5月20日、滝の城まつりが開催されるので滝の城址へ行ってみた。
10時半から開始だと10時過ぎには家を出ないとならない。
いつもお昼頃に起きる私にとっては早起きになる。
しかし、この日は9時頃には目が覚めた。
城址内を歩き回れるようにマウンテンバイクにspdシューズで行った。
旧浦所の東所沢駅付近から、滝の城まで沿道には人が出て何かを待っている様子だ。
祭りの詳細を知らなかった . . . 本文を読む
お出かけの途中で見つけた梅の花
桜も好きだけど、梅の花も好き。
子供の頃はどちらかというと桜より梅の方が好きだったかも。
派手過ぎずに奥ゆかしく咲くところが良い。
紅梅ばかりが並んで咲いている一角でした。
なかなか気温が暖かくはなりませんが、それでも春の陽に見事に映えている梅の花だったので思わず自転車を停めて写真に納めました。
安松の七曲の坂を上った所、消防 . . . 本文を読む
先日、正福寺の地蔵祭りに行った際、郷土研究会のOさんに「市民文化祭が今度の日曜まで開かれ、市民ホールで郷土研も展示を行っているので機会が有ったら観に来て下さい。」と言われていた。
その時は、あんまり時間が取れないだろうから行けないだろうなぁと思っていた。
しかし6日の日曜、私がお休みの日、天気はシトシト雨だった。
ちょっと寒いので釣りにも行けない、自転車も乗れない。
ということで、市民文 . . . 本文を読む
11月3日は正福寺の地蔵祭りである。
正福寺の地蔵堂は都内唯一の国宝建造物だそうだ。
この日はその地蔵堂のご開帳が有って、中に入れる数少ないチャンスなのだ。
マウンテンバイクで寺に向かうと、周りは静かだったのが、お寺に近づいて行くとその一角は人が集まっていた。
午後の雅楽の演奏までには到着することができた。
「浦安の舞」という東村山の無形文化財が披露される。
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宅部うどんを出て次に目指すのは東大和郷土博物館だ。
1時から上映のプラネタリウムに間に合わせたい。
廻田小脇の坂を上って多摩湖畔を通り、南岸のアスレチックと八幡神社の間の坂を下って到着だ。
この玉の中で鑑賞するわけです。
チケット200円を買って、入場です。
土曜日の午後と言うこともあって家族連れが多く、全部で入場者は15~20人程度でしょうか。
ドームの中はちょっと寒い。もしかすると節電の . . . 本文を読む
瓦塔出土地から多摩湖と西武園の間を抜け、下山口方面へ坂を下る。
踏切を越えるとすぐそこは山口城跡だ。
城趾周辺は昔から自転車で通っていたが、いままでちゃんと眺めた事は無かった。
これまでは、城跡が有るんだなぁくらいにしか思っていなかった。
興味を持って見てみると、「ああ、この土の山が土塁と言われる遺構なのか」と思える。
興味がないと、「建設の残土が積み上げてある」くらいにしか思えない。
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この前の週、N氏とのサイクリングで、立ち寄りたかったが行けなかった瓦塔出土地に行くのが次の目的である。
瓦塔とは「がとう」と読み、焼き物で出来た五重塔である。
「がとう」と音だけ聞くと何となく美味しそうな物の感じがするがそうではない。
レプリカがふるさと歴史館に有り、本物は国立博物館に有るらしい。
ふるさと歴史館でレプリカを見たが、それはなかなか素晴らしいもので、是非出土地に行ってみたいと思って . . . 本文を読む
八国山の尾根道を下り、二つ池の脇を通り過ぎると平地に戻り、西武園線の踏切を渡った所に八国山たいけんの里が有る。
2009年に出来たらしく、きれいな建物である。
自転車にカギをかけ、サンダルに履き替え、自転車乗りの格好で浮きまくっている私だったが入館させていただく。
わりと親子でいらっしゃっている来館者が多く、そこそこの入り具合だ。
館内の写真は控えることにした。
靴を脱いでスリッパで . . . 本文を読む
その1で沢の堀の先端部を示したGoogleマップを貼り付けてみようと試みたのだが、どうも妙なループ状態に陥りブログ編集不能になってしまうので諦めた。
さて、沢の堀から二瀬橋の交差点を通って久米川古戦場跡へ向かう。
ここもご近所はしょっちゅう通っていたが、実際に訪れるのは初めてになる。
あっ、もちろん戦場はとても広かったでしょうから実際の古戦場の上は自転車で走り回っていたでしょうけど、碑が有るとこ . . . 本文を読む
3月6日の日曜日は前日の悪天候とは変わって良い天気になった。
そこで、八国山たいけんの里へ行ってみることにした。
普段着にスニーカーでマウンテンバイクに乗って出かけようかと考えていたが、天気も良いし時間が有ったら林の中も走りたいなぁなんて思って、結局レーサーパンツにジャージ、ビンディングペダル仕様にした。サンダルやらを小さなリュックに背負っていざ出陣である。
まだ、マウンテンバイク用のペダルと . . . 本文を読む
26日土曜日、東村山ふるさと歴史館にて「狭山丘陵事始」と題して講演会が行われました。
2時からの開催ということで、その前に少し寄り道しながら行き、途中うどんでも食べて歴史館へ行こうと考えていた。
マウンテンバイクで出かけ、秋津小裏手の坂を下った所あたりでふと「沢の堀」の上流部はどうなっているのか見てみようと思った。
道路から沢の堀の暗渠の上まで階段になっていて降りられる様になっている。自転車を . . . 本文を読む
その3の投稿にて挙げた旧字名は東村山ふるさと歴史館の「旧五村地図・人口と戸数と石高」という解説パネルを元にしたもので、明治9年の頃のものだそうです。
ちなみに、南秋津村は戸数136戸、人口896人、石高368.23石だったみたいです。
それからお店が暇だった時に、あるお客様と秋津周辺をグーグルマップで見ながらお話ししている時、南秋津村の宮前という字名が残っている場所を発見、思い出しました。
秋 . . . 本文を読む
笹塚遺跡の笹塚の名前の由来って何でしょうという疑問にについてです。
答えから言うと地名なのです。旧字名(あざめい)になる訳です。
時代によって村やら町やら市やらと区分が変わるのでしょうけれど、私の手元に今ある資料では「武蔵野話」の入間郡北秋津村の記述の中に
「此村の南東に流るゝは簗瀬川なり。その川を隔て向ふに南秋津村あり、同村にして多痲郡に屬せり。」
とあります。(本の通り旧字体を使ってお . . . 本文を読む
しかし、個人的には館内で閲覧させて頂いた77年81年の調査資料には90,92年の資料を上回る驚きは無かった。
住居跡や土器や石器が出土したということだが、甕まるごとそのまんま出土みたいな事は無かったようである。
今回笹塚遺跡に興味を持って思ったのだが、おそらく秋津5丁目辺りは掘り返すとまだまだ出土していない遺跡が沢山有るのではないかと思う。秋津5丁目だけでなく、比較的川に近いこの地域は太古の昔か . . . 本文を読む
20日の定休日、本来ならば「ウィスキーライヴ」へ行く予定で前売りチケットも取っていたのだが、昼過ぎにちょっと予定が入ってしまい残念ながら行けなくなってしまった。
年に一度しかないので楽しみにしていたのだが.........。
その、昼過ぎの用事が終わった後に少し時間が有ったので再び東村山ふるさと歴史館へ足を運んでみた。
今回は諸々の事情により自動車で。雨も降りそうな天気でしたし。
ふるさと歴史館 . . . 本文を読む