12月2日から42年ぶりに青梅市に戻って、先輩の案内で市内を歩いてみました。
私たち夫婦が最初に住んだアパートなど探してみましたが、もちろんありませんでした。
青梅市内はご多聞に漏れず、あまり活気がある街には見えませんでした。でも一つのこだわりとして、映画の看板や「昭和」を町のあちこちに配して少しだけアーそういうことかと思ったりもしました。
「燃えよニャラゴン」
これは「お熱いのが苦手」「OLDAYS 三丁目のタマ」
猫ついでに先輩宅の猫様。
昭和ってちょうど敗戦の年のどん底から、少しずつ上昇気流に乗って日々新たな暮らしが変化した時代なんですよね。いわゆるバブル時代にまで続いた、活気のある時代でした。
地域が時代によって変わるっていうのか、懐かしさだけでは地域住民は動かないなあと思いながら歩きました。地域の主張が明確化しないと、人の流入はなかなか難しいんではないかと思いました。例えば浅草河童橋外のような特徴のある街ですね。
(写真をクリックすると画像が大きくなります。)
私たち夫婦が最初に住んだアパートなど探してみましたが、もちろんありませんでした。
青梅市内はご多聞に漏れず、あまり活気がある街には見えませんでした。でも一つのこだわりとして、映画の看板や「昭和」を町のあちこちに配して少しだけアーそういうことかと思ったりもしました。
「燃えよニャラゴン」
これは「お熱いのが苦手」「OLDAYS 三丁目のタマ」
猫ついでに先輩宅の猫様。
昭和ってちょうど敗戦の年のどん底から、少しずつ上昇気流に乗って日々新たな暮らしが変化した時代なんですよね。いわゆるバブル時代にまで続いた、活気のある時代でした。
地域が時代によって変わるっていうのか、懐かしさだけでは地域住民は動かないなあと思いながら歩きました。地域の主張が明確化しないと、人の流入はなかなか難しいんではないかと思いました。例えば浅草河童橋外のような特徴のある街ですね。
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