昨日からの報道されているシアトルマリナース一郎移籍会見を今朝しみじみと観た。
アメリカ人に理解できない奥深い、言葉を選んだ彼にチョッと涙しました。特別なフアンではなけれど、
活躍を日本人として誇りに思っていた。
インタビュアーからの回答にこんな答えが印象的でした。
「がんばるという事は当たり前で、それに人格という内容が伴うことで将来の自分がある」と言った。
もっと素晴ニュアンスだっかも。そうよく「頑張れよ」と言われたり、言ったりすると結果ばかりを気にして、頑張りに不満を言ったりする・・・「こんなに頑張ってるのに回りは解ってくれない」なんてことになる。多分「人格」はそんな愚痴を言わない・言わせない配慮も含めてなのだと思う。
移籍にあたり会見の会話に強い自分、繊細な部分を日本語で語り、
訳された内容をどれだけ理解されたか??アメリカの人は解ったのだろうか?
言葉を越えてニュアンスから見える態度で、彼の心の動揺を解ることが出来ただろうか??
一郎が可哀想・・というのは総てひっくるめて「成功した」と結果で見ていて
本人はその途中で有る事
その奥深さがあちらの「お人」には解らない。
移籍に不満があるのでは有りません。
相手の心に反応できる人になりたいと思って入るのです。
と
こんな事を彼を見て自分を分析しています。
いい年してまだ途中です。
I feel sorry for Ichiro transferring to Yankees. However, splendid Japanese humility overflowed and was convinced that it was the personith the words of the heart.