災害にも大小あります。自分の過失や相手からの攻撃などで、窮地に陥る日常の出来事もやがて自分を反省したり、相手を理解できる時間を持つことでそこから立ち直ることができます。
なのに東北の被災地の方々へはどんな時間や慰めの言葉を羅列しても、取り返しの付かない深く、ながい悲しみ・・不安が襲います。
関東ではテレビ放送も少しずつもとに戻りつつ、いつもの日常らしく生活はじめて居ます。多分・おそらくですがそんな大人たちのほとんどがきっと心の深いところで、走るつづけた近代化に平然と日々を過ごしていたことに気がついたと感じます。そんな私もですが、 与えてもらった太陽光を部屋いっぱいに取り込みこんなキャンドルで過ごして見ました。計画停電時、我が家に向かいながら湘南の海は 暗く、深い黒さで怖く遠く漁火もなく広大なうねりを想像しました。
それは事実、現実にあったを被災地の報道から想像するもので災害にに遭われた方達からしたら、申し訳ない大げさなかもしれません。これから被害地の早急な復興を願いつつ、離れた地の私達も、心の深いところに刻み込まれた言葉にならない重みを感じる日々の始まりです。こんなささやかな共有ですが多くの方が持っていると想像したい。