今朝のNHK朝ドラ「あさが来た」で
ついにあの”新次郎さん”が亡くなってしまいました
家族ひとりひとりに感謝の言葉を伝え
愛する妻の膝に抱かれて旅立った
美しい『死』の瞬間でした
さて私自身が
「死」というものを初めて意識したのは
小学校の低学年の頃だったと記憶しています
蛍狩りをした夜
布団に入って
虫籠の中で静かに光を放つ
蛍を眺めていた時でした
自分がいつか死ぬこと
そして
父も母も祖母も皆
大切な人々が
いつか必ず死んでいなくなることに
生まれて初めて気づいたその晩
怖さと悲しさで
涙がとめどなくあふれたことを覚えています
その後
色々な本を読んだりして
「死」とはただ単に
魂が肉体を離れるということで
魂は永遠に続くという考え方が
あることを知りました
そう考えた方が
心が安らぐという
ただそれだけの理由で
私は
その考え方を受け入れることにしました
そうやって
死という現象を受け入れることで
死に対する恐れから
少なからず解放されているつもりでした
しかし一方では
『死』という字を見ると
どうしても
おぞましい気分になってしまい
その文字から
目を背けている自分がいました
ところが
今朝
朝ドラを見終わった後
死について考えていて
ふと気づいたのです
『死』という字は
一の下に
夕ヒ
と書きます
私にはこれが
水平線に沈む
夕日
を表しているように思えました
『死』
とは
一日地上を照らし
その日の役割を終えて
西の空に気高く沈んでゆく
美しい夕日
夕日は
水平線の下に沈んでも
太陽そのものが
消えてなくなるわけではありません
明日になれば
また
東の空から上り
昨日とは違う
新しい一日が始まります
今日は
朝ドラのおかげで
久しぶりに
良いことに気づくことができました。。。
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