音戸の瀬戸公園 桜の下にて 隠岐新しげさ節 ♪
和楽民謡ファンのみなさま お花見されましたでしょうか まだの方は、こちらの ゆうさんの動画で お花見 を楽しんでくださいましね
ここは私が亀谷さんと初めて春のコンサートにて出会った思い出の地なのですよ 待ち合わせをしたわけでもなかったのですが あの時の清々しい笑顔は美しく私の中で印象に残っているのです。
隠岐でもうすぐ再開できますね 嬉しいですね こちらはお先に姫路の菅笠節全国大会に出場して大会の雰囲気を味わっておきますのでね
桜も満開になり 完全に春が来ましたね 新年度です 今日だけは嘘が許される日と私は聴いておりますけれども このブログではつきません
この動画でお三味線を弾いておりましたけれども、母は近くを散歩しておりましてね 三味線の音色に付近の人達が興味深々な表情で嬉しそうだったよと後から聴きまして嬉しく思ったのでした。 昔は桜の下で三味線なんて当たり前の時代があったのでしたが・・ わざわざお着物を着て三味線を弾き、立派な三脚立ててビデオをセットまでするという人間は、この広い日本の中にそう多くはいないことでしょうね
この動画、私の命がいつの日か尽きましても・・ きっと残ってゆくことでしょうね そう、みんなにも命があるのです 一人ひとりにはわかることはできないのですが、以前、仲間の一人から民謡全国大会のテープを送って頂け、聴きましたところ・・ 素晴らしい心の篭った唄だったのでしたが、どうも喉の調子が明らかに悪い選手がいたのでした
私は気になりましてね 仲間に聞いたのです 「この方は練習をしすぎて喉を痛められたのでしょうかね 」って・・ そしたら 「いいえ この方はガンに掛かってしまってたそうで翌年にお亡くなりになられたそうですよ」 私は体全身に稲妻が走った(ショックで) その時、人間には寿命がわからないが、明日の命の保障は常にないという現実を学んだ。
極端なことを述べると 隠岐の大会まで もしかしたら命はないのかもしれないのだ 私はそのために春のお祝いコンサートを開いた(夢の実現をした)尊敬する赤田鶴子先生をみんなで一緒に祝いたかったので、この大きな経験は今の自分を生かしてくれている。
人は一体、何のために毎日、いや一日、生きているのだろうか 好きな人のために、自分のために、いや尊敬する人のために、あなたは何が出来ますか 私は何ができるだろうか 今、私は命がなくなったとしても何の後悔もありません。 隠岐には何度も行ったし春のコンサートを行う夢も叶えました。 そりゃ大きな夢は音戸日本一、民謡フェスティバル出場、隠岐しげさ節三味線日本一、いくつもございます。
けれども、きっとそんな夢は通り道にすぎないのかもしれませんね。 私の志とは何なのか 人生の道のりの中で少しずつ歩んでいき目標とする道をよく考えてみる必要があるはずなのです。 本日もご拝読、誠にありがとうございました
人気ブログランキングへ
ファンの皆様 いつも絵柄クリック応援ありがとうございます
和楽民謡ファンのみなさま お花見されましたでしょうか まだの方は、こちらの ゆうさんの動画で お花見 を楽しんでくださいましね
ここは私が亀谷さんと初めて春のコンサートにて出会った思い出の地なのですよ 待ち合わせをしたわけでもなかったのですが あの時の清々しい笑顔は美しく私の中で印象に残っているのです。
隠岐でもうすぐ再開できますね 嬉しいですね こちらはお先に姫路の菅笠節全国大会に出場して大会の雰囲気を味わっておきますのでね
桜も満開になり 完全に春が来ましたね 新年度です 今日だけは嘘が許される日と私は聴いておりますけれども このブログではつきません
この動画でお三味線を弾いておりましたけれども、母は近くを散歩しておりましてね 三味線の音色に付近の人達が興味深々な表情で嬉しそうだったよと後から聴きまして嬉しく思ったのでした。 昔は桜の下で三味線なんて当たり前の時代があったのでしたが・・ わざわざお着物を着て三味線を弾き、立派な三脚立ててビデオをセットまでするという人間は、この広い日本の中にそう多くはいないことでしょうね
この動画、私の命がいつの日か尽きましても・・ きっと残ってゆくことでしょうね そう、みんなにも命があるのです 一人ひとりにはわかることはできないのですが、以前、仲間の一人から民謡全国大会のテープを送って頂け、聴きましたところ・・ 素晴らしい心の篭った唄だったのでしたが、どうも喉の調子が明らかに悪い選手がいたのでした
私は気になりましてね 仲間に聞いたのです 「この方は練習をしすぎて喉を痛められたのでしょうかね 」って・・ そしたら 「いいえ この方はガンに掛かってしまってたそうで翌年にお亡くなりになられたそうですよ」 私は体全身に稲妻が走った(ショックで) その時、人間には寿命がわからないが、明日の命の保障は常にないという現実を学んだ。
極端なことを述べると 隠岐の大会まで もしかしたら命はないのかもしれないのだ 私はそのために春のお祝いコンサートを開いた(夢の実現をした)尊敬する赤田鶴子先生をみんなで一緒に祝いたかったので、この大きな経験は今の自分を生かしてくれている。
人は一体、何のために毎日、いや一日、生きているのだろうか 好きな人のために、自分のために、いや尊敬する人のために、あなたは何が出来ますか 私は何ができるだろうか 今、私は命がなくなったとしても何の後悔もありません。 隠岐には何度も行ったし春のコンサートを行う夢も叶えました。 そりゃ大きな夢は音戸日本一、民謡フェスティバル出場、隠岐しげさ節三味線日本一、いくつもございます。
けれども、きっとそんな夢は通り道にすぎないのかもしれませんね。 私の志とは何なのか 人生の道のりの中で少しずつ歩んでいき目標とする道をよく考えてみる必要があるはずなのです。 本日もご拝読、誠にありがとうございました
人気ブログランキングへ
ファンの皆様 いつも絵柄クリック応援ありがとうございます
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます