和楽の会民謡(唄、三味線、尺八、太鼓、箏 etc..)

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2017 4/9 牛深ハイヤ節 熊本地震チャリティーコンサートHANA🌼 和楽の会民謡 主催

2021-10-12 07:00:00 | 熊本支援コンサートHANA
2017 4/9 牛深ハイヤ節 熊本地震チャリティーコンサートHANA🌼 和楽の会民謡 主催


和楽の会民謡ファンのみなさま おはようございます 今日も熊本地震チャリティーコンサートにて ゆうさんが無謀にもプロ民謡歌手の須賀道子先生の太鼓に入り挑んだ姿をご覧くださいませね 
この映像は もう二度と年を取りません  ゆうさん、若いまんまですから  だからね、自分が頑張ってる時の映像ってホント   なんですよね 

ですのでね、これから私と出会いある音楽家の皆様も 少しずつ缶詰(映像保存)にしてゆきましてね 永遠にお年を重ねないのでございますよ  だから、私が70歳くらいになって、少しづつ
懐かしく楽しもうってこんたんなんですよ  母はよく録画してございます この熊本地震チャリティーコンサートをテレビにて眺めていますけれどもね  きっと懐かしいのでしょう 

しかし、ゆうさん、よく3曲も太鼓、覚えられたものですよねーーー  太鼓を覚えるだけだったら、まだ良かったのでしたが・・ なにしろ私、主催者ですから  誰も援助ない中で  自分の力だけでなんとかしましたから  自分の夢のため、何より熊本県の被災された皆様を助けるために頑張りましたから 

しかし、この牛深・・ ちょこっとスピードが速かったような   付いてゆくの大変でしたが  なんとかしがみつきましたからね  本日もご拝読、誠にありがとうございました 

  なんと ポスター まで ゆうさん 自作 




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熊本支援コンサートHANA 音戸の舟唄

2019-07-03 20:11:05 | 熊本支援コンサートHANA
熊本支援コンサートHANA 音戸の舟唄



和楽の会民謡ファンのみなさま  ゆうさんいよいよ明日、RCCイマなまっに初出演出来ますよ 
思えば長い月日でした  思い出してみてくださいませ  熊本支援のために開催しました 呉市役所ホールを使っての民謡コンサートを  あの時には、まだ私の名前を知る人達は、ほとんどいませんでした 

一生懸命に手書きで書いたポスター  一人しか集まらなかったクラウドファンディング ホールの舞台責任者さんに 「舞台設置スピーカーを使用するならば、マイク1本、コード1本使えません」と指摘をされ  それならばと全て自分の貯金を崩して購入し集めた音響機材群 この世界中の中に、こんな大馬鹿な野郎なんて、どこを探してもいないことでしょう 

600名が収容できる中型ホールで音響設備って 一体、どれだけの数と大きさとパワーが必要なのか 私は、よくも知らずにあの時、「やってやるんだ」と一人意気込んでいたのでした  しかも、集まってくださったメンバーが凄すぎる  皆さん県を代表格の先生方ばかりで  そんな大先生方を自分の貯金を崩してやるってことだけで、私が司令塔に無理やりなり、なんとかかんとかコンサートを成功させたという前代未聞のチャリティーコンサートだったんですよね 

会の仲間から観覧席を眺めた感想から・・ あまりの少なさに「ゆうさん、どうやってお客様を集められたの」と不安そうに問われた時、正直、折れそうに悲しかったです  普通は、大きな会の場合には、出演者にはノルマのチケットを購入していただいて、それを経費に充てる方法で開くのが常識でしたが、私は出演者に金銭は負担を掛けたくはなかった。 だから全ては自分の貯金を崩して行ったのでした。 それだけに、この音戸の舟唄では、人生を賭けた、全てを投げうった私の魂が込められています 

更には、当時の京都の仲間が苦労をして、熊本市長に直接チャリティーの目録を渡せるよう動いてくれて、そのお陰様があり、私は憧れの熊本市長さんと面会、握手、そして目録を贈呈させていただき、そのついでに肥後民謡の弾き語りまで聴いていただけたという、まさに夢のようなビッグイベントまで実現出来ました  色々と困難や苦労もありましたが、私は大体、出会ってきた方々が素晴らしい方が多くて  本当に心から感謝しておる次第でございます。

