ababa ...ひびのおたけび

CRPS・脊髄損傷…
病は体の自由を奪い痛みで蝕む
それでも私の心は自由で在り続ける
大空を羽撃く鳥の様に...

履歴書

2004-09-25 20:00:00 | 日記

27日の集団面接会の本準備に入りました。
昨日は、どうにかこうにか証明写真撮ったし。
あぁ~見れたもんじゃねぇ~今日は、履歴書の製作。
私〝あばば〟唯一人並みに毛が生えたくらいに出来る事が、
字を書く事のため、履歴書には五月蝿いのよねぇ~
1枚製作するのに、2,3枚は書いちゃいますね。
今回は、2,3社面接を受けるつもりなので多めに
4通履歴書を用意するつもりなので、何枚書けば良いのやら。
今の時点で2枚は完成いたしました。この日記書き上げたらまた、
履歴書書きに没頭しなければなりませぬ。

職安からの電話では、車椅子で就労できるかの確認は出来ず、
今までの実績から言うと2,3社くらいであろうとの事でした。
参加企業は二十数社、雇用予定の数だけは160名ほどですが、
毎年の実績は十数人停まり。数年前の集団面接会では、
会場に入ってすぐの説明の時点で、今回は聴覚障害の方・車椅子の方は
求人はないのでお帰り下さい。といわれたような事もあったらしい。
それなので、全く信用する事が出来ません。
やはり、県職に賭けるしかないのかなぁ。
昨年から一般事務と学校事務、二つに分かれてどちらも1名づつ。
昨年の受験者はどちらとも15名づつ受験して、
半数以上が一次試験で振り落とされて、最後に残るのは1名づつ。
かなりたかぁ~いハードルです。
SOHOで月に¥4,5万稼げれば無理に仕事を見つけなくても、
Fと二人で贅沢しなけりゃ暮せるし・・・
自宅で仕事出来て、自分の身体と相談しながら働く事ができるし、
どっかに勤めると多少身体の調子が悪くとも
無理しなきゃいけない時もあるし・・・
ほんとっ、仕事って難しいなぁ~
二足歩行の時分は、金曜日に求人案内買って、
自分に出来そうな仕事をチョイスしてして面接。
見事玉砕することもとっても多かったですね。
した所は100件越えるかなぁ?
面接も50回位したかなぁ?決まって短期でも働いた所は
何箇所くらいだろう?思い出せないや。
でも、人に「これはこんな仕事だよ」ってアドバイス出来るくらいに
なったかなぁ。今までは、腰掛け感覚・一時しのぎ・金銭的・・・
妥協して、いつ辞めても他の仕事探せるしいいやっと思っていれましたが、
今は心の余裕なんて全然ない。
車椅子であるというだけで仕事が出来ない、
仕事以前に面接すら受ける事が出来ない。
月曜日の集団面接会、吉と出るか凶とでるか?
当たって砕けろで頑張るぞー!!


準備

2004-09-24 20:00:00 | 日記
障害者の集団面接会は27日、来週の月曜日です。
県職員の障害者枠の申込書受付も27日、来週の月曜日。忙しい。
今日は、気合を入れまくって県職員の選考申込書を書いて、
母に郵便局から送ってもらい。
私は、27日の面接会用の履歴書の証明写真撮りに駅ビルに直行。
駐車場から店に入って直ぐある、写真屋に
「証明写真」を撮ってもらうことは出来ないか尋ねると、
ウチではやってない。近くにそういう店はないか尋ねても、
この辺にはない。・・・如何すりゃいいんかぁ~仕方なく、
店の出口にあるインスタント証明写真機の前に立つけれど
この状態では絶対に入れないし、イスに腰掛けることなんて出来ない。
えいっ、最終手段に出るしかあるまい。
写真屋に踵を返し、インスタントの証明写真機を使いたいけれども、
そのままでは無理なので丸イス何か貸してもらえませんか?と、
ご丁重にお聞き致しました。すると、
あの機械はウチが管理しているモノではないんです。
だから、正面入口にあるインフォメーションコーナーで
聞いてもらえませんか・・・ってイスくらい貸せよ。
機械が何処の管理とか関係ないでしょ。お客にとって、
この機械は何処の管理、そこの管理とか知ったこっちゃない。
同じ店は店なんだから。大体違う管理の機会を使えなくて困っているお客に
イスを貸すのは当然の行為だし、それが柔軟なサービスでないのかい?
お金の両替もしなきゃいけなかったので、
サービスセンターで両替してもらったついでに、
訳をはなしてイスを借りました。

