、過去の優勝者が舞台上で発表する場を設けておられます。

私は偶然、運が良くも、過去優勝者の中から、誠に見事な心打つ、しげさ節と出会えたことがございます。

音戸大会におきましても、そのような発表の場を設けていただけるよう競技者の一人として願っております。

最後に民謡の種まきについてですが、種をまくためには素が必要です。 素とは、民謡にまつわる現地に行き、その風景を体全身から感じ受けることです。

それらを感じて昔の先人達の苦労と努力を心の中から想像を沸き立て自ら組み立ててやる必要があるのではないでしょうか。

音戸へ行き、隠岐へ渡り、富山も秋田も行く。 自分の好きな民謡の素となる県には一度は必ず渡りたい。

その為に働きお金を稼ぎ貯金をして計画を立てる。 その間にも三味線妻たちは私に愛を求める。 弾いてちょうだいと…

三味線を弾いていると… 今度は尺八が私を誘ってくる… 俺達も息を吹き込んでくれと… そして尺八を吹き込めば… やがて私の心は昔の先人を思う。

その先人達のお陰にて今の平和があり、私達は三味線を弾けているのだと… 民謡は平和が保たれていないと成立はしない。

今こそ、この素晴らしき民謡を日本国民に伝えてゆこうではないか。 民謡は世界を救う。 私はそう信じて今日も和楽器を奏でている。

音色をどう育ててゆくのか

2015-12-04 17:35:10 | 民謡のお話
和楽民謡ファンの皆様、三味線はお好きですか? どのような音色を好みますか? 私はワクワクするようなのが大好きなんです。

動物に例えると、今からどこへ向いてゆくのかわからないが夢に向かって走ろうとする兎のような。

ワクワクする音色を育てたければ、ワクワクする人生を歩むしかございません。 中でも非常に大切なことがございます。 なるべく自然を見て感じて触れることなのです。

最近では鳥取砂丘を歩きました。 回りは広く景色は最高で踏み味よく通り抜ける風さえ、自由を感じさせ、そこから幸せをたくさん浴びることが出来るのです。

隠岐でいえば、浄土ヶ浦、600年のかぶら杉、松江なら松江城、宍道湖などに行くと、とても心が満たされます。

それを少しずつ繰り返すことにより、間違いなく私の三味線の音色は魅力を育てているのでございます。

私の目指す音とは、それらの大自然を抜いては考えられません。 いかに生きて元気な間に、そのような素晴らしい日本の景観に出会えるのか。

また、そのチャンスは自らが選び時を作り上げ、実行させる力も必要となるのです。 素晴らしい音とは、ただ単に三味線を弾いているだけでは魅力ある音色を生み出してゆくことは、私にとってみれば難しいのです(魅力が育たないのです、技術は上がりますが)

つまり私にとって目指す三味線道とは、人生そのものであり、それを磨く根底には試練と積んできた経験があります。 さらにスパイスとして鳥取砂丘や日本海の見事な波、静かな湖山池、を眺め心を癒し浄化してゆくのです。

そのスパイスなくては、目指す音は育ちません。観光は耐えて頑張った自分を癒やし日本の良き景色を学ぶ絶好のチャンスなのでございます。

あなた様は、これからの民謡人生をどなたと歩み作り上げ、過ごしてゆきたいですか? そして50年後、いや1世紀後… 何かを残したいというお気持ちは持たれていらっしゃいますでしょうか!?

私は素晴らしい今の日本の風景と共に自分なりの民謡というものを日本人として着物を着て三味線を弾いたり尺八を吹いたり唄ったりして映像として残しておきたい思いがございます。

さあ、皆様も私と共にブログを通じて日本の素晴らしさを感じ合い、有り難い今の日本を作り上げてくださった先人達に感謝し、さらに魅力的な民謡人へと成長してゆこうではありませんか。

本日もご拝読、誠におおきに

多くの民謡曲を覚えざるをえなくなった母上

2015-11-06 15:04:10 | 民謡のお話
和楽民謡ファンの皆様 こんにちは  ゆうさん明後日から島根県鳥取県兵庫県と民謡を育てる旅へと行って参りまする  格好いいことを言って実は母との思い出を作る大切な旅なんですよ 

その母はというと明日、いわさんと再会するために髪の毛を綺麗にパーマをかけカットをして今、むらさきに染めているところなんですよ (ゆうさん技術者) その旅のお宿にてお三味や尺八や唄の音を出しても良いようににて許可を得ております  といいましても遠慮しながらの演奏になると思われますけれども  せっかく鳥取や香住まで足を伸ばすのですから地元の民謡を少しでも演奏したいし唄いたかったので、母は一生懸命に唄を覚えているといいますか、私の要請で練習してくれているってのが正直なところなのでございます 

それに明日は和楽の会民謡が和楽荘に集まる日の予定となっておりましてね、いわさんの津軽三味線を聴いたり、唄や尺八を少し合わせてみる予定にしているために、余計に母は唄を覚えるが大変なのです。 今、民謡フェスティバルを聴きながら 秋田おばこを練習しているんですよ  外山節は、なんとか歌えるように頑張りました すごいな母上 
島根県では隠岐しげさ節、鳥取県では貝殻節と三朝小唄、兵庫県では菅笠節で楽しみたいですね  といいましても気になっておりますのが天気予報なのでございますよ 

