合気道鴻心館《明月会》Meigetsukai

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内弟子

2016年10月27日 | 合気道
和歌山県で最後の野鍛冶(海南市井田で鍛冶職人)の祖父がいました。

お弟子さんらが、
私の小さかった頃、数名おられました。

昨日、鳳南道場で練習生に、その祖父の内弟子話を少しだけしました。

以下のような内容です。

『新しいお弟子さんが最初に来られると、

いきなり鎚を握らせてもらえるわけではなく

必ず掃除やお使い、仕事の準備、片付け

配達、食事の準備などの雑用をさせられます。

食事も家族が済むまで、板の間で待ちます。』

いわゆる見習いです。そんな内容の話です。

合気道でも本間に真剣にやろうとすれば、昔の内弟子くらいしないと

真にはモノにならないといいました。『実際その通りです』

私は、祖父をみてきているので心よりそういう思いで話しました。

お弟子さんら

見習いとは、見て学ぶとおり、見ているだけです。

その期間

雑用しかさせてくれない。それは、実によくできた弟子養成制度なんです。

戦前の日本では、
技術(技)の習得法としてありました。
親方(職人)の許に弟子入したら、しばらくは

具体的な仕事は何一つさせてもらえません。

兄弟子も教えず、仕事場の掃除や片付け、慣れてきたら道具の手入れ

他の雑用など当たり前のようにさせられていました。

現在はこうした教えかたは通常ではありませんが、
この内弟子制度というか、
見習い制は、

深い意味があります。

「百聞は一見に如かず」でまずは客観的に、全体を、個々の技を見て

「技を盗め」というやりかたです。

見るという事は、弟子は頭の中で技や段取りなんかを整理しながら
シュミレーションをしています。
ああするのか、いやこうかな・・・・と

いろいろ考えて、自分の中である何かが見え始めてきたときに

親方や兄弟子から「おまえ、ちょっとこれやってみい」と言われる。

そこで真っ白な状態と比べて、自分の中で、道具を使いこなしている兄弟子なんかを
まねるように道具を扱おうとします。

見習い時期に、その仕事の全体(技)を肌で感じ取っているので自分なりに

なんとか言われたことがこなせるのです。

今の人はせっかちだと言えばそうかもしれませんが

私もいろいろ指導をしていて

教えすぎだとか、手前勝手な教えだなとか考えることがあります。

まだまだお弟子さんたちの話は尽きないものですが、またの機会にします。


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