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バーネットの『小公女』はロンドンが舞台となる。
お嬢様として女子学園に入ったセーラは、父の急死により激変した生活を送る事になった。
学園で小間使いとしてこき使われてもセーラはその矜持を捨てない。
冷たい雨のそぼ降る中で、偶然に手に入った4ペンスで甘パンを買う。
パン屋のおばさんが2個おまけして6個渡してくれた。
焼き立ての暖かい甘パンを抱えて帰ろうとすると、ひもじそうな乞食の女の子に遇う。
セーラは彼女に5個あげて自分は1個を味わいながら食べる。
後にセーラは亡くなった父の友人に引き取られ、本当に豊かな生活を送る。
松村由利子さんが『小公女』のこのシーンを印象に刻んでるように、私も忘れられないシーンだった。
たとえ自分が飢え渇いていようと、同じく飢え渇いた人と分かち合う心。
1個のパンで想像力によってお腹を膨らます精神。
それは今はもう失われた精神なのかも知れない。
少年少女のための文学は、その忘れられそうで忘れてはいけない「心」をタップリとたたえる器である。
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書かれた日も遠い遠い昔になったが、今も色褪せない物語がある。
子供の頃親しんだ童話となれば尚更である。
ガサガサした心を癒すものは豊かな金でも甘い嘘でもない。
優しく澄んだ心を満載した何かである。
例えばそれが読書なのだ。
子供の時代に、本を気軽に読める習慣で一生の宝物が出来るのでないかと思う。
実は、私は子供の頃、夜明けにお菓子を食べながら寝床で読書した。
夜明けの4時頃は静かだし、頭はスッキリして読書に最高だった。
次いでにお腹が空いてたので、前夜取って置いたお菓子を出して食べてしまった。
お行儀の悪すぎる習慣だが、読書なんてそれくらい気軽に出来るのである。
本著は子供のための本ではない。
子供の頃の思い出を懐かしむ人たちのための本である。
ただ、本著の中の書物の何冊でもいい、又今の子たちの心を満足させて欲しいなと思う。