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ふたつの心

2013-07-01 19:00:01 | 心の病との闘い
キム・ナンドさんは言う 人間は猿と同じように壺の中にある エサを手で掴み・・ そのエサを離すことができないから手が抜けずに苦しんでいる  そういう人はたくさんいるのだと・・  それはいったいどんな意味を示しているのだろう。  一度得た何かを失いたくないという基本的な思いが抜け切れずに新たな道を見るに至らないということなのだろうか。

底は意外に深くはないとも述べている。  見えない底を人は怖がり一歩を踏み出せないで苦しむ人も多い・・ けれどキムさんの人生では、そんな時、思い切って離してみるらしい。  その経験から得たことが本には書かれていた。  想像するのは暗黒の底のみえない不気味な空想の世界であったが・・  離してみても・・  予想以上に深くはなかったのだと。

人間はどんな時にもふたつの考え方を比べながらそれを判断し選んで生きていると僕は思う。  人から何かを頼まれた時に・・ その人との人間関係の度合い、頼まれたことの自分にとっての重要性、それに自分が受けても大丈夫かなどを総合的に頭の中で判断をしてゆく。  受けるのか断るのか・・  あるいは・・ あいまいにしておくという道もあるのかもしれないが・・ 大概はふたつの道であろう。

時として人間はふたつの心に迷いが生じることが起る。  それが自分の人生に対し見えないほどの大きな影響力を持つものだと想像すれば選べない時を悩みながら生きてゆくこととなるのである。  私は今、生きていていったい何が正しいのか判断ができなくなってしまった。  人にいくら聞いても正直、意見は十人十色である。  結局は自らが判断せねばならないのである。

いったい自分がどれだけ悪い人間であるのか良い人間であるのかでさえわからなくなってしまった。  でも、それが人間なのだとも思う。  この世の中に自分の全てに自信と自覚を持っている人がいったい何人いるのだろうか。  それにそんな神様のような素敵な人間がいたとしても・・  私は同じようにはなれないし、なりたいとも思わない。



 ここから私の病について話題は暗くなります 明るい話題だけ読みたい方は飛ばしてくださいませ

あなたは、今の自分が好きですか?  許せますか?  希望を持って歩めていますか?  何のために生きていますか?  今の僕は疲れきってしまっていて、心が病に犯されてしまっています。 けれども、その恐怖を味わうことが恐ろしくて = 毎日、散歩を始めました(恐怖、軽いパニック症状から逃れるために)。

僕は若い頃、自殺する人のことを勿体無いとか弱いとか、無責任だとか、僕の周りの健康な方達がおっしゃることと同じことを思っていた。  だから同じようなことを言われても当然だと思います。  それが普通のごく自然な考え方だと思ってました。  この間も私のお客様が、「恐怖心とは何が怖いんだい?」と聞いてくださいました。  実は、このことを言葉に書き伝えることは難しいのです。  だから僕はお客様自身をひとつの例にたとえて説明をしようとしたのですが・・ 「例えて説明されると話が脱線してしまうのでますますわからなくなってしまうから」と困った表情されましたので・・ 私も、例えて表現をしませんと伝えることはできませんので、このお話は止めましょうということになりました。

ここで、ブログにて、私の置かれている状況がいったいどんな恐怖であるのか・・ ファンの方に書いて説明してみたいと試みることに致します。 これは深刻に考えないようにしてくださいね。  よく世間では、自殺するのは親不孝であると言われております。  私は今、生きておりますが、僅かではございますが、自殺する方の心境が理解できるように少しなりました(自分が病んでパニックを味わいましたので) ここから例えとしてお伝え致します。

例えとして あなたという言葉を使用させていただきます(*わかりやすくするためにです) あなたはビルの10階の窓のあるお部屋に住んでおりました・・ 信じられないことにビルは火事になってしまい・・ あなたが気が付いた時には煙と炎とでエレベーターや階段に行くことは不可能です・・ あなたはお部屋からは出られず・・ ただ窓を明け外の空気を吸うだけです。 ← この時が僕がなったパニックの症状の例えです。  火がもう近くまで迫ってきて熱くて熱くてどうしようもなくなってきます(限界!) ← この時、あなたならどういう行動に出ると考えますか?