何度も言いますが、この出会いなどはすべて本に書き記しておきたいと考えております。 RCCイマなまっ!の取材でも、若い方、おられましたけれども、あの方が、いずれ広島の顔となってゆくことでしょう  色々なさまざまな人間との出会いから何かを常に学んでおられ、その度に人は成長してゆくのだと感じております。 もちろん、私だって良い影響を受けれたわけです  私も、もう50代が近くなって参りましたが、民謡という世界は息が長いですので、これからも頑張り新たな夢を追いかけて、皆様と共に楽しんで人生を謳歌したいと考えております 

本日4日(木)夕方4時15分頃から RCCイマなまっ に和楽の会民謡が出演致しますので、広島県の方、お時間ございましたら、観てやっていただけたら嬉しいです  本日も誠にありがとうございました   人気ブログランキング クリックしてくださり応援くださりましたファンの方々、ありがとう 

 一人の美しき民謡心

2017-05-24 11:50:11 | 熊本支援コンサートHANA
 和楽の会民謡ファンのみなさま こんにちは  今日の江田島は雨が降ったり止んだりしておりますよ  この間、私が開催致しました 熊本支援コンサートHANAに一人の心美しき民謡人が遠路はるばる他県より見学に訪れておられました。 ちゃんと口には白いマスクをつけられ喉の保湿をされておられました 

私が民謡を始め間もない頃、私は島根県の民謡仲間を訪ねて訪問させていただいた経験がありましたが、その時、予定では、その方とお会いできる計画ではあったのでしたが、急遽都合が付かず、その時の縁には至りませんでした。 ですが民謡の神様は私に熊本支援コンサートHANAの本番の日に再び、その素晴らしきご縁を授けてくださったのでした 

その方は、なんと2017年NHK民謡フェスティバルに隠岐しげさ節の唄い手として出演される予定なのです  普通の人だったならば、自分の出番がナイ場合には他県まで民謡イベントをわざわざ観に行くことなどしないことでございましょう  私が思うに人の上を歩む人は人と同じことをしていては同じ人ということだと考え、人がしないことをする人が、その上を歩まれる人だと感じるようになりました。

広島の赤田先生が「私は初級から上級までぜんぶ見るのよ」と私に教えてくださいました。 私が思う普通の人といいますのは、上級だけ観たがるのが普通だと考えますが、先生は違っておりました。 「初級と上級のどこが違うのかを理解出来なければね、大切な勉強になるんだから」と、おっしゃってました。 だから、きっと、色々なことを学びにいらっしゃったのだと私は想像を膨らませました 

実は初級の唄の中に学ぶべきものがたくさん隠されていたんですね  私達が行いました熊本支援コンサートを観て、一体、何を感じられ、何を学ばれたのか それはご本人にしかわからないことではございますが、確実に何かを感じ取られ、その方の身や心に何らかの民謡心が浸透されたことであるように願っております 

私は、その方の心の民謡をNHKホールにて聴けると思いますと、心の底から嬉しいのです  6月18日までには、何としても生きて健康を保っておきたいです  それに私が心より尊敬しております、じろうさんとも、高見春代さん唄われます 音戸の舟唄にて、共演出来ると思いますと万感な気持ちが込み上げてくるのでございます 



栃木県の桜美人さんも毎年、出演され、その功績は素晴らしいですよね  このブログを一番最初に奨めてくださったのが、桜美人さんなのです  今年も出演されると伺いましたが、どんな曲にて出演されるのかも楽しみにしておりましてね  私は、音戸の舟唄の合いの手の役なんですが  まさか自分が、あの紅白のNHKホールに立てる日が来るなんて  まだ来てはおりませんけれども  夢のようですね 

この限りなき大きなチャンスを与えてくださった、熊本県の高見春代さんに心よりお礼を申し上げたく  誠に有難うございます  あと1か月を切りましたが、お互いに健康で良い状態で臨めますよう民謡女神様、どうかよろしくお願い致します  本日もご拝読、誠に有難うございました 

