読書の森

恋のチャンスの逃し方



昔、私の若い頃、まあ丁度お年頃と言って良い頃、こんな事があった。

地域の活動サークルで知り合った男性から、「同人誌に載せるから何か作品を提出してくれ。どんなものでもいい」と言われた。
その熱心な口ぶりで、どうも彼が自分に気が有りそうだと感じたのである。
真面目な独身の勤め人。
いかにも好意的な態度。

それが荷が重いのである。
一番の理由は、私の肌に消えない傷があるからだ。
これは文字通り、実際に足の手術をした痕でかなり気にしていたのである。
もしかして、ホントにもしかして見られる事態になったら、困る(?)。

ばっかみたいな私は、「肌に残る消えない傷」という言葉を活かした詩を作って原稿用紙に書き、彼に渡した。
封筒に入れたそれを彼は嬉しそうに受け取った。

そして、二度ともう連絡をくれなかった。

後で振られるのは当たり前だと気づいたのは、会社の後輩の女子が
「大人の女の詩は違うのねえ」
と何とも言えない目で私の全身を見回した時だった。

こんなドジを私は、今日に至るまで何度も繰り返している。
恋のチャンスが訪れることがあっても、絶対に逃すという点で首尾一貫しているのだ。
ああ。



私に限らず恋にドジな女は(男も)いる。

コバルト文庫作家で有名だった故氷室冴子もその一人らしい。
彼女の作品『病は気から』で告っている。

彼女が、イイナと思ってた男性とドライブをしたときの事である。
場所は冬の北海道、彼女はそこで独り暮らしをしていた。

「暖房きいてないなあ。寒いよ(車の暖房)」と彼女。
なんと、
「あったかく、なりたい?」と彼。

めったにこんな気障なセリフを言わない人である。

お任せしたいという気分に彼女がなった時、はるか向こうにお宿は見えた。
チャンス!
彼女の脳裏に閃いたのは、「チャンス!」という思いだけではなかった。
「シマッタ!ストーブ付けっぱなしだ」
だった。

出かける時、ストーブの火を始末するのをうっかり忘れてしまっていた。

止せばいいのに、シマッタと思った瞬間に彼女はそれを彼に言ってしまった。
「ストーブ消さなきゃ」
消すのはストーブの火だけのつもりだったが、彼はそれを婉曲な断りの文句だと思ったらしい。
ほわほわの任せろ気分もお任せ気分も消えていく。
そして、気まずい気分を残したまま、その後、二度と二人は会う事がなかったそうだ。



もうこれらの失敗から私が学ぼうとしても意味なさそうだが、「恋の駆け引きにおいて正直であるなかれ」と今しみじみ思う。

そして、想像力豊かなのは良いが、「悲観的な想像力は恋の妨げになる」と思う。

これら、全て体験で学んだ。

にしても、嬉しい(もとい、切ない事に)事に独身の男女が急増した現代、恋の駆け引きの下手な男女も急増したみたいである。
多分、兄弟が少なくなり、大勢で遊ぶ場やお喋りする場が少なくなり、個室化した現代が生んだ現象なのだろうか?

それとは別に、隔離されていない限り、恋のチャンスは殆ど誰にでも平等に何回か訪れるものだ。
上手にタイミング良く捕まえてくださいね!


追記:
氷室冴子は親の見合いの勧めを強引に断りまくったそうです。
私めは親の事情で正式なお見合いは一度もした事がありません。
恋にドジで結婚したい男女に多分一番向いてるのが、昔風の見合いではないかと思います。

読んでいただき心から感謝いたします。

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