現在のソフトウエア工学の世界で当たり前のように使われている「抽象化」という言葉。この語にまつわるイメージとは一体どんなものでしょうか。すごく高級で、むずかしいイメージ。何か、高度なことのよう。そんな感じでしょうか。
複雑怪奇な、魑魅魍魎が跋扈するこの世界のさまざまなことがらを、ソフトウエアという純粋無垢な論理の世界で再表現するための唯一の手法。それが抽象化というわけです。
しかし、あまりにも具体的なこの世界の事象を抽象化する際に、当然のことながら捨て去られる部分が出てきます。否、余分な部分を削ぎ落として表現すること、そのことが抽象化なのですから、ことさらここで無駄な言葉を重ねて言い換える必要もないでしょう。
そして、抽象化を経てデータ処理された結果がまた具体的である現実の世界へと出力されます。こうして、「具象」→「抽象」→「具象」という複雑な過程を経てコンピュータによるデータ処理というものは行われているのです。
コンピュータ上での処理はあくまでも論理演算です。それに意味を与えているのは人間の行為そのものなのです。抽象-具象の果てしない相互変換の繰り返しの上に、現代社会は成立していると言っても過言ではありません。
というわけで、コンピュータによる情報処理にまつわるさまざまな事柄は、この抽象-具象関係のうちに存在するということになります。これから、さまざまな切り口からこの情報処理の基本的な関係について考えて行きたいと思います。
複雑怪奇な、魑魅魍魎が跋扈するこの世界のさまざまなことがらを、ソフトウエアという純粋無垢な論理の世界で再表現するための唯一の手法。それが抽象化というわけです。
しかし、あまりにも具体的なこの世界の事象を抽象化する際に、当然のことながら捨て去られる部分が出てきます。否、余分な部分を削ぎ落として表現すること、そのことが抽象化なのですから、ことさらここで無駄な言葉を重ねて言い換える必要もないでしょう。
そして、抽象化を経てデータ処理された結果がまた具体的である現実の世界へと出力されます。こうして、「具象」→「抽象」→「具象」という複雑な過程を経てコンピュータによるデータ処理というものは行われているのです。
コンピュータ上での処理はあくまでも論理演算です。それに意味を与えているのは人間の行為そのものなのです。抽象-具象の果てしない相互変換の繰り返しの上に、現代社会は成立していると言っても過言ではありません。
というわけで、コンピュータによる情報処理にまつわるさまざまな事柄は、この抽象-具象関係のうちに存在するということになります。これから、さまざまな切り口からこの情報処理の基本的な関係について考えて行きたいと思います。