上野千鶴子先生のいうフェミニズムや弱者とは、普通言われてるのと一味違う意味がある。
女性は女性であるだけでは弱者ではないが、子供を産み育てる時、介護をする時、弱者となる。
つまり、一人で身軽に働く事も出来ず重荷を背負って歩く状態になる、これは障害を持ったと同じ状態である。
だと言っても男が子供を産めないし、細やかな介護については、私は男が向いていると思えない。
フェミニズムとは女と男はただ平等だと言うものではない。
弱者が強者になるのでなく、弱者が弱者のままで認められる世の中にする事なのだと言う。
上野千鶴子先生は現在介護の問題に一番重点を置いている。
そこで主張されているのは、今までは強者だった人も介護される立場になれば弱者になる点である。
社長の地位にあったひとも、病気で身体が不自由になって介護を受ける事態はあり得る。
つまり誰もが弱者になり得る社会である。
最後に死ぬための思想より生き延びるための思想こそが大切であると上野千鶴子先生は、締め括られている。
私自身、母の介護をしていても、身内は他に全くいないので業者以外には誰も頼る事が出来ない、独り身の身体障がい者である。
今、好きな所に旅行をするのは夢の又夢である。
しかし、ここで生きる支えになっているのが数少ない昔からの友人であると共に、ブログの読者でありSNSの友達である。
自分が自分であると主張し続けても、優しく受け止めてくれる人間がいるからこそ、イキイキと生きる事が出来る。
同時に人の言葉を受け止め理解しようとする時に一人で生きているのではないと痛感する。
勿論、ネットの世界が優しい友達だらけである筈はない。
信じられない悪意や妨害がある。
寧ろそれが人間社会なのだと思う。
こういう過程で、現実的な不安を抱えながらも自分として生きていけると思える。
現在、世界中の人々がある種の不安を抱えて生きている。
そこで弱者が弱者として生きていける社会を考える事が最も必要と思う。
^_^
別に弱者にの気持ちを味わえ、と言う意図は全くありません。
例えば表面的に権威にも金にも愛情にも健康にも恵まれていても、今不安と無縁でいる事は出来ません。
現在の弱者の多い社会で弱者と共生して生きる事が、弱肉強食で生きるより、はるかに適していると私には見えます。
最新の画像もっと見る
最近の「書評」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事