合気道鴻心館《明月会》Meigetsukai

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闘う白鳥 その4

2015年07月04日 | 合気道
・多くの人のバレエ(芸術)の鑑賞の仕方

 マイヤ・プリセツカヤのビデオは販売されていますので
 購入して見る事が出来ます。
 私は10数年前に心斎橋のチャコットで買ったことがあります。
きっかけは、
 子どもがバレエを習っていたのでそれでたまたま見かけたので
 マクシーモアのビデオと一緒に
 手に入れました。

 そのころは、誰が有名なのかとか、バレエがどうかということは
 あまり気にしてなかった(名前だけは知っていた程度)

 只々純粋に感心してビデオを見たことを覚えています。

 芸術を鑑賞する時は
 大抵の人は、「口先で感嘆してしまう。」
 本当にはわかっていないのに言葉だけが出てしまう・・
 そんな事を
 岡本太郎さん(洋画家)がある本で書いていました。

 バレエ芸術などは特殊なモノですが、岡本氏のいうように
 「有名だから=良い」
 という見方をしてしまうかもしれませんね。

 それはそうと、

 芸術というと
 絵画や小説・音楽などの職能的なもの(作品や商品)であると錯覚していましたが
 プリセツカヤ自伝を読んでからは

 なにか芸術というものの捉え方を私自身間違っていたかな?
 と思えるようになってきました。

 例えば
 「思えば、人間にとって何が必要なのか?」 p199
というプリセツカヤの問いかけや
 
 「スターリンは、六千万もの人間を抹殺したのだ・・・
 人々に恐怖を植え付けることによって体制を強固にする
 のだった・・・・」

 "共産主義の悪夢"と自伝のなかでのべられているように
 このソヴィエト連邦共産党の国で生きていくことが
 私たちの想像尽くしがたい事であり
 そこでの中でプリセツカヤは生き抜いてバレエを探求する道に生きます。

 芸術そのものとプリセツカヤの人生が実は同じものなんじゃないか(同一体)。
 つまり
 人間として共産国で厳しく生きていかないとしょうがない最上級的に
 しかも強烈な人生を歩む生き方。
 必然的に命をむき出しにしないと生きていけない毎日
 その生き方=バレエこそが芸術(プリセツカヤの)かもしれない。
 
 上手く表現できませんが
 つまりは
 芸術(バレエや絵画も音楽も)はただきれいごと(お習い事)ではないなと
 強烈に感じさせてくれます。(この自伝からは)

 プリセツカヤの生きる事そのもの
 それこそが
 バレエの(本質)じゃないかと思います。

 最後に

 「情熱」「生きがい」

 という言葉は軽薄には使えない、簡単に口から出してはいけないものなんだと
 そんな思いが湧き出てくる書。それが
  
 「闘う白鳥」。
  

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