私は思わぬ秘書の提案と行動力にて熊本へ市長殿に会いに行くこととなった
行きは広島の廿日市まで高速道を我慢
早朝4時30分に江田島の家を出て熊本へと向かった 熊本には中学生の頃に修学旅行で行ったきりだった。 思い出深いのは熊本城の際立つ美しいラインの石垣と水前寺公園である。 4月9日に呉市役所のくれ絆ホールにて熊本支援コンサートを開き、そこで観覧者さまより熊本へ向けての愛の募金をお預かりしたのだった
私は熊本市エンタメ支援に振り込んで自分の役目は終わりだと踏んでいた。 ところが秘書は、これからだと言った。
私は心のどこかで、熊本を最近、観に行ってもない自分が熊本支援を行い、それでいいのか
と自問自答していたのだった。 確かに中学時代に行ったきり、私は熊本のイメージも薄れていた現実はあった。 だからこそ、ここは秘書の提案に乗るのが良策なのだと信じ、事の成り行きを待っていたのだった。 秘書の努力は私の想像を遥か彼方に超えてしまい、私はとうとう熊本市長さんと対面する約束をすることとなった。 熊本市長殿と言えば、最近、NHKドキュメンタリーなどでも取り上げられており、地震にて崩れかかっている熊本城の再建に全てを掛けている、まさに歴史に残る見事な人物である。
あのテレビに出演し、熊本城を救おうと必死で考え知恵を絞っておられる勇敢な熊本を代表されるような素晴らしい方と直接会えると思うと、私はまるでこの世を去り、天国へと導かれたような気持ちになっていた。 本当に会えるのだろうか
あの憧れの熊本市長殿と私は、もしかして握手をするかもしれない
あんまり嬉しいので私は舞い上がっていた。 それにしても、その前に生きて健康な姿で熊本まで辿りつく必要があった。 熊本のために全ての貯金を使い果たした私に新幹線を使用するなどの裏技は毛頭浮かばなかった
私はフィットで行きます
1300ccです
なんとか生きてゆきます
そう心に誓い家を出て1時間30分、早朝の6時頃、やっと廿日市ICインターへと高速道へと入った
もう安心
私はもう半分着いた気持ちでいた
高速道ならスピードが
早いので 楽勝くらいに考えていた
がしかし、下関までは割と早かったのだったが・・ 九州に入ってからが意外に長かった
走れど走れど熊本はまだなのか
もしかして私が車で走っていても
逃げているのではなかろうか
と疑うほど着かなかった。
秘書は熊本ICインター手前の北サービスエリアにて着物
を着ておくといい、外に飛び出した。 私もこの時、着物に着替えようと考えたのだったが
ここから熊本ICインターまで着けたとしても、そこから下道でまだまだ20分以上かかりそうだった。 なのでこんなところで着物に着替えたとしても
運転して汗だくになれば、着物にしわが寄るし、なにより型が崩れる
崩れるならば、着いて駐車場で着替えるのが得策だと判断
私は秘書が車に戻ってくるのを待った
だが、なかなか戻ってこなかった。 停車させている車の中には、大切な三味線がケースに入って出発を待っていた
この日は運が悪く日差しがきつく暑かった
熊本ってところは、江田島に比べて暑さが輪をかけて違っているようだ
このままでは三味線の皮が危ない
秘書を探しに行くしか方法はなかった。 このまま待っていては、もしかすると式典に間に合わなくなると嫌な予感が脳裏を走った
すると秘書は嬉しそうな表情を浮かべて私に 「こっちに来て来て」と手招きを始めた
その瞬間、私は 「すぐに車に戻って
出発するからお願いね」と言った。
どうも、熊本の方と仲良くなれたみたいで私も紹介したかったらしい・・ がとにかく私には余裕などなかった
まず、この車には
ナビ が付いていないのだから・・ 前日に熊本市役所までの道のりの方角と、どのように市内電車が走っているのか
を私はにらめっこしながら覚えていた
大体の方角さえ合っていれば、あとはなんとかなると思っていた。 熊本ICインターを降りて、中間くらいまで走ったところで
ガソリンスタンドへと逃げ込んだ
ここで目指す方角が合っているのかを聞いてみた。 スタンドスタッフ
「この横の細い道路を真っすぐ進んでください。 突き進むと陸橋のある交差点に差し掛かりますので、右折して電車道路を進んでください。 市役所や熊本城が見えてきますよ」と丁寧に教えてくれた
大体合っていた、私は安心したが時間があまりなくなっていた
もう恐らく市長殿は、下通り商店街に着かれている頃であろう。 この日は内閣総理大臣の安部首相も熊本市内に視察に来られている大変多忙な日であった
秘書が、そんな忙しい日4月15日(土)に、どうやって私と市長殿との面会を実現させたのかと思うと私は秘書の腕が怖くなった
