今日は土用丑の日、ささやかにひつまぶし風ご飯を作った。
あまりに雑に大葉を切ってしまい、恥ずかしいけど、久しぶりのウナギはやはりウナギの味がした。
さて、1959年(昭和34年)は当時の皇太子と美智子妃殿下のご成婚の年として記憶に残る。
民間から天皇家に嫁がれるのは美智子様が初めてで、しかも気品高く美しい。
民間の熱狂ぶりは凄くて、ミッチーブームが巻き起こった。
この4月10日のご成婚のテレビ中継を見たいが為に、テレビの受像機の売り上げが急上昇した。
91万台だった各戸の保有台数は一気に200万台を超えたのである。
写真は婚約時代にテニスを楽しむお二人である。
幸せそのもののお顔をされている。
幸せな写真の次に出すのは憚られるが、9月26日後に言う伊勢湾台風が猛烈な勢いで本州を縦断した。
この時、名古屋市はおりあしく伊勢湾が満潮となり、当時の堤防も不備で、逆流した海水で街が水浸しとなる。
もとより、今の様な警報体制もとられず、未曽有の被害を受けた。
何と、死者行方不明者5098名、20世紀最大の気象災害となった。
写真の家族は、台風が去って三日後、助けを求める家族である。
ほっとした表情にこちらもほっとする。
こんな惨事を二度と繰り返さないためにも早目の避難が大切だと思う。
この年、庶民には高嶺の花だった乗用車の価格が企業努力により画期的に安くなった。
40万円台のスバル360はその先駆けと言える。
日産ブルーバードがそれに続いた。
テレビ、車、消費革命が進んでいくのだった。
なんだか今よりずっと景気が良さそうではある。
この写真なんだと思われますか?
そう、お墓のアパート一号なのだ。
雑司ヶ谷霊園内に三階建ての設備で、多分土地の急騰から建設されたのだろう。
しかし、折角作った安いお墓の利用者は1割。
ご先祖様大事の当時はかなり抵抗感があったのだろう。
そして、この霧に包まれて見えるのは、スモッグに包まれた12月の東京である。
当時の排気ガスや工場のばい煙はそれはひどかったのだ。
こうして昭和元禄の日本の姿を見ると、急激に発展をしていく様子が手に取るように分かる。
多分昭和30年代は発展し甲斐のある心の贅沢な時代だったのだろう。
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