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オッペンハイマー

2024年09月26日 | 原子爆弾


 唯一の被爆国である日本での公開が危ぶまれた『オッペンハイマー』の上映が、今年ようやく実現した。
 クリストファー・ノーラン監督作品『オッペンハイマー』は、カイ・バードとマーティン・シャーウィンが著した同名の伝記を原作にして、主人公ロバート・オッペンハイマーの記憶の中に入り込み、「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と挫折、苦悩と孤独の心象風景を丹念に描いた伝記映画だ。
 映画の幕が開くと同時に、映像と音楽の断片が畳みかけるように観客の心を激しく襲い、ナチス・ドイツより早く原爆を開発しなければならないというオッペンハイマーが感じたであろう責任の重圧と切迫観に圧倒される。
 オッペンハイマーとマンハッタン計画に参加した同僚科学者たちとの激しい言い争いも、かなり正確に描かれており、表情の細部も目が離せない。唯一残念なのは、映画に登場するドイツの二人の天才、アルベルト・アインシュタインとヴェルナー・ハイゼンベルクに対するオッペンハイマーの話し方だ。
 アインシュタイは、ルーズベルト米国大統領にマンハッタン計画を提言したオッペンハイマーが私淑する先達であり、ハイゼンベルクはオッペンハイマーがドイツ留学で師事した恩師である。オッペンハイマーは尊敬する二人の科学者に対して、同僚たちとは異なり、少なくとも敬語を用いて話したはずだ。
 また、原爆の父としてのオッペンハイマーの葛藤と苦悩を作品の中心テーマに据えながら、広島と長崎への原爆投下についてほとんど触れられていないのは果たせるかな不自然であり、彼がみずから進んで生み出した原爆の悪魔としての残酷な実相が正確に描かれているとは言い難い。
 もっとも当のオッペンハイマーは、広島と長崎を生涯一度も訪れていないため、彼の心象風景に広島・長崎がないのは当然とも言える。しかしながら、マンハッタン計画には広島・長崎の原爆被害の調査も含まれており、統括責任者であるオッペンハイマーは惨死した被爆者の人びとの写真や残留放射能の測定資料など、多くの報告を受けていた。そのため、広島・長崎の被爆の実態を伝える夥しい映像資料を導入したほうが、オッペンハイマーの実際の心象風景により即していると言えよう。
 じつは、原爆の開発はアメリカのほかに、ドイツと日本でも極秘裏におこなわれていた。アメリカの「マンハッタン計画」がロスアラモス研究所のオッペンハイマーが牽引したのと同様に、ドイツではカイザー・ヴィルヘルム物理学研究所のハイゼンベルクが原爆を開発する「ウラン・クラブ」を指揮し、また日本では理化学研究所の仁科芳雄が原爆開発に向けた「ニ号研究」を主導した。
 ハイゼンベルクは、「原爆は理論上は可能だが、実際に製造することは不可能だ」と考えていた。1945年5月にドイツが降伏すると、ハイゼンベルクはイギリス情報局の工作員に捕縛され、ファーム・ホール収容所で尋問を受けた。尋問した将校から広島と長崎への原爆投下の事実を聞かされたとき、ハイゼンベルクは「そんなことは不可能だ!」と叫び、マンハッタン計画を主導したかつての教え子オッペンハイマーを激しく𠮟責した。
 一方、仁科芳雄もまた友人のハイゼンベルクと同様、原爆を製造することは不可能だと考えていた。そこに広島に新型爆弾が投下されたという情報が入ってきた。それが本当に原爆かどうかを確認するため、大本営は原子核物理学の第一人者である仁科芳雄に広島の現地調査を要請。その要請を受けて仁科は軍用機で被爆直後の広島に入り、爆心地周辺に飛散した人骨や建物の破片を採取し、残留放射能の測定作業などをおこなった。
 仁科は、広島の凄絶な大量殺戮の惨禍の只中に佇み、「原爆を二度と使ってはならない」と真情を吐露し、原爆の開発をみずから進んで牽引したことを贖罪した。
 オッペンハイマーとハイゼンベルクと仁科芳雄、原爆の開発をそれぞれに先導した三人が大戦後に共通して取り組んだのは、世界平和に向けた核の国際管理であった。
 たとえば、仁科が所属した理化学研究所はGHQによって解体され、彼は一旦職を解かれたが、その後日本学術会議の副会長に就任し、核の国際管理の実現に向けた活動を展開した。
 1949年10月6日におこなわれた日本学術会議の総会で、「原子力に対する有効なる国際管理の確立要請」の声明を世界に向けて発表した。このとき仁科が作成した声明文は短いものだが、原爆に世界の注目が集まるなか、GHQによる占領下の厳しい検閲がおこなわれていた日本にあって、原爆に関して公的機関が唯一世界に向けて発信したメッセージであった。
「日本学術会議は、平和を熱愛する。原子爆弾の被害を目撃したわれわれ科学者は、国際情勢の現状に鑑み、原子力に対する有効なる国際管理の確立を要請する」



(「オッペンハイマー」上山明博『脱原発社会をめざす文学者の会 第28号』2024年9月より)
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書評「アジアに生きる──村上政彦著『結交姉妹』」上山明博

