「日本の女たちは、
1000年以上に及ぶ絵画の歴史の中で、
三度重要な画題となり、三度男たちに拮抗する主人公となった。
すなわち平安時代の貴族の女を描いた絵巻物、
徳川時代の初期の京都を中心とする庶民の女を描いた風俗画、
そして江戸の遊女と町家の女を描いた
浮世絵においてである。」
(加藤周一)
先日、京都高島屋で開催された「浮世絵ベルギーロイヤルコレクション展」に、行きました。
東京では明治神宮前の太田記念美術館にて、昨年9月に開催されていた模様。
画像は鈴木春信「五常 義」。
美しくて粋なきものの柄と色、着こなし方、
今の日本人とは明らかに違う、姿勢、そしておそらく所作。
のんびり晴れ晴れとした明るさが伝わってくる、楽しい作品に溢れた素晴らしい展覧会でした。
大量に作品があるから、華やかさが違う。
連れて行ってくださった光さん、どうもありがとうございました。
私自身の浮世絵の知識は、ほとんどといっていいほどありません。
深く知ろうとするにはあまりに浮世絵の雰囲気はしっとりと日本そのものとなじみすぎている印象で、暮らしの延長のような親しみがかえって知識欲を閉ざしていました。
しかしここ数年、物事においては
そういう「ふつうにある」ように見えるものこそ、普遍であり、大きな宝を秘めているのではないか
という思いが、ふつふつと立ちのぼり始めています。
加藤周一氏の著作に出会ったのも、きっかけです。
加藤先生は昨年末に亡くなられ、NHK番組では大きな特集も放映されました。
医師、そして文学・芸術評論家、・・・というカテゴリをかるく飛び越えて世界で活躍された偉大なる知性。
わたしの本を読むスピードはそう遅くないほうだと思うのですが、この方のあまりに凝縮された密度の濃い美しい文体を前にすると、一行一行をじっくり読み入ってしまうので、とても時間がかかります。
お茶のようにすうっとは飲めない、
いうなれば上等の、香りの強いチョコレートの粒たちのようです。
少しずつ味わって食べてしまう、時を止める芳醇さがあります。
冒頭の文章は、
『日本その心とかたち』(徳間書店)より、浮世絵について論じられた一節です。
(画像から詳細へjumpします。)
この一冊は、美に関心と造詣深いお宅では家宝になることでしょう。
浮世絵の世間的な役割、
つまり17世紀後半から流行した折は女性と歌舞伎役者、のちには相撲力士が主な題材とされ、19世紀になってからは風景画が登場し、その流れずっとを通じて春画も存在した、
という基礎知識から、
構図の特徴(「幾何学的遠近法の採用」)、色彩の妙なる調和、線の細さによる質感の表現にいたるまで、詳細に述べられています。
そして、
女性という存在に表れる、社会の階層、役割について。
これが本当に面白い。
なにより衝撃的だったのは、歴史というものが今現在への必然として繋がっている、ということが克明に感じられる点です。
江戸時代に女性がきものをまとって粋に暮らしていた、
そのことと現代の自分には何の関りも無いように思うからこそ歴史と芸術への関心は薄くなるわけですが、実際には違う。それは大きなことを見落としていることになります。
社会というかたちを自由に変える生き物が、現在もゆるゆると姿を変えていく過程に、今のわたしたちもいます。
過去からの流れを一本の筋道で見つめる力を、こうして優れた著作のパワーを借りて得ることができます。
素晴らしい芸術品で感覚に潤いを受け取りつつ、
世界をまるごと感じ取れる。
浮世絵が今回その美しい窓口になってくれたことに感謝です。
1000年以上に及ぶ絵画の歴史の中で、
三度重要な画題となり、三度男たちに拮抗する主人公となった。
すなわち平安時代の貴族の女を描いた絵巻物、
徳川時代の初期の京都を中心とする庶民の女を描いた風俗画、
そして江戸の遊女と町家の女を描いた
浮世絵においてである。」
(加藤周一)
先日、京都高島屋で開催された「浮世絵ベルギーロイヤルコレクション展」に、行きました。
東京では明治神宮前の太田記念美術館にて、昨年9月に開催されていた模様。
画像は鈴木春信「五常 義」。
美しくて粋なきものの柄と色、着こなし方、
今の日本人とは明らかに違う、姿勢、そしておそらく所作。
のんびり晴れ晴れとした明るさが伝わってくる、楽しい作品に溢れた素晴らしい展覧会でした。
大量に作品があるから、華やかさが違う。
連れて行ってくださった光さん、どうもありがとうございました。
私自身の浮世絵の知識は、ほとんどといっていいほどありません。
