堺市で武道(合気道)武術・茶道(表千家流)を探究し、
個別武道を指導をしています。
⬛守破離について
このブログでは『守破離』について
検索したり書物(新聞等)などで語られている
こととは違ったところから
書いてみたいと思います。
今回から、できれば
何回かにわけて書きます。
⬛まず守破離とは
元ネタはどこか?
それは、
千利休の
規矩作法 守り尽くして破るとも
離るるとても 本を忘るな
ですね。
『守破離』の『守』ですが
合気道や空手道を学ぼうと
入門することで考えてみて下さい
①道場に入門届けをだす
先生(指導者)に教えて頂く
②身体操作法(型〈形〉)を学ぶ
通常は
常識的には①→②の流れとなるでしょう。
先生の指導される型(形)を学ぶことから
始まる
しかし、
果たしてそうでしょうか
①の前に何か忘れていませんか
どうしてそもそも、合気道の道場へ
入門届けをだしに
行ったのでしょうか?
その前に
各ある武道武術のなかから
合気道を選んだのでしょうか
かならず
心が動いて入門の扉をたたいた
動機(目的)があったはずです
行動があるという裏側には必ず
意識があります
意識の運動なしには行動はありえません
その目的意識がなんであるかは
百人いれば、
百通りの意識や意識の程度があります
①の前には
『そもそも』論が誰にも例外なくあるのです
では、
そもそも(論)とは何でしょうか?
それが利休の歌にあるアレ
本を忘るな
です
このそもそもが
向き合うという意識です。
難しいでしょうか‼️
でも
これは私が37年間にわたり
人を指導してきた結論(まあ過程ですが)です
から我慢して読んで頂くよりほかありません❗
武道や茶道などを学ぶ本質です
向き合うということを
利休は本を忘れないようにと言っています
迷走することを戒めているのです。
ところで
結婚が入口としたら
出口は何でしょうか?
『離婚』ではありません
結婚の出口は、
本を忘れない❗つまり
お互いの向き合いです
守破離は『道』をすすむ意識(極意)を
この時代に伝えたもので
たんに知識として捉えたり
モラルとして捉えたりするものでは
本来ありません。
では、次回に、つづくかも❗