私だったならば、窓から飛び降りることでしょう・・ 耐えられない熱さから逃げる一心だからです!! 死んででも逃げたくなるような恐怖!! それが自殺を誘うパニックに似ているのだと私は考えているのです。  その時点で常識を考える余裕などございません。  その熱さに焼かれてゆく地獄を味わうくらいならば飛び降りる方がましだと考えるのではないでしょうか。  私を襲った1月4日のパニックは、そんな大きな力ではありませんでした。 けれども、もし、その軽いパニックを放置しているとしたならば・・ 私は自殺に追い込まれることとなっていた可能性があると考えます。

私はまだ死にたくはない! その心の病のパニックを引き起こす源が怖い! ← この源というのは長い年月に強いストレスや体力消耗などが重なって限界を超えると出来てしまうものだと自分では解析しております。  人間の心の中には、ストレスにどれだけの間や強さに耐えられるのかの許容量がそれぞれございます。  その許容量が満杯にならないように、時としてカラオケに友人と行って楽しんだり、お酒が好きな方は友人と飲みに行ったり、旅行好きな方は旅行に行って、受けたストレスを減らしてゆくのです。

私は医師から発達障害があると診断されました。  大勢の中でのコミュニケーションが苦手です。  ですので友人と呼べる人は滅多におりません。  有難いことに現在では、民謡を通じて全国に私のことを心から心配してくれる仲間が何名かできました ありがとうございます  けれども私は長い自分の人生の中でお酒も飲めず(苦手で)、人付き合いも苦手で・・ 散髪屋さんで母と二人で頑張って生きてきました。  そのような人間ですのでストレスを受けていても解消する場が少なかったこと。

それに自分の生き方もだらしなかったんです。 色々なさまざまなことが重なり私の許容量を超えてしまったのですね。 人間は許容量を超えてしまうと恐らく身を守るために脳はその本人に恐怖という罰を与えるのだと思う。  その恐怖が恐ろしくて → 脱却しようと動く → 治るかもしれない ← これが今の私の正直な状況です。  暗いお話はここまでとしておきます。  ご気分、皆様大丈夫でしたか、申し訳ございませんでした 


 ここからは明るい話題へと入ってゆきます 

昨日、私は稼ぎ時の日曜日のお店を午前中だけにして午後から閉め、広島へ向った 散歩を半月継続して一時的に不安パニックから抜け出しているとはいえ、底に隠れているだけだ。 不景気な中、お店を閉めるのにも勇気が必要であった。 が私はキム・ナンドさんの本を読み、ひとりで遊んではだめだ という言葉に心を打たれたのであった  そうだ せっかく1600通ものハガキの中から奇跡的に選ばれた たった20組の 呉市のど自慢仲間 私がリーダー役を頼んだ今週のチャンピオンになった カレンさんの為にも みんなの為にも 何より自分の為にも僕は重い腰を上げみんなに再会しに出掛けたのであった。

時間はギリギリだったが汗まみれの体をシャワーで流し服を急いで着て港まで車で出掛けた 果たして2時までに本通りのカラオケボックスまで間にあうのだろうか 港から高速船を利用し広島は宇品港へ  そこから市内電車で本通りの駅まで30分・・ 残り5分だった 膝が悪いけど走るしかない ジャスト2時に間に合った そこには私を含めて14名の姿があった リーダーは、1階の最も奥に位置していたビップルームを予約してくれていた カラオケボックスで時折感じることは・・ 隣通しに他の部屋がある場合には、両側からカラオケの音が割りとうるさく聞こえてくることである これは商売だから仕方がないことであるが気持ちのよいものではない。

現に和楽、岡山支部のレディー達との練習の時に まねきねこ(岡山のカラオケボックス)に行ったのだが・・ やっぱり両側でカラオケする人の声や音楽がうるさくて、三味線を伴奏しにくかったことを思い出していたのであった  だが、今回のビップルームは違っていた。 最も奥にあるお部屋で両側にお部屋がないタイプであったために異音が全くなくて快適であった  私は、のど自慢でみんなが歌った歌を何度も家のテレビで繰り返し観ていたので、正直、みんなにとりあえずは、のど自慢での出演曲を歌ってもらいたかった が僕としては意外ではあったのだが・・ のど自慢での歌というのは、自分が歌いたい歌ではなく、家族や上司が勝手にハガキに書いて出したものもあったようで・・ みんなほとんどの人が違う歌を歌って楽しんでいた。

