follow していただく皆様のblogは「いずれアヤメか」ではなく「いずれ錦か」の美しい紅葉で染まるようです。
私もお休みしてる間に紅葉を見てまいりましたよ❣️
身体も頭の中もスーッと清らかな風が行き渡り、心の埃を洗い流すような美しい自然でございました。
ふと、昔(1998年)10月に訪れた長野県の鬼無里を思い出しました。
鬼無里伝説というものがあって、その昔里人が力を合わせて村を襲う鬼退治をして平和な暮らしを蘇らせたという話です。
歴史の古い土地なのに、山深い為不便なだけで寂れて廃屋が目立つ村でありました。
それを憂慮して土地の人が協力して建てた民宿があります。
そこを旅の宿にした思い出です。
話は変わりますが、コロナ禍以降、在宅ワークが広がり移住流行りだそうです。
長野県は人情が濃い人が多く近隣の繋がりが都会に比べて遥かに密です。
話は変わりますが、コロナ禍以降、在宅ワークが広がり移住流行りだそうです。
若い人が地方に住み地方が活性化するのはとっても良い事だと思います。日本の人口も広がりが出て大都市が抱えていた一極集中の弊害を無くす起因になって第一次産業が盛んになれば良いですね。
などと又私の癖が出て(止せばいいのに)気分を削ぐ無粋な文を載せてしまいました。ごめんなさい🙏
もう少し話を続けますと移住する人数の多さの第一位が長野県だそうです。自然豊かである程度都会で、新幹線も開通して首都圏からの便が良い点が魅力的なのでしょうか。
ちなみに第2位は兵庫県だそうです。
長野県は人情が濃い人が多く近隣の繋がりが都会に比べて遥かに密です。
鬼無里の里はまさにそれを地でいく土地で、バスの運転手が乗客(殆ど決まった村の人、学童が多い)の家を把握してそこまで行ってバスを停めてくれるという所です。
私のような観光客など他に誰も乗ってない猿が遊んでる(泊まり客は普通自家用車を利用します)山道をガタゴト揺られて行きます。
宿の人凄ーく親切、ただ部屋は和室でかなり粗末、温泉は沸くけどムード0、村の奥さんが作る家庭料理は土地の名物よりトンカツなどの普通の料理でした。
ただ空気の美味しい事は一級品です。長野県の里山の空気は非常にクリーンで感激しますよ❣️
静かな清潔な宿で健やかにぐっすりと眠る事が出来ました。
私がこの里を知ったきっかけはその昔読んだ短編小説なのです。
私がこの里を知ったきっかけはその昔読んだ短編小説なのです。
作者は多分田宮虎彦(純愛を描く作家)だったと思います。題名も多分『鬼無里』だったと思います。
うろ覚えではありますが、未だ青春期の私の胸に強く印象づけられたストーリーだったのです。
昭和中期、平凡なサラリーマンの独身男性がふとしたきっかけで知り合った憂いを秘めた美しい女性。
昭和中期、平凡なサラリーマンの独身男性がふとしたきっかけで知り合った憂いを秘めた美しい女性。
二人は孤独な心を温め合って一緒に住むようになった。女性は優しく献身的で男はこの人を深く愛して結婚しようとするが、女はこのままで良いと言う。
過去を一切語らぬ謎を秘めた女性である。「いつか本当に一緒になれば打ち解けるだろう」と男が期待してる間に女は突然死んでしまった。
男が女の思い出を辿り女の書いた日記を読むと鬼無里の文字が書き連ねてあった。
「鬼無里の紅葉はそれは綺麗よ」と歌うように言った事も思い出した。
秋の深いその里を男は一人訪れた。そこで女の苗字から昔この土地一帯の治めていた家の娘だった事を知るのである。その家は不祥事に遭って潰れて今は無く一家は離散したと言うのだ。
呆然とした男が辺りを見ると山里は燃えるように赤く美しく染まっていたと言う。
以上です。
私の生まれた場所も深い山里であります。広々した海に憧れる気持ちは強いですが、やはり山里に入るとホッとするものがありますね。
私の生まれた場所も深い山里であります。広々した海に憧れる気持ちは強いですが、やはり山里に入るとホッとするものがありますね。
「心あてに 折らばや折らん
初霜の おきまどわせる 白菊の花」
古今集の歌でございます。もう少し寒くなると霜がおりますが、「白い霜に隠れた白い菊の花を折る時の惑い」を詠んだ歌です。なんと言う事もないのですが日本語の繊細さを感じます。
物語『鬼無里』も白菊の和歌ももうカビの生えた昔昔の事柄になってしまいそうな、そんな寂しい思いを味わってしまいました。
秋はセンチメンタルな季節なのです。