さて、いよいよ写真撮影。イスを店員に押さえてもらい、
車椅子・丸イス・撮影用イスの順で移ったのは良いのですが、
撮影用イスは、座面が小さく勿論肘掛なんかございません。
もーぅ、座位バランスがとれないとれない。
ちょうど、イスを持ってきてくれた店員さん以外にも、
機械の整備に来ているメーカーさんも居たので、
二人の人に助けてもらって撮影イスに移乗
しかし、座位バランスのあまり良くない私〝あばば〟機械に
腕を伸ばし突っ張って如何にかバランスを維持。
選択ボタンは整備の人が押してくれて、無事撮影終了。
出来上がった写真は、顔が傾いて手を突っ張っているので肩は張って・・・
顔は・・・もちろんデブ度200%不細工度500%の仕上がり。
顔は、機械に文句言っても如何にもなりゃしないんですけどね。
また、痩せなきゃと強く思いました。
強く思う回数は数知れずなのに全然痩せないよぉ~
上だけスーツという中途半端な姿で居たのですが、
スーツでいると若干動きがキツクなったような・・・
そう痩せるどころか太ってる?が~ん・が~ん・が~ん・が~ん
金槌・イヤッシティハンターに出てくるような100㌧ハンマーで
100回くらい殴られたような衝撃がぁ~~~~
毎日、熱心にスレンダートーンフレックスやってるのよ、
御飯だって注意しているのに・・・
なんでぇ~、痩せれない底なし沼にドボンとはまりこんだようだぁ~
いかん、いかんぞ、こんな事に負けては、絶対に減量してやるっ。
明日からは本格的に食事療法をはじめるぞー!!おーっ!!

2004-09-23 20:00:00 | 日記

本日のディナーは、今が旬の栗入り赤飯。
栗好きあばばにとっては、1年に1回の嬉しい日。
しかぁし、仙台に居た2年間、あばば好みの栗ご飯に出会えず
寂しい思いをしておりました。
そう2年ぶりの栗御飯とのご対面。
この日を頸をながぁ~くして待っておりました。

朝から、奈良漬をつけた後の酒粕に生姜を漬ける為に生姜の皮むきをして。
これが、てが荒れている部分に沁みるは沁みるは、
包丁を左に持ち替えて如何にかこうにか作業を終了。
こういう時に、両刀使いって助かるのよねぇ。
変な意味でなくてよ。目の前にある、1㌔の栗を前にして一息つき、
作業開始。すると、先程の生姜が、繊細で敏感な私〝あばば〟の両手全体に
ピリピリと染み込んで痛い!!薬用石鹸ミューズでゴシゴシ洗うも
暫くはピリピリ感が抜けず・・・剥いても剥いてもなかかな減らない栗。
母Fが手伝おうか?の一言にも、達成感をヒシヒシと味わいたいが為に却下。
1時間以上は掛かったかなぁ、長い栗との戦いが終わりご満悦の
あばばでした。でも、1㌔の中に10コ近く、虫食いなんかがあって
ちょっとゲンナリ致しましたが、
この達成感は何とも言えないひとときでした。

もち米を洗い浸水させ、小豆を炊き、蒸すのは母Fの任務。
打ち水の塩分が足りなかったのと、2回目の打ち水の量がちょっと多く
柔らかく蒸しあがったのが、難点ではありましたが
2年ぶりの秋恒例の「栗赤飯」やはりイイ。
コレを食べなきゃ秋は来ない
!!
今日は、大袈裟に感動的な一日でありました。


オハツ

2004-09-22 20:00:00 | 日記

本日は、隔週恒例の麻酔科外来でございました。
本来は、木曜日なのですが残念な事に明日は秋分の日。
そう、暑さ寒さも彼岸まで。というように、今日は涼しいというよりも
むしろ肌寒いほどの気温で、病院には長袖のシャツで行ったし、
布団もタオルケットからランクアップ致しまして、
肌掛け布団を出しちゃいました。というか、母Fに頼んで
押入れから出してもらったのですが・・・

私〝あばば〟が今、現在使用中のベッドは流行の畳ベッド。
母F曰く、布団もせんべい布団で固すぎる。
痛いとの事で、下にマット代わりに布団を敷くことになりました。
わたしゃ、別に今までと変える必要はなかったんですがね。
まっ、建て前は感謝致しましょう。ご機嫌取りもしないとね。

