広島 原爆の日 民謡慰問♪ 沖美町 まほろばの里
8月6日の朝8時15分 昔の広島に原子爆弾が落とされた 唄を歌ってくれた母は、その原爆により強烈な熱戦を浴びて大やけどを負った父の背中のうじ虫をピンセットで取っていたそうだ。 そう、母は原爆が落ちた頃、まだ若く、家計は貧しく苦しい時代を乗り越えたのだった。 結婚をしてからも夫がお金使いが荒くて借金ばかりを払わなければならなかったために大変壮絶な苦労を乗り越えなければならなかった。 そんな中、母の唯一の楽しみは唄うことだったのである。
母は私が小さな頃から、よく唄を歌い聴かせてくれていた。 母はどんなに辛くても、あんたらを家に置いて逃げ出す勇気などなかったという・・ 逃げて楽に生きれるほど人生は甘くはなかった。 母は何度泣いても僕たちを耐えて耐えながら育ててくれたのだった。 今、思うと・・ 母のその多くの苦労は民謡に似合うと僕は思う。 母のその乗り越えてきた人生の道のりが確実に民謡の魅力へと繋がっているように感じている。 民謡には、残念ながら苦労を乗り越えるという修行が必要だと僕は思う。 つまり、苦労を知り、優しくなるだから、母の唄は優しく、また民謡を愛する気持ちが唄に現れていると思っているのです。
母と、あと何度、三味線伴奏を合わせることが出来ようか この動画は、私にとりまして、それを証明する貴重な映像なのでございます ここ、沖美町のまほろばの里では、過去にも赤田鶴子先生と協力して民謡慰問をしたことがあります それらの歴史は、もう消えることはございません。 私にとりましては宝石より美しい実績です そして、この母との慰問も同じように輝く温かいものです 民謡というものは、若い方々には多くは知られてはおりませんけれども、おじいちゃん、おばあちゃん達には知られており、このような慰問を開きますと大変喜ばれます 一人でも、たった1名でも心から喜んでくだされば、私達も嬉しいですし、遣り甲斐があるというものですね
皆様もどうですか ボランティアで輝いてみましょう 本日もありがとうございました 素晴らしい一日を送ってくださいませね いつもご拝読、だんだん
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8月6日の朝8時15分 昔の広島に原子爆弾が落とされた 唄を歌ってくれた母は、その原爆により強烈な熱戦を浴びて大やけどを負った父の背中のうじ虫をピンセットで取っていたそうだ。 そう、母は原爆が落ちた頃、まだ若く、家計は貧しく苦しい時代を乗り越えたのだった。 結婚をしてからも夫がお金使いが荒くて借金ばかりを払わなければならなかったために大変壮絶な苦労を乗り越えなければならなかった。 そんな中、母の唯一の楽しみは唄うことだったのである。
母は私が小さな頃から、よく唄を歌い聴かせてくれていた。 母はどんなに辛くても、あんたらを家に置いて逃げ出す勇気などなかったという・・ 逃げて楽に生きれるほど人生は甘くはなかった。 母は何度泣いても僕たちを耐えて耐えながら育ててくれたのだった。 今、思うと・・ 母のその多くの苦労は民謡に似合うと僕は思う。 母のその乗り越えてきた人生の道のりが確実に民謡の魅力へと繋がっているように感じている。 民謡には、残念ながら苦労を乗り越えるという修行が必要だと僕は思う。 つまり、苦労を知り、優しくなるだから、母の唄は優しく、また民謡を愛する気持ちが唄に現れていると思っているのです。
母と、あと何度、三味線伴奏を合わせることが出来ようか この動画は、私にとりまして、それを証明する貴重な映像なのでございます ここ、沖美町のまほろばの里では、過去にも赤田鶴子先生と協力して民謡慰問をしたことがあります それらの歴史は、もう消えることはございません。 私にとりましては宝石より美しい実績です そして、この母との慰問も同じように輝く温かいものです 民謡というものは、若い方々には多くは知られてはおりませんけれども、おじいちゃん、おばあちゃん達には知られており、このような慰問を開きますと大変喜ばれます 一人でも、たった1名でも心から喜んでくだされば、私達も嬉しいですし、遣り甲斐があるというものですね
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