参考書を入手(江戸文化歴史検定の公式テキストよ❣️)して読んでます。
さて、よく譜代と外様と大名(今の県知事みたいな地位ですが、江戸時代は治外法権的ではあった)を分けてます。これはどう言う意味でしょう?
分かりやすく説明すると、関ヶ原合戦において徳川家康に組みした方が譜代、その前後に急遽家康に従った大名が外様です。
そして明治維新で江戸幕府に対抗したの主要メンバーは全て外様大名の臣下であります。
薩摩(鹿児島)、長州(山口)、土佐(高知)、肥前(佐賀)です。
時代が変わり、海外の脅威を受けた時、外国からの圧力に直接晒された外様藩内で反発が相当強くあったと思われます。
外様藩の不平分子(貧乏武士)が明治維新の志士として、海外におもねる(と捉えた)幕府を倒す運動を始めたのではないでしょうか?
薩摩の動きを警戒した幕府で、天璋院篤姫を将軍家に嫁がせる工作をしたのは、以前のNHK大河ドラマでご存知の通りです。
ただし当時の将軍は凡そ戦闘的な人物では無いのです。当時の日本が欧米諸国の進んだ文化に及ぶべくも無く、甚だ日本に不利な外交が展開、大量の金が海外に流出して、世情も不安定になります。
現実に目覚めた勤王の志士は幕府を倒す事のみに専念したのです。
その先頭に立ったのが薩長です。
その薩摩屋敷って何処にあったのでしょうか?
外様大名の奥方やお子様の住まいは、譜代よりも江戸城から遠い場所に位置してました。石高に比べたら小さめだったみたいです。
なんと!三田の慶應大学のそばだった。
丸に十の字が薩摩藩の紋です。
なんと!三田の慶應大学のそばだった。
丸に十の字が薩摩藩の紋です。
ただし、倒幕運動の打ち合わせはこんな所でやると大変(秘密が漏れると困る)なので、近くの蔵屋敷(大名家の道具家具の倉庫みたいな所)でされたそうです。
ここら辺の話は大変スリリングであります。現実に身近に起こらないで欲しいです。
話がガラッと変わり、1人ものの場合冷凍野菜を使った方が小分けできて便利です。
そこで冷凍里芋を使った「薩摩汁」です。
初めて作って食べて美味しかったのです。栄養価も高そう。
鹿児島県産の鶏肉、里芋、ニンジン、蒟蒻、彩りにネギなどを昆布出しで味噌仕立てにするだけ、あったまって身体に優しい食べ物ですよ(^^)
この下手な料理を紹介しようと思って、写真(料理?)の不出来をカバーしたく幕末の話を出してしまったのです。
尚インフルエンザが流行してるのでくれぐれもご注意ください。