循環無端~cycle endless~

土を耕し野菜を栽培する。栽培した野菜を発酵作用等で加工し、食す生活を夢見ています。

「わすれてよいのか」

2017年07月11日 13時14分41秒 | ETUDE
「忘れてよいのか」

Ⅰ 軍国主義

戦争を
原爆投下された
最初の被爆国だということを
敗戦後七十年以上もたって
いまだに
原爆病で苦しんでいる人のことを
人間として
いわれなき暴力を
特高に振るわれたことを
配給を
日々のひもじさを
闇市の暮らしを
愛する者たちが
見たこともない戦地で
屍となって
戻らなかったことを
虱や蚤の同居した
切なさを
B29の轟音を
焼夷弾を
防空壕に逃れて
怖さで肩を震わせたことを
敵機の襲来で
機銃掃射を受けたことを
嘘だらけの
大本営発表を
非国民と呼ばれしことを
天皇の赤子と呼ばれしことを
お国のために死ねと
人間魚雷や
戻りの燃料を積まずに飛ばされた
特別攻撃飛行隊員のことを
竹槍訓練を
バケツリレーを
親子離れ離れの
疎開児童の暮らしを
忘れてよいのか
忘れてよいのか
あの凄惨で忌まわしい
国民悲劇全体を
わすれて よ・い・の・か・・・




神ってる日・・・

2017年07月10日 21時29分07秒 | 徒然なるままに(日記)
7月10日(月)34℃

 「暑い!」今年の最高気温。エアコンフル稼働。

 さて、親友のシンガーソングライター板橋君が、私の地元の岩木山の岳温泉にある常盤の中学校で
講演を行った。

 何やら頼みがあるので会いたいということだったが、私と同じ郷里の新潟出身のMさんが同行するという。
その依頼とはMさんの仕事の関係で、岳キミを栽培している農家を紹介してほしいとのことだった。

 時間を待ち合わせて学校に行くと講演が終わったのか、地域の方々が何人か帰るところだった。
そのお一人が私が考えていただけキミのOさんだった。再会を喜び合って、一度Mさんを紹介するのであってほしいと伝えた。

 校長室に行くと板橋さんとMさんがいたので、校長先生も交えてしばらくお話をしてお暇をした。
そしてOさんにさっそく電話すると来ても良いとのこと。早速伺った。

 校長室でMさんと話をしているうちに、私の故郷のT市の中学時代の友人とMさんは高校大学を共にした仲だったということも分かった。

友人の史朗とは大学一年の時に東京で何度かあったきり、交流は途絶していた。
 一度TV局のディレクターをしているのをテレビの画面で見たことがあった。
今は役員さんをやっているとMさんが教えてくれた。

 Mさんを嶽キミの伝手もかなえることができ、正直ほっとしているところだ。
こんなに人のつながりが目の見えない形で、実感できることがあるということは
これまでに何度かあったことだが、不思議な日だった。

追悼コンサート

2017年07月09日 09時01分27秒 | 旅行
7月8日(土)29℃

 この日夏日となって、朝から暑かった。
 五代獅子舞保存会長のSさんが、昨年癌で急逝した。66歳。

 Sさんは東京方面で舞台関係の仕事をされた時期があったのか、
帰郷後も舞台絵などで「津軽弁の日」の絵画の幕などを担当していたらしい。

 そのこともあってか、伊奈かっぺいさんや山上進さんも駆け付けた。

 岩木山麓獅子連絡協議会5団体も出演し、彼の急逝を悼んだ。そして彼の人間関係の広さなのか、
50人以上の人々がリンゴ園の中にしつらえたコンサート会場で思いを寄せ合った。

 



 

  

短歌/梅雨

2017年07月05日 15時44分09秒 | ETUDE
・手ろくろを二つ持ちつつゆとりの時はろくろの上をくるり回りて







・騙されて失った痛み瘡蓋(かさぶた)に騙した痛みを持ちて生くより








・紫陽花の園地訪ねし雨しとど彩(いろど)り多き青春日記












・華やいで梅雨の中にて咲き初めしアルストロメリア季節を運び




大渕ケ鼻城=石川大仏公園

2017年07月04日 06時45分08秒 | 徒然なるままに(日記)
7月4日(火)雨

 代休のこの日、久しぶりの雨が時折強く降り続けた。
カミさんと「公園でも歩くか」という話をしていたが、「この雨ではね」ということで、
紫陽花の花咲く石川大仏公園と大鰐の茶臼山に様子を見に行こうということになった。

 

 自宅から30分くらいで大仏公園に到着。このころからさらに雨が強く降りだして、
傘なしでは進めないくらい強い雨となった。

大仏公園=大仏ケ城の縁起

  天文2年(1533)、津軽に入った南部高信は平賀・田舎・沖法の三郡(現在の南津軽郡全域)を支配下に置き、石川城(大仏ヶ鼻城)を居城としました。

 元亀2年(1571)春、大浦(津軽)為信は石川城に近い堀越城の改修を願い出ました。しかし、それは為信の謀略で、修築すると見せかけて兵糧や武具を運び、大工や人夫に見せかけて兵を引き入れ、戦の準備を整えました。

 そして堀越城修理の完了と、その宴を行う旨を高信に伝え、高信側の家臣を歓待した日の夜、為信はついに兵を挙げました。

 奇襲を受けた高信勢の防戦も敵わず、妻子共々自害して果てたと言われています。

 春のソメイヨシノと共に、初夏には園内一帯に植えられたアジサイが、見事な花を咲かせます。



 久しぶりに訪問したこの大仏公園は、きれいに整備され、かつては急な入口からの坂道の手前から緩やかな車椅子の方でも
解除が楽なスロープが設置されていた。7月1日から31日までの1か月間は「紫陽花祭り」であることのポスターも掲示されていた。

 


 



 ・紫陽花の花を訪ねし雨連れて

 ・策謀の大仏ケ城や花哀れ