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 須賀道子さんとの運命の出会い

2017-05-20 09:20:15 | 熊本支援コンサートHANA
 須賀道子さんおはようございます  私はとうとう民謡人生に於ける自分の夢であった、あなたと出会うことが叶いました  誰だって生きていて夢は一つはあると思う  私の夢は、あなたと会うことでした。 いや正確には生きて動いている須賀道子さんを自分の目で観ることでした 
私が道子さんを初めて知ったのは、ふるさとの日本の民謡(九)九州編というCDを購入し、14曲目 久留米のそろばん踊り を聴いた瞬間でした  澄んだ声  クセのない美しく見事な発音  そして恋を熟知しているかのような歌詞に出てくる男達を翻弄するかのような見事なセリフ  の言い回しに 

私が翻弄されてしまった   私は、CDの須賀道子さんに  に落ちてしまったのでした  これから民謡を心から愛し  長く歩んでゆくと  きっといつの日かひとめ観れる日もあるかもしれないんだ  そう信じて生きることにしたのでした  その思いが灯っている限り  私の民謡魂は燃え続けることが出来、結果、民謡は少しづつ上達を重ねてゆき  いつの日かご褒美に道子さんのコンサートに自分を招待してやるんだと考えておりました。

その当時、私はとても辛い時代を生き抜いていたのでした  辛く生きることに疲れていたのでした  精神が苦しむ中、道子さんの、そろばん踊りだけが私の民謡の灯り  だったのです。 そんな中、私は民謡会を、ここ、インターネットで誕生させたのです  それが、和楽の会民謡 なのでございます。 この会は色々な民謡会に属されておられる方々が派を越えて交流できる場を設けたいとの私の思いから結成されたネット民謡会でございます。

ブログを書いていて、そこで世界一尊敬している人は誰との質問欄に 須賀道子 と答えたのを偶然にも検索をかけられ発見されたのが ご本人 であり  私は道子さんから直接、メッセージを頂くこととなったのでした  初めてメッセージを観た瞬間は嬉しさと驚きとで信じられませんでしたが  メッセージ交換はシーズンに1度のペースで進んでゆきました 

そのやり取りの中で、私から「和楽の会民謡の5周年が無事に来たなら須賀道子さんと一緒にお祝いしたいのです」との願いに  「そのような喜ばしいことでしたら喜んで出席させていただきたいです」との信じられないアンビリーバボーなお応えをいただいたのでした  道子さんは動画の私の唄を聴き、もっと腹筋を鍛えれば声が安定する  などアドバイスしてくださいました。

そうして何年かが経ち、このコンサートを実現できることとなったのです  ですが、それを成功させるためには人に言えぬ苦労と困難が待ち受けていたのでした  それでも私はついに須賀道子さんと会えたのです  私は民謡人生を歩むに於いて、一つの大きな夢を達成できた瞬間だったのです  道子さん夢を叶えてくださりありがとうございます  ファンの皆様、本日も民謡ブログを読破してくださり感謝です 有難う御座いました  楽しい休日を送ってくださいませ 

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 熊本を愛する人生のスタート

2017-05-16 20:55:04 | 熊本支援コンサートHANA
私は思わぬ秘書の提案と行動力にて熊本へ市長殿に会いに行くこととなった  行きは広島の廿日市まで高速道を我慢  早朝4時30分に江田島の家を出て熊本へと向かった 熊本には中学生の頃に修学旅行で行ったきりだった。 思い出深いのは熊本城の際立つ美しいラインの石垣と水前寺公園である。 4月9日に呉市役所のくれ絆ホールにて熊本支援コンサートを開き、そこで観覧者さまより熊本へ向けての愛の募金をお預かりしたのだった  私は熊本市エンタメ支援に振り込んで自分の役目は終わりだと踏んでいた。 ところが秘書は、これからだと言った。

私は心のどこかで、熊本を最近、観に行ってもない自分が熊本支援を行い、それでいいのかと自問自答していたのだった。 確かに中学時代に行ったきり、私は熊本のイメージも薄れていた現実はあった。 だからこそ、ここは秘書の提案に乗るのが良策なのだと信じ、事の成り行きを待っていたのだった。 秘書の努力は私の想像を遥か彼方に超えてしまい、私はとうとう熊本市長さんと対面する約束をすることとなった。 熊本市長殿と言えば、最近、NHKドキュメンタリーなどでも取り上げられており、地震にて崩れかかっている熊本城の再建に全てを掛けている、まさに歴史に残る見事な人物である。

