氣の力は、"場"の空気(空間の感じ)を変える事です。
自分の手足に氣を通して
相手の細胞にコンタクトして
自分と同化、同調させることによって
相手に入っていくことができて、結果的に相手をコントロールする事が出来ます。
剛対剛 というガツン・ガツンとぶつかる世界はありますし
YouTube動画のような、意識操作の世界もあります。
自分の身体が逃げたら(気持ちの事)、心も逃げます。つまり相手とムスびをつくれず
動画のような事は起こらない。
相手を軽く見ていたり、感情の雑音がちょびっとでもあれば
それもできない。
怒りでも動画のようなことはできません。
ある意識を作り出すことが大事。
私は、合気道にも ガツン・ガツンとぶつかる
現実に剛対剛の世界もあるかとは思いますが
意識 対 意識
氣 対 氣
の世界の方が真実のように思えます。
"三十六計"も"君子危うきに"も"山岡鉄舟の無刀取り"も
体術・武器術をもとに、それを超えた意識の世界の一表現です。
武術のエッセンスは、本気 対 本気であり、そうでないとダメだと考えます。
聞くでもない、言葉でも、目でもない
身体で感じるというレベルが意識レベルとも言えます。
柔だけだと人に馬鹿にされ、剛だけでも世間から蔑れる
ココにも二面性があり、偏らず、驕らずです。
統一合気道、同調は(留心=止心 居着き)にあらず 鴻心館合気道
自分の手足に氣を通して
相手の細胞にコンタクトして
自分と同化、同調させることによって
相手に入っていくことができて、結果的に相手をコントロールする事が出来ます。
剛対剛 というガツン・ガツンとぶつかる世界はありますし
YouTube動画のような、意識操作の世界もあります。
自分の身体が逃げたら(気持ちの事)、心も逃げます。つまり相手とムスびをつくれず
動画のような事は起こらない。
相手を軽く見ていたり、感情の雑音がちょびっとでもあれば
それもできない。
怒りでも動画のようなことはできません。
ある意識を作り出すことが大事。
私は、合気道にも ガツン・ガツンとぶつかる
現実に剛対剛の世界もあるかとは思いますが
意識 対 意識
氣 対 氣
の世界の方が真実のように思えます。
"三十六計"も"君子危うきに"も"山岡鉄舟の無刀取り"も
体術・武器術をもとに、それを超えた意識の世界の一表現です。
武術のエッセンスは、本気 対 本気であり、そうでないとダメだと考えます。
聞くでもない、言葉でも、目でもない
身体で感じるというレベルが意識レベルとも言えます。
柔だけだと人に馬鹿にされ、剛だけでも世間から蔑れる
ココにも二面性があり、偏らず、驕らずです。
統一合気道、同調は(留心=止心 居着き)にあらず 鴻心館合気道