京都美術館で 「三浦景生の染め 白寿の軌跡」
9月 18日まで
三浦景生は京都生まれ 染色を志し小合友之助に師事。
1947年に開催した日展・京展に其々初入選して以来 日展、日本現代工芸美術展、日本新工芸展などで活躍、受賞を重ね、審査員を歴任する。染色家として活躍する一方、京都市芸術大学等で教鞭をとり多くの後進を育て、
又、石川県立九谷焼技術研修所での指導が縁となり 色絵を施した陶筥など陶器の制作も手掛けています。
戦後の芸術家として西洋の抽象表現の影響を受けながら独自の世界を作り上げ、晩年は野菜や果物を主題に、拡がりのある神秘的な世界を生み出してきました。
京都染色会の重鎮として60余年もの間精力的に邁進してきましたが、昨年、99歳をもって惜しくも逝去されました。今回の展覧会は、氏の業績を偲び、初期から晩年までの染色作品に加え、写生帳や下絵、陶器の作品で、三浦芸術の軌跡を一堂に紹介するものです。
絶え間なく多くの方々が見入っておられました。ちょっとしたスペースに椅子が何脚かおかれ、お元気な先生の制作風景がビデオで流されていて、とても身近に作品を感じられて。
9月 18日まで
三浦景生は京都生まれ 染色を志し小合友之助に師事。
1947年に開催した日展・京展に其々初入選して以来 日展、日本現代工芸美術展、日本新工芸展などで活躍、受賞を重ね、審査員を歴任する。染色家として活躍する一方、京都市芸術大学等で教鞭をとり多くの後進を育て、
又、石川県立九谷焼技術研修所での指導が縁となり 色絵を施した陶筥など陶器の制作も手掛けています。
戦後の芸術家として西洋の抽象表現の影響を受けながら独自の世界を作り上げ、晩年は野菜や果物を主題に、拡がりのある神秘的な世界を生み出してきました。
京都染色会の重鎮として60余年もの間精力的に邁進してきましたが、昨年、99歳をもって惜しくも逝去されました。今回の展覧会は、氏の業績を偲び、初期から晩年までの染色作品に加え、写生帳や下絵、陶器の作品で、三浦芸術の軌跡を一堂に紹介するものです。
絶え間なく多くの方々が見入っておられました。ちょっとしたスペースに椅子が何脚かおかれ、お元気な先生の制作風景がビデオで流されていて、とても身近に作品を感じられて。
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