あのテレビに出演し、熊本城を救おうと必死で考え知恵を絞っておられる勇敢な熊本を代表されるような素晴らしい方と直接会えると思うと、私はまるでこの世を去り、天国へと導かれたような気持ちになっていた。 本当に会えるのだろうか  あの憧れの熊本市長殿と私は、もしかして握手をするかもしれない  あんまり嬉しいので私は舞い上がっていた。 それにしても、その前に生きて健康な姿で熊本まで辿りつく必要があった。 熊本のために全ての貯金を使い果たした私に新幹線を使用するなどの裏技は毛頭浮かばなかった 

私はフィットで行きます  1300ccです  なんとか生きてゆきます  そう心に誓い家を出て1時間30分、早朝の6時頃、やっと廿日市ICインターへと高速道へと入った もう安心  私はもう半分着いた気持ちでいた  高速道ならスピードが早いので 楽勝くらいに考えていた  がしかし、下関までは割と早かったのだったが・・ 九州に入ってからが意外に長かった  走れど走れど熊本はまだなのか  もしかして私が車で走っていても 逃げているのではなかろうか  と疑うほど着かなかった。

秘書は熊本ICインター手前の北サービスエリアにて着物  を着ておくといい、外に飛び出した。 私もこの時、着物に着替えようと考えたのだったが  ここから熊本ICインターまで着けたとしても、そこから下道でまだまだ20分以上かかりそうだった。 なのでこんなところで着物に着替えたとしても  運転して汗だくになれば、着物にしわが寄るし、なにより型が崩れる  崩れるならば、着いて駐車場で着替えるのが得策だと判断  私は秘書が車に戻ってくるのを待った 

だが、なかなか戻ってこなかった。 停車させている車の中には、大切な三味線がケースに入って出発を待っていた  この日は運が悪く日差しがきつく暑かった  熊本ってところは、江田島に比べて暑さが輪をかけて違っているようだ  このままでは三味線の皮が危ない  秘書を探しに行くしか方法はなかった。 このまま待っていては、もしかすると式典に間に合わなくなると嫌な予感が脳裏を走った  すると秘書は嬉しそうな表情を浮かべて私に 「こっちに来て来て」と手招きを始めた  その瞬間、私は 「すぐに車に戻って 出発するからお願いね」と言った。

どうも、熊本の方と仲良くなれたみたいで私も紹介したかったらしい・・ がとにかく私には余裕などなかった  まず、この車には  ナビ が付いていないのだから・・ 前日に熊本市役所までの道のりの方角と、どのように市内電車が走っているのか を私はにらめっこしながら覚えていた  大体の方角さえ合っていれば、あとはなんとかなると思っていた。 熊本ICインターを降りて、中間くらいまで走ったところでガソリンスタンドへと逃げ込んだ 

ここで目指す方角が合っているのかを聞いてみた。 スタンドスタッフ 「この横の細い道路を真っすぐ進んでください。 突き進むと陸橋のある交差点に差し掛かりますので、右折して電車道路を進んでください。 市役所や熊本城が見えてきますよ」と丁寧に教えてくれた  大体合っていた、私は安心したが時間があまりなくなっていた  もう恐らく市長殿は、下通り商店街に着かれている頃であろう。 この日は内閣総理大臣の安部首相も熊本市内に視察に来られている大変多忙な日であった 

秘書が、そんな忙しい日4月15日(土)に、どうやって私と市長殿との面会を実現させたのかと思うと私は秘書の腕が怖くなった  それにしても熊本市長殿も凄すぎる  私のような一個人に、こんなにも忙しい過密スケジュール の貴重な人生の時間を10分も分けてくださるとは  私は心の底から感謝をし涙の出る思いだった  もうすぐ市長殿と会えるのだと思うと嬉しくて泣きそうになっていた。 私は熊本市役所に無事に辿り着き、約束の11時30分まで、残り15分あった  落ち着け、落ち着くんだジョー  私はコンサートで着た紺色の馴染みの着物を着た  こんなに自分の着付けに気合を入れたのは初めてだった  駐車場の車の後ろにて急いで確実に着物を着ていった 

