「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
冒頭の古文を現代訳すると
作者不詳の『平家物語』、今は『源氏物語』の人気が遥かに勝ってますが、全然異なるモノです。
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。
驕れる人も 久しからず ただ春の夜の
夢の如し」
ここで「驕れる人」とはかって日本国(主に今の西日本ですが)を統治した平清盛を指してます。
平安時代の末期、天皇家の末裔から武士階級が生まれ、平氏と源氏が最有力の勢力を持ちます。
どちらも優秀な者揃いですが、両雄相並び立たぬのはいつの世も同じ。
お互いにシビアな覇権争いをして、権力を握ったのが平清盛です。人心を握っただけあって相当な人物だったらしいですが、権力者の常として、自分が絶対者であらんとしたのですね。
冒頭の古文を現代訳すると
「祇園精舎(昔の寺の名)の鐘の音に耳をすますといつの世も常ならぬ事を告げているようだ。娑羅双樹(由緒ある大木)の花の色も時と共に褪せていく。
そのように上に立つ人はいつまでも絶対的な権力を持ち我が世の春を楽しむ事は無かろう。
春の夜の夢のように儚いものだ」
お粗末ながら私の意訳です。
まあ春の夜の夢だろうと、一瞬の幻だろうと、チャンスをものにした人にとっては、豪奢な驕りとは心地よいもののようです。
「昔のことは夢の又夢」
まあ春の夜の夢だろうと、一瞬の幻だろうと、チャンスをものにした人にとっては、豪奢な驕りとは心地よいもののようです。
「昔のことは夢の又夢」
これは豊臣秀吉さんの辞世「難波のことは夢の又夢」をもじった自分の思いです。
どれほど昔の自分の羽振りが良かろうと(バブル時代のサラリーマンの場合です。私もおこぼれに預かった)、今となっては夢のような話です。
今が大切、昔に拘ってもその先に道は開きません。
作者不詳の『平家物語』、今は『源氏物語』の人気が遥かに勝ってますが、全然異なるモノです。
前者がノンフィクション、後者はフィクションです。
ただし物語の舞台として同じ場所が多い。
平安京、そして福原京(現在の神戸市兵庫区あたり)でございます。
福原に日本の首都は実際にあった(正しくは清盛が首都構想を練って造りかけ挫折し、1年しかもたなかった)らしく、神戸市のあちこちに平氏の名残りが残ってます。清盛塚、那須与一の墓、鵯越(駅名)、住民が何気なく通る場所が千年近く前の歴史が残った場所だと思うと、私はワクワクしてしまったのですが、、。
今日載せた写真は、京都府、兵庫県で撮ったものです。
今日載せた写真は、京都府、兵庫県で撮ったものです。
これほど豊かな歴史遺産の上で住む人々の、暮らしに伴う道具や機具や文化は驚異的に変化してますが、暮らす人の心そのものの変化は殆どないように思えます。
短い間ですが兵庫県に暮らした間、もっとも強く感じたのは、28年過ぎた今も残る阪神大震災の惨い爪の後です。
幼い私の記憶している長閑な西宮市や神戸市と全く違う人の心の傷は見違える程綺麗に復興した街の外見以上に残っていると感じました。
清盛さんならずとも、世の無常は等しく降りかかるものです。
これは遠くに明石大橋の見える漁港の風景です(垂水港から写す)。
須磨、明石は、それは綺麗な場所で源氏物語の舞台になりました。
これからこの港はもっと発展するでしょうか。
実は清盛が福原遷都を思いついたのは、天然の港で貿易を始めたい点、ともう一つ当時京の都に地震が多発した点があったようです。
しかし、、。
このご時世においては、大地震がいつ起こるかは分かりません。
「南海大地震」は必ずくると言います。
「東日本大震災」の悪夢が未だ残る日本に「南海大地震」が来たら、日本人にとってコロナ、戦争も重なるトリプルパンチになります。東日本大震災で苦しむ人とお互いさまという話ではないです。
備えは当然必要でありますが、正直言って私あまり災害について考えたくございません。せいぜい昔好きだった古文の一節に夢をかけるだけです。
今はこれからの希望を持たせる言葉がほしいです。