合気道鴻心館《明月会》Meigetsukai

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海南市井田の鍛冶屋 4.

2020年05月15日 | 雑記
稽古とは一より習い十を知り 十よりかえるもとのその一


海南市井田の鍛冶屋中川銀一
は私の祖父です。
私は物心ついたときから鍛冶屋を遊び場としてたくさん
悪戯や刃物や鎚で鍛冶屋のまねごとをして遊んでいました。

ままごと遊びをするかわりに、トンカチでカンカン金敷をたたいて遊んでいました。

さて、『稽古とは一より習い十を知り 十よりかえるもとのその一』

これは茶道をしている方はよくご存じの
お茶のお稽古場で、おそらく耳にたこが出来るくらい
聞かされていると思います。
それぐらい有名な句です。

芸事に限らず、なんでも一から始まります。
続いて二、三と順に習っていき、
十にたどり着きます。
十でおしまいにせずに
また一に戻り、繰り返していくことが大事だという教えです。
これが一般的な解釈です。

でも、私はそうじゃなくて別の解釈をしています。

その前に
「人間なんでも、ちよっとしたことなのに、そのちょとしたことができやん」
「ほんまにちょっとしたことやのによォ!」
これはお爺さんの口癖でした。
孫の私に聞こえるようにつぶやいていました。
ちょっとしたことが、なかなか出来難い、
もうちょっと工夫すれば、出来るのに。ということです。
それが人間なんだよ。
という教えです。

利休のうたは、
一という口伝を教えられたら、それをエクスペリメントを伴い
体験して、感動し
その一から自ずと二ができ、三に発展していき、四へと繋がっていく
そういうテクニックの連鎖、口伝の重要性を歌っている句だといえます。
口伝ひとつで
技術や気づきが広がっていきます。
そういう教えだと思います。

つまり口伝一つでもないと
失うのは、時間だということです。
これととても勿体のないことですし、不幸なことです。

その一つの
口伝というのは
だいたいは師匠が教えてくれるべきものです。
その口伝を教えるタイミングは、弟子がもうちょっとで
(テクニックや秘伝、極意など)掴むことができるすぐそこまで
来ているまさにそのタイミング師は教えてくれるもの。

口伝がゼロじゃ、何度でも言いますが
そこからでは何も生まれません。

武術でもそうです
師匠ができて、弟子ができない
これは弟子が悪いわけではありません。
師匠に教える気がないか、性格に問題があります。

弟子は必ず師匠を越えないとダメです。
技術的にです。
師匠を仰ぎ見ているようじゃ、たんなる怠け者です。
そうならないように師がいるわけです。

ブログで鍛冶職人の祖父を思い出して書いているわけは
いまようやく、祖父の凄さが、優しさが
心に染みるように分かるからです。

遅いですが、まぁ仕方のないことです。

事情があって
私が小さかった頃は(学校にあがるまで)
和歌山県海南市の祖父宅で母と祖父母と一人の内弟子さんと過ごしました。
今思えば一番幸せで充実した時期だったと思います。
その頃の写真です。




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