深く知ろうとするにはあまりに浮世絵の雰囲気はしっとりと日本そのものとなじみすぎている印象で、暮らしの延長のような親しみがかえって知識欲を閉ざしていました。
しかしここ数年、物事においては
そういう「ふつうにある」ように見えるものこそ、普遍であり、大きな宝を秘めているのではないか
という思いが、ふつふつと立ちのぼり始めています。
加藤周一氏の著作に出会ったのも、きっかけです。
加藤先生は昨年末に亡くなられ、NHK番組では大きな特集も放映されました。
医師、そして文学・芸術評論家、・・・というカテゴリをかるく飛び越えて世界で活躍された偉大なる知性。
わたしの本を読むスピードはそう遅くないほうだと思うのですが、この方のあまりに凝縮された密度の濃い美しい文体を前にすると、一行一行をじっくり読み入ってしまうので、とても時間がかかります。
お茶のようにすうっとは飲めない、
いうなれば上等の、香りの強いチョコレートの粒たちのようです。
少しずつ味わって食べてしまう、時を止める芳醇さがあります。
冒頭の文章は、
『日本その心とかたち』(徳間書店)より、浮世絵について論じられた一節です。
(画像から詳細へjumpします。)
この一冊は、美に関心と造詣深いお宅では家宝になることでしょう。
浮世絵の世間的な役割、
つまり17世紀後半から流行した折は女性と歌舞伎役者、のちには相撲力士が主な題材とされ、19世紀になってからは風景画が登場し、その流れずっとを通じて春画も存在した、
という基礎知識から、
構図の特徴(「幾何学的遠近法の採用」)、色彩の妙なる調和、線の細さによる質感の表現にいたるまで、詳細に述べられています。
そして、
女性という存在に表れる、社会の階層、役割について。
これが本当に面白い。
なにより衝撃的だったのは、歴史というものが今現在への必然として繋がっている、ということが克明に感じられる点です。
江戸時代に女性がきものをまとって粋に暮らしていた、
そのことと現代の自分には何の関りも無いように思うからこそ歴史と芸術への関心は薄くなるわけですが、実際には違う。それは大きなことを見落としていることになります。
社会というかたちを自由に変える生き物が、現在もゆるゆると姿を変えていく過程に、今のわたしたちもいます。
過去からの流れを一本の筋道で見つめる力を、こうして優れた著作のパワーを借りて得ることができます。
素晴らしい芸術品で感覚に潤いを受け取りつつ、
世界をまるごと感じ取れる。
浮世絵が今回その美しい窓口になってくれたことに感謝です。
普遍的なものに新しさや魅力を感じる・・・
私もそうですね。
良いモノをずっと長い間探してきていたけど、振り返って見ると、すぐ側にあった事に気付きます。
浮世絵もそうですし、書道や武道もそう思います。
そういう時は前より感性が少し成長してきたのかな?と思います。
まぁ難しい事はさておいて、楽しく観れたので好かったんですけどね
コメント&トラックバックありがとうございました。
こちらから何度やってもうまく飛ばないようです。
申し訳ないです。
金魚の絵葉書引っ張り出して来て
またにこにこしながら見てみました。
いいですよね~あれ。
普遍の力は、ものすごい太くて確実な精神軸でできているのでしょうね。
そういう、一見見落としてしまいそうな大切なものは、磨かれた目に改めて発見されるのが面白いですね。
TBにて不便な思いをさせてしまい、こちらこそ申し訳ございません。
今はやりの迷惑コメントとTB封じに、記事リンクなしのTBを阻止してるのですが、肝心なときに機能しないんでは困りますね・・・。
また調整してみます。
金魚仲間でしたかー♪
あれはほんとに楽しいですね!!
浮世絵の巻,古今東西の女性の描き方を比較しつつ考察した見応えのある内容でしたが,ご著書もすばらしいのですね(当然か・・・)。本の方もすぐに購入したいと思います。おすすめをありがとうございます。
こちらのDVD集の琳派の巻もすごかったですよ。琳派とその海外への影響について加藤さんのお話が聞けるだけでもすごいのに,レヴィ・ストロースさんの談話まで映像で出ていて,ありがたいことといったらありませんでした。って,もうmiさんご覧になってるかもですね^^
DVDをお持ちとは驚きです!
加藤先生は、英語、フランス語、ドイツ語、日本語の4ヶ国語で、日本文学と日本美術をその国の大学院生に講義したそうです。もう二度と現れない最後の正統派知識人かもしれませんね。。ちなみにサルトルとボーヴォワールのカフェオレ友達だったと聞いています。