先日、「恩師・後輩との再会」のブログを書いた。また、再会を願うばかりです。
月曜日は明るい時間はトークのネタを考えていました。恩師の下で日本史・文化財学を学んでいた私だが、畑違いの職に就き、修士論文で得た課題も、未だに取り掛かっていない状態である。遠くから来られるので、ひとつでも喜んでいただける話題を提供したかった。
いつも思い出話ばかりでは、芸も無ければ脳も無い人間だから、今回は写真を数点用意してみた。
すべてが「出雲」に関する写真である。最も見て欲しかった写真は3点です。ひとつは夕日、ひとつは畑電、ひとつは稲ハデです。恩師・後輩の住んでいる大分県某所は、夕日を満足に見れない場所だから、ぜひ出雲の夕日を見て欲しいとの個人的な思いがあったからです。あと二つは、理由があって、どうしても見て欲しかったからです。
学生時代、私はその先生の下、「荘園遺跡調査」と言って、大分県の歴史的主要地域に訪れて調査の手伝いをしていました。調査方法として、現地の方に歴史・民俗事例等の「聞き取り」をしたり、重要な石造物や行事の写真撮影を行っていた。詳しい話はまた後日書きたいと思います。
それらの調査の積み重ねが実り、それに伴って生まれた『文化的景観』のが大きく認識されてきました。私の恩師の大きな業績です。
『遺跡』と表しているが、いわゆる考古学で言う遺跡とは違って、その遺跡は現在でも土の上で残されていること、そして現在もその土地に住む方によって活かされていることに、『文化的景観』の意味があります。だけど、今後、担い手がいなければ、その文化は死んでしまうでしょう。
人間によってつくられた「人」・「モノ」は、人間によって活かされ、人間の手を離れれば自ずとその命は枯れていくのです。
学生時代は、調査に同行して話を聴いたり、自分で見て感じていたことですが、写真撮影を好む私として、2009年は改めてそのことを感じました。
本日、添付している畑電の写真は、2008年の5月に撮影したものである。ちょうど田植えのシーズンに入り、気候に恵まれて、「畑電」と「田んぼ」があう写真を撮影することができた。
今年、また同じ場所を訪れたら、その田んぼは、もう水を張っていませんでした。期待してその場所を訪れていたのでがっかりしました。
近所の方に聞いたら、耕作者が亡くなられて、跡継ぎもいないために田んぼを止められたようである。
もうひとつ「稲はで」の写真であるが、2008年9月出雲のある山間部を車で通ったところ、私の身長よりも高い「ハデバ」を目にした。子どものころ、私の親の世代が作っていたものを、カントリーエレベーターの普及した出雲で、現在でもその形を残されていることを目にして、うれしかったです。そこでは、おじいさん、おばあさん、お父さんが役割分担のもと、刈った稲穂をハデバにかける作業である。その脇で子どもたちがハデバを上って遊んでいる。とても喜ばしい風景を見ました。
このことをきっかけにその方と親身になり、お米まで頂きました。お米が改めて甘いものだと感動したことを覚えています。手間のかかる作業であるけど、お米が本当に甘くておいしかったです。
話によると、ハデバの沿道の各幅工事のため、翌年同じ場所では作れないと教えてくれた。だから、悲しいけど貴重な写真を撮ることができた。
2009年9月同じ場所へ赴いた。まだ、各幅工事はまだ本格的に行われず、何とか同じ場所で2009年のハデバを見ることができた。いつまでもその技術と形を残して欲しいと願うばかりです。
『生まれた命はいつか枯れる。』そのことを改めて感じさせられた1年でした。私は一体何を築き、残していけるだろうか?2010年はそれを見つけてみようと思います。
これからもどうぞよろしくお願いします。
実物を見てみたいものです。