さて、今日の麻酔科外来は・・・明日が休みと言う事で
いつもよりも繁盛、それなのに主治医来るの遅いぞっ
!!
診察は、いつものように如何ですかぁ?から始まりましたが、
今日はいつもと違い。足がそのぉ~、ピクピクしたりするのは今はあるの?
と聞かれ、はぁ~ピクピクねぇ筋肉の痙攣じゃなくって
痙性の事言ってるのねん。
をぉ~、この会話初めてだぞ、麻酔科の主治医とするの。
ピクピクは感じるのか、目で見えるのか?
目で見えるって筋痙攣じゃないんだから・・・
まぁ、筋痙攣も良くあるけどね。
致しかたあるまい、ここで痙性を披露しようではないか。
はぁ~っ・はっはっ、と左足のズボンを握って足を持ち上げて、
戻してぇ、ハイ。がく・がく・がく、ハイ。こんなもんで良いですかぁ?
どんな時が一番多い?その後痛みは?矢継ぎ早に問いかけてくる。
刺激が加わった時が多いので、家でじっとしている時は少ないです。
長くて5~6分続きます。やっぱり長く続くと痛みも増します。
などなど一問一答が暫し続き。じゃあ、薬は如何するとしよう・・・
リオレサールは筋弛緩剤だから予防薬だけれども、
4年以上使っているから耐性が出て効果が落ちている事も考えられるので、
リボトリールに暫く変えてみる事にして、今後はその方法で行こう。
来週の月曜日には神経内科受診だから、
下肢の重だるい感じのことは話してみるよう言われました。

金曜からリオレサール完全中止。
薬の本なんかみると連用後は徐々に減薬して中止する事と書いてあるので、
薬剤師に尋ねてみると「そりゃないでしょ」の一言でお終い。
本に書いてあったのはいったいなんだたんだぁ~と
心でちょっと叫んでみました。

先週、泌尿器を受診した時は異常なしだったのですが、
ここ数日どうも尿路感染している気配がヒシヒシと伝わってきているので、
とりあえず3日分抗生剤をいただきました。
あ~、これで安心。来週は月・火と外来せねばならず、ちょっと気重です。


最初で最後・・・

2004-09-21 20:00:00 | 日記

今日、県庁に県職員の受験書類を取りに行くつもりでしたが、
もう一度長崎県のホームページを確認すると、
書類のダウンロード出来たのでお出掛けは中止に致しました。

受験資格は、身体障害者手帳の交付を受けている者・自力で通勤でき、
介護者なしで職務が遂行可能な者・昭和50年4月2日から
昭和62年4月1日までに生まれた者。
私〝あばば〟は昭和51年3月16日生まれ。
そうです。早生まれですので、昭和50年生と同学年ですから、
年齢的に受験資格最後の年なのです。
長崎市職員の身障者枠の年齢制限は20代半ばなので、
すでに私には受験資格がありません。
まっ、平成13年25歳の時にこれが最後の受験チャンスだったので、
とりあえず受験だけ。というお気楽な気持ちで、
勉強もしない状態で受験しました。
結果は、もちろん一次の学科試験で不合格。
もうこの時は宮城の訓練校福祉機器科に絶対行きたいと言う
別の気持ちでいっぱいだったし、一次試験の2,3日後には
宮城で選考試験を受けたのですが・・・

しかし、今回は尻に火がついた状態ですので緊張感も色々、
何もかもに市職員の時とは全く違う場所に立っています。
でもぉ・・・まだ勉強してないのよねぇ・・・
お気楽すぎるわ、私って・・・崖っぷちなのにぃ~
ちっちゃな頃から勉強の習慣がないから、
ほんとっ勉強の仕方というか方法というか・・・
とにかく、勉強出来んのです。
結構、形から入るのが好きなんで参考書とか問題集とかは買うんですよ。
でも、出来ない・・・しないのよねぇ~
しかぁし、今回はこれで人生が決まるといっても過言じゃないほど、
大事な試験。あぁ~、35歳位まで受験資格があれば、
五カ年計画でじっくり作戦練って試験に挑めるんだけどなぁ。
世の中、難しいなぁ。ほんとっ、私の人生、崖・谷・山・岩・・・・・・
数え切れん程の難所や壁、色んな障壁そうバリアが多すぎるんじゃァ~
世の中の障害に対するバリアフリーとか言ってなくなってるけど、
私の人生のバリアなんとかならんのぉ~絶対多すぎ、絶対大きすぎ。
神様・仏様、もう私の人生にはバリアは要らんけん、
その代わりに幸せをおっきな幸せを。
今までの人生の不幸せを差し引いてくれるような幸せを、
どうか頼みます、どぉ~んと与えてくださいな。