合気道鴻心館《明月会》Meigetsukai

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まぼろし

2018年11月14日 | 雑記
私は、41才まで本当は絶不調でした。


難病で大阪市にある病院へ通っていました。血管の病気だったんです。

でも、はた目からは「そう見えないなぁ」とよく言われたものです。

脱サラをして間もないころだったので、発病が・・

塾の経営とか、武術の稽古とか(合気道)けっこう

気を張っている間は、大丈夫なんです。頑張っていけるものです、"氣"は凄いものです。


その頃は、逆に良かったと今振り返れば思います。

なぜなら、気心の知れた人にだけに囲まれて生活や仕事をしていたら今の生活はなかったなぁと。

わたしの場合は、当時眠れない、身体の内側から痛いとか、俺はスタスタ歩けないとか、不平が口をついて、つい

やってしまうんですね。

それは事実なので、病気なんだから受け入れていいんです。しかし

自分で
「甘えてなんていられない」と決めた人や、

生徒さん(お客様)や全く知らない赤の他人と接触すると「氣が出る」ということなんです。


誰でもそうなんですが、本気で氣が張っている時は、

何かにとり付かれた如く"役割"を全うできる全くもって面白いもんなんです。

氣は自分が出しているんじゃないんですよ、本当は

周りに引き出されるかたちで"氣"が出されているんです。

自分に向けてじゃなくて、他の周りの人々のお蔭なんです。

一人じゃなくて、自分のまわりにギャラリーがいるってことは、本当に大事なんです。

使命でも、やらなきゃならない事でも、愛情でも、あなた自身の役柄があれば、

それを鑑賞する観客が必要です。じゃないととても氣なんて出ないんですって。

自分のことだけを思っている間は本物の氣はでません。それは、

自分の命は自分の為だけにあると思うでしょうけれども違うんですね。

自分は自分一人だけで楽しいことなんてできないように神様が設計しています。人は・・・

人の一生は、劇みたいなものです。

その劇には観客が要りますよね、そしてお客さんには楽しんでもらう、そんな自分に関わってくれている人を

楽しませる使命感から、ステージに立っていられます。

だから人生にも個々それぞれに役割が与えられています。

もし役割を持たない役者が舞台に入るのはおかしいですよね。

何も役割が与えられていない人がいたらそんなもの勇気がでませんよ。

しかし、役柄(役割)が決まっていたら違います。

結論的に言うと氣を出していくことは、高度な生き方、つまり"演じる"ってことですよ。

お客さんらを支えて、楽しませて、時には諭してそうやって他を見つめるのが人生を楽しむってことなのではと思います。


じゃないと自分の為に生きているだけのつまらない人になっちゃいます。

後に、虚しさが残ったり、心が折れたり途中で挫折してしまいます。

自分が第一の人生のみで生きていたら、死んでしまいたいってことあります。それは寂しすぎる。

自分の近くで見守ってくれる家族も大事です。一緒にステージ登ってくれる仲間も大切。

でも肝心なのはいつもギャラリーを意識していないと

本気という"氣"は生まれません。

五番目の意識(氣がでている)で言っていますよね、気というのは、自分に向けるんじゃなく

内に内にしまいこむものでもなく、外へ放射していくものなんです。


私の難病だったころを思い出しても
人に優しくされたら、そこに浸っているだけでは、満足できないじゃないですか。


絶対に他人にも同じ事をしてあげたくなるではずですよ。、氣を出すってそういうものだと思います。

私もウェブサイトを運営したり、ブログをこうやって書いたり不特定の人達に向けて発信もしています。
つまり

全くかかわりのない他人に対しても役割をもつ

そのことは実は、4番目の意識"氣をだす"つまり生きていくことへの活力なんです、

ドラえもんの世界のようにどこでもドアを開いて

まずは外に外に自分を演じていく

社会とかかわり、つまり役柄をもつことですよ。

つまり職業だったり、可能性だったり、自分の顔だったり看板だったり、技術だったり

そうですよね。

本当は、自分が先に楽をしたいとか、そうなりたいと考えたら、この世界は実は面白くはならないんです。

速い話が、じゃあ命がなくなれば楽でいいじゃんという究極の選択、発想にもつながりかねませし、

自分が楽しい、面白いということは、

お芝居の中で演じている役を全うしているまさにその瞬間です。

それが本当の自分かどうかなんて

考える必要はありません。
はなから自分なんていないと開き直ってしまえばいいんです。

私も何者でもないんです。塾や武術の先生を演じているまぼろしです。

だから、私が必要な人は、私を検索して見つけてくれて入門や入塾を申込みんでこられます。

そうですし、反対に
私が必要ない人にとってみては、私の言葉が響かない届かない。だからその人の元から私は消えてしまいます。


無理にかかわらなくていい人たちなんです。

自分ってそういう意味で

まぼろしでしょう!!ねっ。

すべてまぼろしでしょう。

自分の考えやシステム、いろんなしきたりは押し付けなくていいんです。


必要としたいひとが、吸い寄せられるように私に近づいてきます。待っていればいいのです。やるだけやって。

その人にはその人のココロに届く、キャッチされる波長というものがあります。

ですから、私の言葉が届かないひとは、その人から見たらまぼろしや亡霊のような存在なんです。
最初から私はその人にとってはいない存在です。

だから、演じたいように生きればいいだけ。カンタンでしょ。

そうしたら、なりたい自分に近づいたいきます、
無理しないから迷ったりしながらでもね。

だから私は、こうなりたいという劇場(教室)を用意して先生という役柄をやっています。

そうするうちにだんだんと

武術として特殊な技を磨いたり手にいれられただけなんですよ。

そういうことで、長い文章になりましたが

ホームページを覗いてみてください。よろしくどうぞ。


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