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読書の森

明治時代のプラトニックラブ❣️

プラトニックラブ❤️今では死語みたいな言葉であります。
しかし私の少女時代ですが(1950年代)、小説でも演劇でもこの手の恋愛ものが結構多かったと記憶してます。一方逆に物凄いドロドロの愛欲小説が載った大衆雑誌も売れてた(活字文化の時代ですからね)。

その両方を大喜びで読んでた私、若かった(何せ中学に入りたての頃)為にもっぱら憧れたのがプラトニックラブですよ。
今そんな事口にすれば「キモ〜い」と言われそうです。

ここでプラトニックラブの大雑把な定義を申しますと、「精神的な恋愛」の事です。
肉体関係を全く伴わないお互いを高め合う(?)恋を申します。

そんなのあるか?と言うと、明治時代に実証例があったそうです。それも当時の著名な政治家のプラトニック結婚なんですって。

明治16(1883)年の末、才色兼備で自由民権演説家の岸田俊子と時の立憲政党(今の立憲民主党と全然無関係)総理中島信行は、政治家活動を通して知り合い、熱い恋に落ちたのです。

俊子はピチピチした独身女性で、中島信行は結婚経験(死別した)のある落ち着いた独身男性、誰からも文句のつけようが無いのですが、いつの時代も同じで良からぬ噂はたった様ですよ。
主にこの俊子さんについてです。スラっとした姿でしかもオツムが物凄く優秀だったので、周りの優秀な男性との噂が絶えなかったとか。ただし単なる噂だけだったそうです。

今に残る写真では、あまり想像できないですが、その時代は外に出て政治を論じる才女など皆無に等しかったので余計に騒がれたのでしょうね。


俊子さんは江戸時代の京都生まれ、幼少期から秀才のほまれ高く当時京都府立の中学で学んで英語も堪能だったそうです。
その後宮中に2年間奉仕して、つまり当時の婚期を逸した方。

そして思想を同じくする中島信行と意気投合して、陸奥宗光の仲介で結ばれたのです。
後に夫中島は初代の衆議院議長となり、俊子は中島の活躍を支えたそうです。

二人を知る人によると人には寡黙だった夫は俊子さんと一緒だといつまでも嬉しそうにおしゃべりしていたとか。夫婦というより友達みたいだったそうです。
この夫が肺疾患で他界した二年後に妻も同じ病いでこの世を去ったそうです。

先妻の子は三人いますが、二人の間に子がないので俊子側に肉体的欠陥があり肉体関係は生涯無かったとも言われてます。

真相は薮の中ですが、そんな事どうでもいい様に婆は思ってしまいます。
一緒に住む人は考え方や話題が合うのが、一番幸せな状況だと私は思いますね。


今の時代、冷凍食品を小分けにして食した方がお得の場合もあります。
冷凍小エビをサッと茹で、じゃがいも(レンジ
でチン)、冷凍グリンピース、ハム、玉ねぎの薄切りを加えたサラダをお昼に食べました。
なんか得した気分になれます。

追記:
このblogの主旨は精神的恋愛がbestと言ってるのじゃ無いです。
多分中島氏は当時中年で子供もある見かけはオッサンの身、妻はモテモテのみめ麗しき若い女性です。当然やっかみ半分の風評が立つ怖れはあるでしょう。
別にやましき事がなかろうとです。
政治家でらっしゃるのでその辺を心得てわざわざ「してません」と言う噂を自ら飛ばしたのかも知れません。その点は藪の中です。


読んでいただき心から感謝いたします。

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