外に出ると下通り商店街は、すぐ横だった。 生まれて初めて熊本の下通り商店街を歩いた。 秘書は熊本支援コンサートHANAのポスターを持っていた。 私が市長殿に目録を手渡す際に観覧者さまや市長殿にわかりやすくするためだと言っていた。 どこまでも最善を尽くす秘書であった  よくも、こんな夢のようなシーンを演出してくれたものだと心から感謝した  11時23分くらいに控室である白いテントの中に通された。 そこには熊本テレビのアナウンサーと思われる美女が一人とスタッフさん、更には、はんにゃさん(2人組)がおられた。 私は、とにかく緊張すると思い、周りを観ようとせずに、まずは三味線をセッティングした。 そして譜面立てを組み立て、譜面をセット  すぐに熊本県民謡である 五木の子守唄 の練習に取り掛かった。

その時、はんにゃさん(剣道が強い方)が私の三味線の音色に反応された  「良い音色ですね」と一言、褒めてくださった。 私は練習に集中していたので黙ってそのまま弾いていた  後でわかったことなのだが、はんにゃさんも和楽器をたしなんでいたそうで、三味線を弾かれているとか  そんなんだったら、少しだけでもお話したかったなと後で、ちょっぴり後悔をした  秘書はすぐにカメラを構え、はんにゃさんに記念撮影をお願いした。 はんにゃさんは、とてもお優しい方々であり、笑顔でOK 満面の笑みで一緒に写真に写ってくださったのだった。 芸能人ってすごいですね。 これも縁だと信じたい。 それからテレビに出てこられると、私はまるで兄が出演したかのように喜んだ  はんにゃさんと、またどこかで会えるかな 

その後すぐに熊本市長である、大西一史さんがテントの中に入って来られた  ついにその時は来た  私の人生46年間の中で、こんなに尊敬している人物と会えることは、なかなかありませんでした。 いや、凄い  市長さんは、すぐに私に挨拶の言葉を述べられ 「熊本のために支援コンサートを行ってくださり有難うございました」と深々とお辞儀をしてくださった。 私も、「熊本市長さんとお会いできまして嬉しく思います、有難うございます」と同じく深くお辞儀をした。 市長さんの優しい心が握手をした手の温もりから感じ取れた。 感動の思いが込み上げた瞬間であった  そしてスタッフから簡単なリハーサルを伺い、私はすぐにステージ後方の階段前で待機をした。



今日は五木の子守唄を市民の皆様や市長殿に披露させてもらえるのだが、須賀道子さんも母もいない  私が弾き 私が歌わなければならなかった  誰も助けてはくれない  ただ横には秘書がポスターを持っていつもの笑顔で立っていた  まず、熊本支援コンサートでの募金の目録を市長殿に手渡した  熊本市長殿を始め、市役所の方々、秘書、市民の方々、アナウンサーに心より感謝した。 このたった10分の時間が、私達、和楽の会民謡のために用意していただいたのだと思うと一生の恩を得たような気持ちになった  人は人から受けた恩を忘れないという 

私は、どんどん熊本が好きになっていった  島根県隠岐の島も好きだが、熊本も気に入ったのだった  その後、すぐに熊本県民謡である 五木の子守唄 を市長殿や市民、約120名の前で披露させていただくこととなり、私は自分の持てる民謡の技と熊本への感謝の思いを込めて3番まで弾き語った  この唄と三味線は、一生に一度だけ披露できるのだと感じた。 そのような恵まれた素晴らしい条件で演奏ができるなんて、一生涯の中で一度あれば最高に嬉しいと思ったからでした 



それもこれも、今回、熊本支援コンサートに共感してくださり他県からも多くの出演者の協力があってこそだったのです。 私一人であれば、何も協力など出来ません。 なので全ての出演者や協力者のお陰もあり、このような恵まれた経験を踏むことが出来たのでした。 皆様、秘書も、そして熊本市長殿、市役所さん、有難うございました。 心から感謝申し上げます  そしてここまでご拝読くださりましたファンの皆様、いつもブログを読んでくださりまして、誠にありがとうございます  人気ブログランキング