![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/87/9bc9ad9bb8ee6fed619758408a09d78d.jpg)
宝石の様な戦時の記録、まだ充分読み切れていない。
読んだ中で一番感激したのは疎開の記録である。
6年4組の女性教師、M先生は当時30歳、手記を寄せた時には80歳だ。
この抜群の記憶力、文章力に驚く。
本当に驚くのは、その内容である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/cb/4d3eab54b79e5cc7100f3a5ffb8a0f55.jpg)
先生は、なんと30余名の疎開児童の足袋を繕った。
子沢山と戦火に追われ、児童の母親には繕う余裕がない。
履き古し穴の空いた足袋に針を刺している内に、指を傷つけ化膿した。
医院に行く暇もなく、菌は骨に達し、ついに人差し指を切断した。
包帯姿で幽霊のように痩せ細って宿舎の寺にたどり着いた。
寺は秋田の片田舎にある。
待っているのは学寮長の任務だ。
生徒の生活勉強一切を、若干30歳の女性が任された。
7ヶ月余の生活はまさに苦しいハプニングの連続。
よくも此れ程と思う。
8月15日の敗戦を村人の殆どが知らなかった。
電話もラジオも新聞も無かったのである。
そんな日本の一時期の貴重な記録をじっくり読みたい。
戦争で建物は消えても、その場所は残る。
どんな時代の嵐にも負けず、遊び戯れる子どもらの声を聞く思いである。