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運命の出会い 隠岐しげさ節大会にて 第4話

2016-06-12 09:00:50 | 日記
隠岐の島にて二人の先生方に会っただけで済まなかった。 実はじろうさんからも紹介され、私は先輩と初めて会うこととなった。 一緒に夜店の焼きそばを食べた。 その時には先輩の素晴らしき人間性、才能、努力など知るよしもなかったのだが、この方は本当に私にとって隠岐の化石となるべき見事な三味線奏者であった。 そんなことも知らず、私は軽い会話を楽しんでいた。 翌日、私の隠岐しげさ節の伴奏に入ってくださっていた。 私が唄う直前、先輩は「ウッ」と腹底から気合を入れて頑張れよと言わんばかりの声を上げてくれた。 それが私には非常に嬉しかったし勇気が沸いてきたのだった。 そのお陰もあってか私は初めての隠岐で、いきなり初級唄部門47名の中で準優勝に輝くこととなる。


それから梨先輩は私を陰ながらよく支えてくださった。 私にとって梨先輩は隠岐を代表するにふさわしい見事な民謡人である。 そんな方と出会えたことは奇跡であったし、その思いは、この先、ずっとずっと私の心の中に残ってゆくことに間違いはない。 いつの日か必ず私は先輩に会いに伺うことであろう。 会いたくて身も心も私を許さぬ時期が必ず訪れることは私にはわかっている。 先輩には直接頭を下げ、感謝の意を伝えなければ、私は生きてはゆけないと思っている。 それだけ私は先輩を尊敬している。 そんな素晴らしい民謡人が隠岐にはたくさん存在することを、ここに記しておきます 


そして、ここからが本題。 私が初めて隠岐に渡ったこの日、第25回記念隠岐しげさ節全国大会 唄部門上級にて広島県の赤田鶴子先生が、なんと23年間かけ晴れて優勝され日本一に輝かれたのでした 私も同じ広島県の民謡人として、そりゃー嬉しくって嬉しくって  もう考える前に勝手に体が動いてたのです  私は観覧席4列ほど前におられた赤田先生の下に向かい伝えました 「先生、優勝、日本一、誠におめでとうございます」と心を込めて述べました。 実は赤田先生とは私にとりまして2度目の再会だった(音戸の舟唄の大会で1度、私は見ておりました)のでしたが、先生は私のことを知りませんでした。


先生は感激する私に名詞をくださり、そこから私は先生と時折、民謡を楽しむことになる運命となったのでした。 それから先生は、頑張る私に数々の舞台のチャンスを与えてくださることになるのです。 私もそれに応えるために激しい練習を積み重ねることになりました  先生との出会いが、ここでもしなかったならば、今の私は存在しなかったことでしょう。 そう考えますと運命の出会いというものは、動く決断が最も大切であることを知ります。 動かなければ、出会いも成立せず、自分を向上へと導いてくださるとも出会えないのです。 隠岐の島にたった一度行っただけで、私は、どれだけ何名もの素晴らしい民謡の師と出会えたことでしょう。


このようにたった一度の決断が、その後の世界を全く違ったものにするのです。 なのでまずはを履きましょう そして外に出るのです。 外にはお日様が そして青空が さらにはあなたとの出会いを楽しみにしている人間があなたを待っているのです  まずは動いてみましょう 必ずやあなた様の未来は開けてゆけると思うのです  私も動いてみますから  いつもご拝読、ありがとうございます 

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