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その志は、〝日本のエジソン〟へと受け継がれた

2017年10月06日 | 寄稿
「資源に乏しいわが国が列強に伍 して発展するためには、科学立国が唯一の進むべき道である」
明治時代に入り、近代産業が興り始めた京都の地で、
そんな想いを胸に理化学機器の開発に当たっていたのが、島津源蔵であった。
やがて、彼の志は、後に「日本のエジソン」と謳われた息子へと受け継がれていく。

上山明博


『歴史街道』2017年11月号、特集2「島津源蔵と京都近代産業」PHP研究所、p.124~p.125


『歴史街道』2017年11月号、特集2「島津源蔵と京都近代産業」PHP研究所、p.126~p.127


『歴史街道』2017年11月号、特集2「島津源蔵と京都近代産業」PHP研究所、p.128~p.129
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「その志は、〝日本のエジソン〟へと受け継がれた」上山明博『歴史街道』

2017年10月05日 | 寄稿
明日(10月6日)発売の月刊誌『歴史街道』(11月号、PHP研究所)の第2特集「島津源蔵と京都近代産業」に、私・上山明博が6ページにわたって拙文を書いています。
特集の巻頭で、作家の童門冬二先生(90歳)が「近代産業の背景となった、京都の歷史と先進性」について考察。童門氏の玉稿に続いて私が、京都舎密局の門前で〝西洋鍛冶屋〟を創業した島津製作所の祖・島津源蔵(初代・二代目)父子の志と挑戦について書かせていただきました。
題して「その志は、〝日本のエジソン〟へと受け継がれた」。機会あればご笑覧ください。

(『歴史街道 11月号』特集2「島津源蔵と京都近代産業──世界に挑んだ“Made in Japan”」より)
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