2023年10月27日 | 書評
 文字を用いることを許されなかった女性たちがいたことを、浅学をさらすようだが私はこの本を読んではじめて知った。
 中国湖南省江永県の一部の地域に、女性が文字を用いることを良しとしない特異な風習があった。そのため、その地域に生まれ育った女性たちは、文字(男書)に代わって、彼女たちだけが理解できる秘密の文字「女書(にょしょ)」を独自に生み出し、何世代にもわたって密かに受け継いできたという。
 女書が知られるきっかけは、一九五八年に湖南省江永県に住む女性が北京を訪れたことにさかのぼる。彼女が話す言葉は訛りが強く、北京の人びとには理解することができなかった。そのため筆談を試みたが、彼女が書く文字はさらに解読不能で、誰も見たことのないものだった。
 村上政彦著『結交姉妹』(鳥影社)は、女書を作品の主要なモチーフにした、十の短編からなる連作小説だ。
 著者はこれまで、日本と台湾の近現代史を背景に、国語教育の様態を追った『「君が代少年」を探して──台湾人と日本語教育』(平凡社新書)や、小説『台湾聖母』(コールサック社)など、日台両国の歷史の狭間に埋もれた人間ドラマを軽やかな澄んだ筆致で描いてきた。
 近著『結交姉妹』は、女書という新たなモチーフに着想を得た著者が、日本と中国の歷史の深層を、覇者の視点ではなく市井に生きた女性の視座から捉え直し、豊かな想像力によって精緻に編んだもうひとつの物語である。
 女書でつづられた詩歌や回顧録は、男尊女卑の社会のなかで親や夫から虐げられ、労役を強いられてきた女性たちの悲しみや苦しみの数少ない発露であり、それは同時に、彼女たちにとって明日を生きるささやかな糧ともなったろう。
 本書の主題である女書のコンテクストには、日清ならびに日中戦争が厳然としてある。事実、日本軍は女書の使用を禁止し、厳しく取り締まった。無論、解読不能な女書が諜報(スパイ)活動や抗日運動に用いられることを恐れてのことである。
 男たちが陰惨な戦争を長年にわたって繰り広げてきた影で、女たちは女書を介して抑圧された心の裡を伝え合い、文化を後世に密かに守り継いできた。本書に収められた短編小説のいたるところに、日本が中国を侵略したことに対する著者の贖罪の思いと、地域の文化を静かに継承してきた女性たちへの畏敬の念が滲み出る。

  女が女だけに分かる文字を持つ。男たちは剣(つるぎ)で国を建て、文字で民を支配する。
  女たちは文字で繋がって、やがて男たちの国を包んでいく。(大姉口伝)

 著者の村上氏は、連作小説を貫く縦糸に女書を、横糸に盧溝橋事件や南京事件などの歷史の諸相を巧みに織り込みながら、壮大なスケールでアジアの物語を生き生きと描き出すことに成功した。そして、読者である私は、『結交姉妹』を読み進むあいだ、「脱亜」と「興亜」の間で揺れ動いた日本の、近代から現代にいたる波乱の歴史の廻廊を追走した。
 読み終えて、すっかり『結交姉妹』の世界に魅せられた私は、図書館で女書に関する文献を探索し、目当ての図書を借り受けて女書を記した文書をひも解いた。
 すると、砂浜に残された水鳥の足跡のような、軽やかで流麗な無数の象形が目の前に広がった。親や夫に抑圧された暗い歷史があったとは到底思えない、神々しいまでに美しい筆致に胸を打たれた。



村上政彦著『結交姉妹』鳥影社、四六判、280頁


村上政彦サイン「謹呈 上山明博様 2023年9月4日 村上政彦」 
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『週刊文春』編集者によるインタビュー記事「本当の牧野富太郎」

2023年09月21日 | 牧野富太郎
上山明博著『牧野富太郎:花と恋して九〇年』青土社刊 を読んだという週刊文春 編集者のzoom取材に応じ、「朝ドラらんまん とは異なる、本当の牧野富太郎」についてインタビューにお答えした。
その掲載紙『週刊文春 2023年9月28日号』が今日拙宅に届いた。お時間が許せば一度手に取って見て下さい。

週刊文春電子版▶https://bunshun.jp/denshiban/articles/b6946


『週刊文春 2023年9月28日号』本誌


『週刊文春 2023年9月28日号』本誌見開き
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「大森房吉と今村明恒」を『歷史街道 10月号』に7ページにわたり掲載。

2023年09月07日 | 大森房吉
9月1日に再放送されたNHK-BS番組「英雄たちの選択」にゲスト出演し、「関東大震災と大森房吉」について、司会の磯田道史さんとお話させていただきました。スタジオ収録後も調べをつづけ、新たに分かったことを雑誌『歷史街道 10月号』に7ページにわたって書きました。
最近の私の自信作です。興味のある方はぜひ一度手に取って見てください(『歷史街道─関東大震災特集 10月号』2023年9月6日、PHP研究所、840円)。


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文学サロン「『牧野富太郎』を語る」盛会にて終了、有難うございます❗