それにしても熊本市長殿も凄すぎる
私のような一個人に、こんなにも忙しい過密スケジュール
の貴重な人生の時間を10分も分けてくださるとは
私は心の底から感謝をし涙の出る思いだった
もうすぐ市長殿と会えるのだと思うと嬉しくて泣きそうになっていた。 私は熊本市役所に無事に辿り着き、約束の11時30分まで、残り15分あった
落ち着け、落ち着くんだジョー
私はコンサートで着た紺色の馴染みの着物を着た
こんなに自分の着付けに気合を入れたのは初めてだった
駐車場の車の後ろにて急いで確実に着物を着ていった
外に出ると下通り商店街は、すぐ横だった。 生まれて初めて熊本の下通り商店街を歩いた。 秘書は熊本支援コンサートHANAのポスターを持っていた。 私が市長殿に目録を手渡す際に観覧者さまや市長殿にわかりやすくするためだと言っていた。 どこまでも最善を尽くす秘書であった
よくも、こんな夢のようなシーンを演出してくれたものだと心から感謝した
11時23分くらいに控室である白いテントの中に通された。 そこには熊本テレビのアナウンサーと思われる美女が一人とスタッフさん、更には、はんにゃさん(2人組)がおられた。 私は、とにかく緊張すると思い、周りを観ようとせずに、まずは三味線をセッティングした。 そして譜面立てを組み立て、譜面をセット
すぐに熊本県民謡である
五木の子守唄 の練習に取り掛かった。
その時、はんにゃさん(剣道が強い方)が私の三味線の音色に反応された
「良い音色ですね
」と一言、褒めてくださった。 私は練習に集中していたので黙ってそのまま弾いていた
後でわかったことなのだが、はんにゃさんも和楽器をたしなんでいたそうで、三味線を弾かれているとか
そんなんだったら、少しだけでもお話したかったなと後で、ちょっぴり後悔をした
秘書はすぐにカメラを構え、はんにゃさんに記念撮影をお願いした。 はんにゃさんは、とてもお優しい方々であり、笑顔でOK
満面の笑みで一緒に写真に写ってくださったのだった。 芸能人ってすごいですね。 これも縁だと信じたい。 それからテレビに出てこられると、私はまるで兄が出演したかのように喜んだ
はんにゃさんと、またどこかで会えるかな
その後すぐに熊本市長である、大西一史さんがテントの中に入って来られた
ついにその時は来た
私の人生46年間の中で、こんなに尊敬している人物と会えることは、なかなかありませんでした。 いや、凄い
市長さんは、すぐに私に挨拶の言葉を述べられ 「熊本のために支援コンサートを行ってくださり有難うございました」と深々とお辞儀をしてくださった。 私も、「熊本市長さんとお会いできまして嬉しく思います、有難うございます」と同じく深くお辞儀をした。 市長さんの優しい心が握手をした手の温もりから感じ取れた。 感動の思いが込み上げた瞬間であった
そしてスタッフから簡単なリハーサルを伺い、私はすぐにステージ後方の階段前で待機をした。
今日は五木の子守唄を市民の皆様や市長殿に披露させてもらえるのだが、須賀道子さんも母もいない
私が弾き
私が歌わなければならなかった
誰も助けてはくれない
ただ横には秘書がポスターを持っていつもの笑顔で立っていた
まず、熊本支援コンサートでの募金の目録を市長殿に手渡した
熊本市長殿を始め、市役所の方々、秘書、市民の方々、アナウンサーに心より感謝した。 このたった10分の時間が、私達、和楽の会民謡のために用意していただいたのだと思うと一生の恩を得たような気持ちになった
人は人から受けた恩を忘れないという
私は、どんどん熊本が好きになっていった
島根県隠岐の島も好きだが、熊本も気に入ったのだった
その後、すぐに熊本県民謡である
五木の子守唄 を市長殿や市民、約120名の前で披露させていただくこととなり、私は自分の持てる民謡の技と熊本への感謝の思いを込めて3番まで弾き語った
この唄と三味線は、一生に
一度だけ披露できるのだと感じた。 そのような恵まれた素晴らしい条件で演奏ができるなんて、一生涯の中で一度あれば最高に嬉しいと思ったからでした
それもこれも、今回、熊本支援コンサートに共感してくださり他県からも多くの出演者の協力があってこそだったのです。 私一人であれば、何も協力など出来ません。 なので全ての出演者や協力者のお陰もあり、このような恵まれた経験を踏むことが出来たのでした。 皆様、秘書も、そして熊本市長殿、市役所さん、有難うございました。 心から感謝申し上げます
そしてここまでご拝読くださりましたファンの皆様、いつもブログを読んでくださりまして、誠にありがとうございます
人気ブログランキング