音信

小池純代の手帖から

雑談47

2022-09-03 | 雑談


9月3日は迢空忌。

 たとへば雪──雪が降つてゐる。其を手に握つて、‘きゆっ’と
 握りしめると、水になつて手の股から消えてしまふ。それが
 短歌の詩らしい点だつたのです。 
    折口信夫「俳句と近代詩」1953(昭和28)年9月「俳句」


釈迢空、最晩年の記事。

末期と雪といえば藤原俊成の臨終も思い起こされる。
1204(元久元)年11月30日のこと。

 殊令悦喜給、頻召之。其詞、めでたき物かな。
 猶えもいはぬ物かな。猶召之。
 おもしろいものかな。人々頗成恐、取隠之。
    藤原定家『明月記』


病床の俊成が雪を所望した。雪は北山から雪を送ってもらって
間に合った。定家は間に合わず、姉から聞いた話が記録されて
いる。雪を召し上がっての三つの言葉が、

「めでたき物かな」「えもいはぬ物かな」
「おもしろいものかな」

漢文日記なのに父俊成の言葉はひらがなまじりなのが趣深い。


迢空の五指も俊成の五体も、雪に含まれる詩成分を賞味してい
たのではあるまいか。


 迢空の手のなかの雪
 俊成の身もなかの雪
 うたのうつしみ



俊成、定家以来の流れを守る冷泉家では初雪が降ると俊成卿に
雪をお供えするそうだ。






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