2023年09月05日 | 牧野富太郎
9月4日(月)、第11回文学サロン「『牧野富太郎』を語る」(主催=脱原発社会をめざす文学者の会・共催=日本文藝家協会)を日本文藝家協会会会議室にて開催。70インチモニターに参考資料を随時映し出しながら、牧野富太郎の知られざる前歴や、池波正太郎や森鷗外との交流などを1時間半にわたってお話しさせていただきました。
当日は朝からあいにくの雨にもかかわらず、牧野家と親交のあったエッセイストのT氏や、南房総で菜食主義を実践する写真家のL氏と初めてお会いさせていただき、おかげで刺激的で楽しい時間を過ごすことができました。
お話しの機会を与えていただいた森詠さんと村上政彦さん、そしてサロン会場にお集まりいただいた皆さんに感謝いたします。💗

日本文藝家協会イベント情報▶https://www.bungeika.or.jp/event.htm
































公益社団法人 日本文藝家協会会議室に於て(千代田区紀尾井町3-23 文藝春秋ビル新館5F)
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第11回〝文学サロン〟「『牧野富太郎』を語る」日本文藝家協会にて開催

2023年08月17日 | 牧野富太郎
来たる9月4日(月)、「『牧野富太郎』を語る」と題する文学サロンを日本文藝家協会において下記の通り開催いたします。ご興味のある方は是非お立ち寄りください。

 第11回〝文学サロン〟9月4日(月)午後6時〜7時半 日本文藝家協会
 『牧野富太郎』を語る
 ゲスト=上山 明博(ノンフィクション作家)



今年のNHK連続小説「らんまん」の主人公のモデルとなった牧野富太郎。ドラマ化発表以前の2021年より取材を開始した著者は、牧野博士に関する膨大な資料を渉猟し精査する一方、生まれ故郷の高知・佐川から終の棲家となった東京・練馬の居宅跡まで、関係各所を訪ねた。そうした2年におよぶ丹念な取材調査を通して、博士がみずから書き記した自叙伝や自叙伝のプロットをなぞった多くの伝記などとは大きく異なる牧野富太郎の隠された素顔が浮かび上がった──。近著『牧野富太郎:花と恋して九〇年』(青土社)を上梓したノンフィクション作家の上山明博さんに、取材のエピソードも交えて牧野富太郎の実像について語っていただきます。(日本文藝家協会事務局)

・開催日時=9月4日(月)午後6時~7時半 (午後5時半開場)
・参加費=1,500円(ドリンク付き)
・お問い合わせ&申し込み=公益社団法人 日本文藝家協会事務局https://www.bungeika.or.jp/event.htm
・会場アクセス=日本文藝家協会 会議室(地下鉄 有楽町線 麹町駅1番出口より徒歩3分)
 千代田区紀尾井町3-23 文藝春秋ビル新館5F
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産経新聞「トレンドを読む」で『牧野富太郎:花と恋して九〇年』を紹介

2023年07月03日 | 牧野富太郎
7月2日(日曜日)の産経新聞・読書面「トレンドを読む」で、拙著『牧野富太郎 花と恋して九〇年』が、『「人間・牧野富太郎」伝』、『牧野富太郎選集』とともに紹介。記事に「従来の自叙伝や伝記ではあいまいにされていた部分を明らかにした画期的評伝だ」とあり、丁寧に読んでいただき素直に嬉しい❗ 記事は文化部・磨井慎吾氏。
→産経新聞(SANKEI WEB)


7月2日(日曜日)「産経新聞」読書面
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朝ドラ主人公の伝記『牧野富太郎:花と恋して九〇年』が今日から発売❗

2023年03月14日 | 牧野富太郎
およそ二年の歳月をかけて取材・執筆した『牧野富太郎:花と恋して九〇年』上山明博著・青土社刊が、いよいよ今日から全国の本屋さんならびにオンライン書店で発売開始❗
牧野博士はNHK朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルで、博士の人生は意外の連続。ぜひ一度手に取って見てください。

https://amazon.co.jp/dp/4791775392


『牧野富太郎:花と恋して九〇年』青土社刊、四六判、261頁、3月14日発売
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待望の新刊見本『牧野富太郎:花と恋して九〇年』が届く❗

2023年03月12日 | 牧野富太郎
待望の新刊見本が届く。
上山明博著『牧野富太郎:花と恋して九〇年』四六判、261頁、青土社刊。
机の上に置くと、机から花が咲いたよう。書店に並ぶのが楽しみ〜 😁❗

https://www.amazon.co.jp/dp/4791775392

練馬石神井・自宅にて
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NHK BSプレミアム「英雄たちの選択:幻の地震予知〜大森房吉と関東大震災」画面ダイジェスト

2023年03月10日 | 大森房吉
今週放送のNHK BSプレミアム「英雄たちの選択:幻の地震予知〜大森房吉と関東大震災」にスタジオ出演させていただきました。司会の磯田道史さん、杉浦友紀さん、そしてスタッフの皆さん、ありがとうございました😁❗


























































(於:東京メディアシティ砧スタジオ)
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