今のところ日曜から月曜にかけて中国地方では  の予報なんです  せっかくの島根旅行が  せっかくの鳥取旅行が  せっかくの香住旅行が  いったいどうなってしまうのでしょうか  私は鳥取の大きな湖が気にいっておりましてね  あの辺りを走る時には是非、止んでいただきとうござるのですが  果たして私の願いは叶うのでしょうか  

民謡を鍛えるためには、それぞれの現地に視察に行くしかございません。 隠岐の民謡を身につけるのに隠岐の島に渡るのと同じく、鳥取民謡は鳥取に行くしか手はございません。 兵庫の味を得るのも、兵庫の地を踏みにいくしかないのでございます  私は、私の心の中に育つ民謡の種を育てるために旅に出ます  いつの日か花を咲かせてやりたいのでございます  いつもご拝読、そして並びに音楽ランキング絵柄をクリックしてくださり応援、誠にありがとうございます 


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 チャンスは一瞬でしかない

2015-09-14 18:05:29 | 民謡のお話
私も民謡人生をもう7年半年歩んできた  思えばすごい民謡人と出会ってきたものである  私は一人で民謡の道を歩んでいたので上下関係がわからなかった  今、考えてみると私のようなずぶ素人が話掛けられるような、そんな身分じゃなかった  そう、私は今まで数々の素晴らしく歴史に残ってゆくような民謡人に遠慮もなく声を掛けさせていただいたのであった  その光景は、もしかしたらお弟子さんから歩まれていた方にとっては、大変に常識知らずに見えていたのかもしれない  だが運が良くも、歴史に刻まれるであろう素晴らしき民謡人は私の笑顔を見詰め喜んでくださったのです 

そんな幸運が私を突き動かし、夢の民謡コンサートを起こすまでになったのでしたが(2年前、お祝いコンサート) 今となってみれば、その輝かしいメンバーも転勤されたりと移動となってしまいました(何名かですが) 同じ日本に住んではいますが私は寂しいのです  その方達が中国地方にお住まいの頃には、大会になれば再会することが出来ていて私はその日が待ち遠しかった  私は、尊敬して止まない仲間の唄を観覧席にて聴いていたり、擬音や合いの手を喜んで手伝っていたものだった。 そんな身近であった仲間はもう遠くへ行ってしまいました。 そして、そこから学んだものがあります 

尊敬している人は、いつまでも身近には存在しないということ。 つまり出会って何かを感じているその時がまさに最も幸せな瞬間なのでございます  幸せはいつまでも待ってはくれません。 極端に言えば、それが最初で最後の出会いになる可能性だって常にあるのです。 私だって全ての仲間と仲良くずっと民謡道を歩めるほど世の中は甘くはありません  全ての民謡仲間に常に平等に接してゆくことは不可能ですし、もちろんのこと疎遠になってゆく仲間も存在するのが世の常だと最近、感じております。 この間、貝殻節大会にて私は何枚もの和楽の会民謡の名詞をお渡ししました。

菅笠節大会や音戸大会の時も同じです。 そんな多くの民謡人の中、私にお手紙を下さった方がた4名ほどいらっしゃいました 音戸2通 貝殻節2通 合わせて4名の方々です  本当に有り難いですね  私を民謡仲間として必要としてくれているからだと私は感じました。 その方々は、私に一石投げてくださったのです  民謡愛の石をです  その思いを私は大事にしたいと思います。 日本のどこかで私の民謡を少しでも求めてくださるどなた様かがきっといらっしゃる。 優勝もしたことのない私の唄や三味線を・・ それでも聴きたいと願ってくださる人が、この日本のどこかに生きて存在しているのです(嬉しいのです

この間の貝殻節全国大会時にも表彰式を終えて観覧席に戻りますと、鳥取県は地元にお住まいの70代くらいの女性の方が母と楽しそうに談笑されておりましてね・・ 何を話しているのかなって少し気になっていたのですが。 私の横に来てくださりましてね・・ 「わたしゃーねぇ 表彰式の最後の最後まで信じていたんよ」  え  「何をですか」 するとご婦人は信じられない言葉を発せられた 



「私はあなたが優勝する思うて最後まで信じてたんよ



えーーー  嘘でしょーーー アンビリーバボー  と感じながらも私は心の中では、とっても嬉しかった 実は自分では、細かな節回しでお手本通りに唄えなかったので、上位は無理なことくらいはわかってはいた  だが、まさか地元の観覧者さんから、そんなに高い評価を頂けるなんて驚きで、とっても光栄だった。 ご婦人はこうも言った 「ただちょっと残念なのはねー あなたの唄には残念ながら鳥取の匂いがしないのよ」 「鳥取の民謡は地元の方が有利だと思うわ」 「けれどもね、あなたの声は特別素敵だったわよ よく声が通るし私は大好きだったわ これからも頑張ってね」 今まで7年もの間、色々な大会に出場してきたけれども、これだけ観覧者さんから高い評価と感激を聞けたのは初めてであった。 私は、鳥取を忘れない。 鳥取ありがとう 私を認めてくださった鳥取を愛しています  本日もご拝読、誠にありがとうございました 


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いつも和楽民謡ファンの皆様  音楽ランキング絵柄のクリック 誠にありがとうございます  私はこれからも民謡を通じ頑張って参りますのでブログを通じてご一緒によろしくお願い申し上げます  だんだん