本場肥後の民謡歌手 おてもやん 阿蘇山は大観峰にて
和楽民謡ファンのみなさ 今日は凄い動画を用意させていただきましたよ こんな幸せな動画に出演できたことを本当に誇りに思います 母と九州旅行に行く際に熊本県、いや全国でも有名な民謡歌手である春代さんに、なんと 「私で良かったらですが阿蘇を案内してあげますよ」との大変、有難い申し出を受けましてね・・ それで母に報告を致しましたところ・・ 母は人に気をつかうタチですので どうも乗り気じゃなく、私は母に頭を下げる事態に陥っていたのでした
「母さん、僕を日本の一番大きな舞台に呼んで連れていってくれた、僕にとっては命の恩人というべき大切な民謡人なんだよ、だから、気を使って辛いのだろうけれども、今回は我慢してくださいね」と必死に頭を下げました。 母は気を使ってしまう性格なので、いつもこうなんです。 だけど、僕は生きているうちに、どうしても、この春代さんに挨拶に伺いたかった夢を持っていた。 生命というものは、いつまで確実にあるという保証などない。 明日の命は誰にもわからないものなのです。
10年間も民謡の道を自分なりに歩いてきて、赤田先生、夢先生、ナシ先輩、サト先生、桜さん、そして春代さん。 本当に素晴らしい先生方との出会いに恵まれて、私の民謡人生は本当に幸せでした だから、どうしても、ご挨拶に、もみじ饅頭片手に訪問したかったのでした 江田島から熊本まで車で伺うってのは、まさに命掛けでした。 それでも、直に挨拶に伺えるってのは、とっても幸せなことだし、私にとって、私の民謡人生に花を咲かせてくださった大切な方なのです。
だからこそ、こんなに有難いお誘いを断る理由など、私には毛頭ございませんでした 春代さんには、「阿蘇に三味線を持参してよろしいでしょうか」と伺っておりました。 すると「誰に聴かせるのですか」と不思議がられましてね 私は 「赤牛さんにでも 」とだけ答えておいたのでした。 そして、案内していただける運命の3月28日がやって参りましてね。 私は熊本県の春代さんの家に伺ったのです。 そこからは、春代さんのお車に乗り替え、阿蘇へ案内していただいたのでした。
三味線をせっかく持ってゆきましたので、まずは、母と隠岐しげさ節を大観峰にて演奏してみました♪ その光景を春代さんは、なんか楽しそうに眺めておられました ですが、私達、親子は、目の前に大物、有名な民謡競技者さんが観てくださっているという極限の緊張感に包まれましてねーーー 二人とも、思うように日頃の練習の成果を出せずにいたのでした ところがです それが終わったら、突然、春代さんから思わぬ発言が飛び出したのです
『私も何か唄おうかな』 私、 『えーーー 本当ですかーーー』
この発言には、驚いた驚いた まさか春代さんが、こんな大自然の中で生唄を披露してくださるなんて、私や母にとっては夢の中の物語だったのです これは現実か 果たして・・ まぼろしか それくらい嬉しくて驚いたんです。 そして私は悟ったのです。 これが10年間、民謡を一生懸命に歩んだ、私達へのご褒美だったのだと 春代さんは、自由に、そして、伸び伸びと楽しそうに肥後民謡である おてもやん を唄われました それは、まるで16歳の少女が楽しそうに歌っているかのような、とっても楽しい民謡唄でした
私のその生唄を聴きながら三味線を弾いていて、これが本物の私が目指すべき民謡の姿なのだと痛感したのでした マイクを通さず、自然の中で、楽しみながら一体となって唄う もう心の中は、感動の渦 に吸い込まれるようでした。 実に素晴らしい民謡の節回しと声、そして何より楽しそうであり、そして踊りたくなってくるような、もの凄い魅力のいっぱい詰まった民謡だったのです
この経験が出来た母と私は、誠に幸せな民謡人です 春代さんに、また、一生の恩が出来ました。 今度は、いつの未来に伺えるかな 私は、そんな夢を描きながら、今日も時を過ごしているのでした。 本日もご拝読、誠にありがとうございました ファンのみなさん、春代さん、心からありがとう
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10年間も民謡の道を自分なりに歩いてきて、赤田先生、夢先生、ナシ先輩、サト先生、桜さん、そして春代さん。 本当に素晴らしい先生方との出会いに恵まれて、私の民謡人生は本当に幸せでした だから、どうしても、ご挨拶に、もみじ饅頭片手に訪問したかったのでした 江田島から熊本まで車で伺うってのは、まさに命掛けでした。 それでも、直に挨拶に伺えるってのは、とっても幸せなことだし、私にとって、私の民謡人生に花を咲かせてくださった大切な方なのです。
だからこそ、こんなに有難いお誘いを断る理由など、私には毛頭ございませんでした 春代さんには、「阿蘇に三味線を持参してよろしいでしょうか」と伺っておりました。 すると「誰に聴かせるのですか」と不思議がられましてね 私は 「赤牛さんにでも 」とだけ答えておいたのでした。 そして、案内していただける運命の3月28日がやって参りましてね。 私は熊本県の春代さんの家に伺ったのです。 そこからは、春代さんのお車に乗り替え、阿蘇へ案内していただいたのでした。
三味線をせっかく持ってゆきましたので、まずは、母と隠岐しげさ節を大観峰にて演奏してみました♪ その光景を春代さんは、なんか楽しそうに眺めておられました ですが、私達、親子は、目の前に大物、有名な民謡競技者さんが観てくださっているという極限の緊張感に包まれましてねーーー 二人とも、思うように日頃の練習の成果を出せずにいたのでした ところがです それが終わったら、突然、春代さんから思わぬ発言が飛び出したのです
『私も何か唄おうかな』 私、 『えーーー 本当ですかーーー』
この発言には、驚いた驚いた まさか春代さんが、こんな大自然の中で生唄を披露してくださるなんて、私や母にとっては夢の中の物語だったのです これは現実か 果たして・・ まぼろしか それくらい嬉しくて驚いたんです。 そして私は悟ったのです。 これが10年間、民謡を一生懸命に歩んだ、私達へのご褒美だったのだと 春代さんは、自由に、そして、伸び伸びと楽しそうに肥後民謡である おてもやん を唄われました それは、まるで16歳の少女が楽しそうに歌っているかのような、とっても楽しい民謡唄でした
私のその生唄を聴きながら三味線を弾いていて、これが本物の私が目指すべき民謡の姿なのだと痛感したのでした マイクを通さず、自然の中で、楽しみながら一体となって唄う もう心の中は、感動の渦 に吸い込まれるようでした。 実に素晴らしい民謡の節回しと声、そして何より楽しそうであり、そして踊りたくなってくるような、もの凄い魅力のいっぱい詰まった民謡だったのです
この経験が出来た母と私は、誠に幸せな民謡人です 春代さんに、また、一生の恩が出来ました。 今度は、いつの未来に伺えるかな 私は、そんな夢を描きながら、今日も時を過ごしているのでした。 本日もご拝読、誠にありがとうございました ファンのみなさん、春代さん、心からありがとう
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