一歩中に入っただけで、荘厳な気持ちに満たされる空間、
というものがあります。
そんな空間には、必ず、その空間にちなんだ人々の揺るぎない哲学が行き届いていて、
その緊張感が、訪れる人を清々しい気持ちにさせてくれます。
例えば、古都のお寺やその庭、ヨーロッパの大聖堂など。
そういう場所は、むかしから多くの人の真心が還るところだから、歴史を経れば経るほど、精神的な度合いをつよく増していきます。
ところで、そうして自然に精神性を高めていった場所に良く似た特質を備えているのが、芸術を表現する場です。
コンサートホールや美術館は、たとえ建物がまだ出来立てほやほやの、貫禄などまだ持ち得ないものであろうと、
中で表現する人達の作り出す素晴らしい何かによって、一気に、居合わせた人々を、精神世界に気持ちよく導いてくれる非日常空間です。
空間は、常に人の「想い」によってつくられます。
ワタリウム美術館で今開催されている『empty garden 2』は、そんな風に、「空間」の持つちからについて、改めて考えさせてくれます。
決して広くない部屋に設置された展示『Falling Garden』(シュタイナー&レンツリンガー@スイス)。
天井から、無数の草花が舞い降り、そのまま空中で静止した、不思議な空間。
フロアに置かれたソファに横たわって、天井を見上げると、何もない空間を見ているより、
空間に散るオブジェたちに切り取られた空間の方が、存在感をもって目に飛び込んでくるのがまず新鮮な発見。
モノを置くことによって、空いたスペースをより広がったように認識させるという手法に、なるほどなあ、と感心ですが、
ここでコンセプトをちょっとだけお勉強することによって、その空間の味わい方はより深くなります。
とてつもない空白の場所、「グランド・ゼロ」から、作者の彼らが受けた印象が消化され、また外に出て行くとき、その表れのひとつが、これなのでした。
あのあまりに呆然とした気持ちが、この作品によってまた思い出されます。
もしくは、彼らの気持ちがそうだから、こちらにもそう伝わって来ているのかもしれません。
この作品を味わう上で、私の好みは、どっちかというと自分がソファに横たわって空間を見上げるより、
横たわった人と空間、をひとつの景色として傍から見ることです。
ポスターもそういう構図になっています。
当事者としてでなく、一歩下がったほうが、物事(この場合は、スペース感)はよりクリアに見えることが多々あります。
それをいっぺんに体験出来てしまうというわけ。
当事者にもなり、同時に第三者にもなれる、そんな疑似体験も楽しめることが、とても面白く感じられました。
実のところ、そういう楽しみ方をするのが、作者の意図したものかどうかはわかりませんが、素晴らしい作品は、いろんな解釈を可能にさせて、感じる楽しみを増やしてくれます。
また、展示の中で、これとはまったく趣を異にするのが、円空の彫った、木彫の仏像。
ざっくりした造りだし、とても小さいのですが、なぜか周りの空気を穏やかに、でも力強く満たしてくれています。
片や、包み込む空間、片や、広がらせる空間。
空間自体は、透明で目に見えるものではありませんが、感じることは出来ます。
音のない静けさを聴き、見えない空気を鑑賞する。
そんな贅沢を可能にしてくれる、素敵な場所でした。
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『エンプティ・ガーデン2展』は、会期中、1枚のチケットで何度でも鑑賞出来ます。
出展アーティストは他、クー・ジュンガ、イアン・ケア、トーマス・フレヒトナー。
この美術館のショップは、美しい書籍や、カード・便箋等が充実していて、プレゼントにも素敵。
ちょっとコーヒーを飲みに行く場所としても、静かでおしゃれでいいです。
どの駅からも、ちょっと遠いですけどね。
だから、混まなくていいのかな・・・。
お散歩コースとしてなかなかいいです(^-^)v♪
というものがあります。
そんな空間には、必ず、その空間にちなんだ人々の揺るぎない哲学が行き届いていて、
その緊張感が、訪れる人を清々しい気持ちにさせてくれます。
例えば、古都のお寺やその庭、ヨーロッパの大聖堂など。
そういう場所は、むかしから多くの人の真心が還るところだから、歴史を経れば経るほど、精神的な度合いをつよく増していきます。
ところで、そうして自然に精神性を高めていった場所に良く似た特質を備えているのが、芸術を表現する場です。
コンサートホールや美術館は、たとえ建物がまだ出来立てほやほやの、貫禄などまだ持ち得ないものであろうと、
中で表現する人達の作り出す素晴らしい何かによって、一気に、居合わせた人々を、精神世界に気持ちよく導いてくれる非日常空間です。
空間は、常に人の「想い」によってつくられます。
ワタリウム美術館で今開催されている『empty garden 2』は、そんな風に、「空間」の持つちからについて、改めて考えさせてくれます。
決して広くない部屋に設置された展示『Falling Garden』(シュタイナー&レンツリンガー@スイス)。
天井から、無数の草花が舞い降り、そのまま空中で静止した、不思議な空間。
フロアに置かれたソファに横たわって、天井を見上げると、何もない空間を見ているより、
空間に散るオブジェたちに切り取られた空間の方が、存在感をもって目に飛び込んでくるのがまず新鮮な発見。
モノを置くことによって、空いたスペースをより広がったように認識させるという手法に、なるほどなあ、と感心ですが、
ここでコンセプトをちょっとだけお勉強することによって、その空間の味わい方はより深くなります。
とてつもない空白の場所、「グランド・ゼロ」から、作者の彼らが受けた印象が消化され、また外に出て行くとき、その表れのひとつが、これなのでした。
あのあまりに呆然とした気持ちが、この作品によってまた思い出されます。
もしくは、彼らの気持ちがそうだから、こちらにもそう伝わって来ているのかもしれません。
この作品を味わう上で、私の好みは、どっちかというと自分がソファに横たわって空間を見上げるより、
横たわった人と空間、をひとつの景色として傍から見ることです。
ポスターもそういう構図になっています。
当事者としてでなく、一歩下がったほうが、物事(この場合は、スペース感)はよりクリアに見えることが多々あります。
それをいっぺんに体験出来てしまうというわけ。
当事者にもなり、同時に第三者にもなれる、そんな疑似体験も楽しめることが、とても面白く感じられました。
実のところ、そういう楽しみ方をするのが、作者の意図したものかどうかはわかりませんが、素晴らしい作品は、いろんな解釈を可能にさせて、感じる楽しみを増やしてくれます。
また、展示の中で、これとはまったく趣を異にするのが、円空の彫った、木彫の仏像。
ざっくりした造りだし、とても小さいのですが、なぜか周りの空気を穏やかに、でも力強く満たしてくれています。
片や、包み込む空間、片や、広がらせる空間。
空間自体は、透明で目に見えるものではありませんが、感じることは出来ます。
音のない静けさを聴き、見えない空気を鑑賞する。
そんな贅沢を可能にしてくれる、素敵な場所でした。
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『エンプティ・ガーデン2展』は、会期中、1枚のチケットで何度でも鑑賞出来ます。
出展アーティストは他、クー・ジュンガ、イアン・ケア、トーマス・フレヒトナー。
この美術館のショップは、美しい書籍や、カード・便箋等が充実していて、プレゼントにも素敵。
ちょっとコーヒーを飲みに行く場所としても、静かでおしゃれでいいです。
どの駅からも、ちょっと遠いですけどね。
だから、混まなくていいのかな・・・。
お散歩コースとしてなかなかいいです(^-^)v♪
TB、感謝、感謝です。