だが僕にとっては知らない初めて歌ばかりだったので、少しわかりにくかった。 けれども、のど自慢に出た人ばかりだけあって・・ 誰が歌っても素晴らしい みんなそれぞれに訴えるものがあり 僕は感動した 中でも、89歳のトイレに氷川きよしさんのポスターを貼っていると笑わせた ふみえさん  なんとも元気で若いものに負けてなどはいなかった  私は迷わず ふみえさんの隣に座らせていただいた。 私にはおばあちゃんの価値の大きさがなんとなくわかる。 若い世代には味わいたくても味わうことのできない厳しい時代を途中で道を外すこともなく堂々と歩んでこられた ふみえさんに 僕は脱帽する  ふみえさんは89歳 赤田先生は79歳(数えで80) 本当に素晴らしいし すごすぎる その方達が歌うと・・ 心にズシーンと響くのです 堂々さ 強さ 深いやさしさ 広い器 活き活きさ。

私は42歳、まだふみえさんの半分にも満たない・・ なんて小さなことで悩んでいるのでしょうか  とてつもなく大きく立派な方に見え感じられ嬉しく思うのです それに若い世代の方達もそれぞれに素敵で個性を持っています 僕が若い頃を想像しておりました。 遊ぶことか彼女が欲しいことかお金がもっと欲しいことしか考えてなどいなかった  今、考えると若さという特権、輝きに全く気がついてなどいなかった  人間はなんでも失わないとそのものの本質を理解できないのだと今は感じております。 勢いだけで歩んでいた10代  趣味だけに力を注いだ20代  家庭を持たなくてはと格闘した30代  そして今、思うように歩めていない苦しむ40代・・ でもだからこそ、苦しむからこそ生まれてくるものがある。 苦しんだからこそ理解できるようになることだってあるのです

僕は尾崎豊の ふたつの心 という歌をみんなの前で歌った この歌詞は私の魂の叫びに似ているし私の理想である。 人生の苦しみを経験し そこに深みのあるやさしさが生まれる そしてその困難を越えた時 人は大きくなっている そんな経路をたどったものでないとこの歌を表現することは難しい。 僕は、それがいったいどこまでできるのかを久しぶりに試したかった・・ 人の前で歌ったのはいったいどれくらいぶりだろうか・・ 若い人達は尾崎豊なんて聞いたことがあるのだろうか 僕が嬉しかったのは・・ 僕が歌っている時にみんななぜだか静かに聴いていてくれたことだった。  みんな僕が歌にして訴えようとしていることをまるで理解してくれてるかのようであった。  僕はカラオケをする時はなるべく、人が歌っている時には聞くように努力している。  なぜなら、歌っている最中に関係ないことをべらべらしゃべっているほど悲しいことはないからだ。  人にされたくないことは、自分もなるべくしないように心がけた方が良いのである。  聞いてくれたみんなに ありがとう

それと春のコンサートを僕が主催で行ったことにより、主催することの大変さを学んだ僕は、今回のカラオケ送別会において自分なりに考えていたことがあった。 それは僕が同窓会のリーダー役にと頼んだ、今週のチャンピオンに輝いた カレンさんのことだった。  彼女は、みんなの住所や連絡先を書いたものを保管してくれて、今回のカラオケ送別会を企画、全員に連絡、確認・・  手間を随分とかかえられたことであっただろう。  私は春に自分が開催した経験から学んでいたので心に引っかかっていた。  彼女に何も感謝の気持ちがないのは申し訳ない  私はカラオケの最中、外に飛び出し花屋さんを探した そして花束を作ってもらった 私はカラオケルームへと戻って、すぐにリーダーの元に近づき・・ 「あなたのお陰でこんな素敵な送別会を行うことができました これは感謝のお気持ちです」 と延べ花束を渡した。

正直、この行動は良いのか悪いのか僕にはわからなかった。 見方によっては一人が目立ってしまう単独行動になるからであった。 けれども・・ カラオケが始める際に一人の女性が、呉の銘菓を持参してくれていたのであった  その行動に私は感動した。 そうだ、集団といっても何もしてはならないことなどない。 良いと感じることは各々が責任を持って行動に起こすことは決して悪いものにはきっとならないのだと私は一人確信していた。 もし何人かが悪く思ったとしても・・ 骨を折り、リーダーをこなしてくれた彼女が喜んでもらえるのであれば、私はそれでいいのだと思ったのでした。  私は隠岐の先生から認められた 大馬鹿野郎 だから・・ それくらいの心を表す行動はあっても良いと思ったのでした。

花束を購入し お花屋さんは笑顔・・ それにリーダーも笑って喜んでくださった  私も笑顔になった  彼女がみんなを集め動いてくれたお陰でまた新たな素敵な思い出ができた  私は苦しい中から勇気を振り絞りまた一歩外に出歩いたのであった


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