読書の森

ときめき



「恋の季節」が流行ってた昭和43年、私は大学生だった。
学校から駅までかなり距離があったが、その日は友達と歩いて帰った。

雑多な店が並ぶ通りは白く光って見えた。
空が綺麗に澄んでいた。

歩きながら恋の話をした。
友達はふっくらとした頬と伸びやかな肢体を持った明るい人だった。

「恋をしても結婚するまでって大変だよね」
と私。
「そうでもないんじゃない。
話してると楽しくて、一緒に居たくなって、離れると寂しくて、一緒に暮らすようになると思う」

利口そうな目をキラキラさせて、その人は言った。
「この人、幸せな恋をしてる」一瞬にしてそれが分かった。

そして、自然に流れるような恋が出来る彼女を羨んだ。
私は何故か緩やかな流れに自分の恋を任せられなかった。
いつも憧れていたくて、ポキンと折れそうな危い思いを持つ癖があった。



「会いたい」というのと「一緒にいたい」というのと微妙に違う。
「会いたい」は憧れが入り距離が遠い相手になる。
「一緒にいたい」はお互いに認め合える場合、居心地の良さが分かる場合だ。

「会いたい」のはときめきが100パーセントある。
「一緒にいたい」はときめきよりももっと親しい。

幸か不幸か、私はずっと「会いたい」しか知らない。
「会いたい」というときめきが私を支えてきた気がする。

それは、現代においてかなりイタイ心情らしい。

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ときめきは地に足が着かないけれども、友人の全ての不幸を跳ね返す様な言葉はしっかりと地面に着いている。

「一緒に暮らす事が喜びである」という人は素晴らしい。
私は一緒に人と暮らす能力が弱いから、ときめいてばかりいるのかも知れない。

せめて「ときめき」を言葉で綴っていくしかないと思う。

読んでいただき心から感謝いたします。

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