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読書の森

宮部みゆき『祝 殺人』

『我らが隣人の犯罪』は宮部みゆきさんのデビュー当時の短編作品集です。
作品の舞台は昭和末から平成元年にかけてで1990年以前のお話です。未だ昭和の名残りがあって今じゃ遠い昔になってます。

当時の人情や交友関係が色濃く出ていて、懐かしい思いが致します。

本日取り上げた『祝殺人』は、愛でたい披露宴の中で唯一読み上げられなかった祝電が発端で起きたバラバラ殺人事件のお話です。

被害者は披露宴の司会者です。彼が意識して読み上げ無かった祝電の秘密を探る内に、それ以前の未解決の殺人事件が関係している事が判明して、、、。


ここから誰もが連想するのは幸せなカップルに恨みを抱いた人が打ったと言う事ですね。
その通りで、新郎の元恋人から彼の不行跡と裏切り行為が綴られた電文だったらしいけれど、殺された司会者はこれを読むなり隠してしまったのです。祝電の数も一通少なく報告した。その後殺された訳。

しかし、こんな物騒な電文の詳しい中身が何故公開される事が無かったのでしょうか?
そしてどうしてこんな祝電が発信拒否されなかったのでしょうか?又他所に漏れる事がなかったのでしょうか?

それは日本国憲法第21条で「通信、信書の秘密」が保証された基本的人権の一つだからです。
これについて著者は作中の刑事の口を借りてきちんと説明しています。


つまり、どんな変な中身だろうと物騒なものだろうと個人的に出したメールや電話や手紙の中身を探るのは憲法違反とされてる訳です。
なので、以前からストーキングに対する罰則が曖昧になって悲惨な事件を起こす結果があるようです。

ただし、情報過多で社会情勢そのものが酷く変化した現在、この形を放置しておく訳にいかない。
どんな事件が起こるかも知れないからです。
詐欺、殺人、恐喝、国家機密に関わるとなれば、事前に個人の通信を傍受する事が出来る法律が作られています。

ただし、私が思うにこのような形になると無辜の加害者(?)が出かねないです。
極端な話、ある人物を護る為(例えば高齢者、障害者など)と言ってその人の通信や行動の自由を著しく損なう事もあり得ます。
当然一般人がその辺りの事情を知る訳がないので、「要注意」の人物と思い込まれて周りが危険視する事もあり得る。

自由であれば当然責任も生じます。行動や言動全てが自由な世の中は怖〜い事になります。
衆人環視の中で興の赴くまま突飛な行動に出た場合、人に迷惑をかければ犯罪となります。
万一「責任能力がない人」と見られたら大切な心の自由さえ失う結果になります。
心してかからねばなりません。
又調べる側も危険性に対する正確な判断をしないといけません。

今はホントに規範が多くて難しい世の中になったと思いますね。

昭和末から宮部みゆきさんはこの未来を予見していた人ではないでしょうか。優れた作家は感性が鋭いのですね。


読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

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