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小体な店は、谷の名前で予約を入れてあった。
狭い座敷に徳利が並び、コタツの上に鍋が置かれてた。
谷はまだ来ておらず、初老の男がつくねんと座っている。
俊はキョロキョロと見回した。
座敷を間違えたのではないらしい。
男は鷹揚な態度で俊に笑いかけた。
どこかで見た事がある。
俊は記憶を辿ろうとした。
又、頭痛がした。
「谷が来るまで、我々で先に一杯やろうか?浅岡君」
俊は男の顔をまじまじと見た。
老けてはいるが知性を感じさせる顔だった。
今まで硬直してた脳の中に刺激的な風が吹いてきた。
「あなたは、母の、、、」
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俊の封印した記憶は、母の恋愛だった。
父親が死んだ後、母は保険の外交員をして生計を立てた。
かなり俗っぽさを要求される職場だったし、足の引っ張り合いも多かった。
母の典子はそれを乗り切った。
ひとえに俊の成長を願って母は頑張ったと彼は信じてる。
俊は頭の良かった父親そっくりだと言われる。
典子は父親の代わりに自分を頼りにしている。
恋人の梨花に、自分の生い立ちや母への思いを打ち明けたのは夏の終わりだった。
梨花は綺麗な顔をちょっと顰めた。
「お母さんだって女だから色々あったんじゃないの」