日仏メディア交流協会によるシンポジウム。
空気が冴え冴えとした冬の夕方、出かけてきました。
写真は、会場である日仏学館のロビーです。京都・岡崎にあります。
第1部「新しい日仏関係」
・池村俊郎氏(読売新聞社)
・高橋麻彌氏(京都新聞社)
・中川謙氏(帝塚山学院大学教授・元朝日新聞社)
第2部「小説家、日仏の違い」
・ミュリエル・バルベリ氏(作家)
・リシャール・コラス氏(作家・シャネル日本法人社長・欧州ビジネス協会会長)
・大浦康介氏(京都大学教授)
時間の都合で、第2部から参加しました。
リシャール・コラス氏の小説はニュアンス豊かで繊細な描写が美しくて、以前からファンでした。
一度でいいからお目にかかってみたいとずっと思っていたので、ものすごくわくわくして出かけていきました。
バルベリ氏は、中世イタリアの美しい絵画から抜け出てきたような透明な美しさの輝く才媛。化粧っけのないつるんとした肌がつやつやと輝いて、綺麗です。才気が豊かに溢れる美しいフランス語を、慎ましくエレガントに話される様子にすっかりぽーっとなってしまった。
大浦教授は、外国語を文化ごと吸収した知識階級に特有の、許容範囲の広さをうかがわせる雰囲気を放っていらっしゃいました。
司会の磯村尚徳氏はアメリカやフランスに長年滞在されていた見識の広い方で、会を面白く進行してくださいました。
そしてそして!
これは個人的な興奮で申し訳ないですが、通訳は、かの菊池歌子先生でした。日本におけるフランス語教育の第一人者です。
かつてアテネ・フランセのサンテティック課程(←という、ほかに類を見ない最強スパルタクラスがあるのですが)で、幾度か授業を受ける恩恵に与りました。血も凍るようなびっしびしの授業、しかし学ぶ喜びを骨の髄まで味わわせてくれる貴重な授業でした。そのおかげで、出来損ないのわたしもなんとかそこそこまでフランス語が身についた当時でした。思いがけない再会、とても嬉しかったです。相変わらず美しい声と言葉、そして相変わらずお足元がフェミニンでお洒落でした。
考えてみれば、ここまで超・大物のゲストがいらっしゃるのだから、通訳さんも超・大物の方が呼ばれるに決まっているのだった。
とても素晴らしい場に参加できたことが、本当に嬉しかったです。
よく言われていることではありますが、よしもとばなな・村上龍・三島由紀夫・谷崎潤一郎などの仏訳が人気である一方、20年ほど前から、「マンガ」をとっかかりに日本に興味を持つフランス人の若者は急増してきたのだそうです。シャネル日本法人のトップとして、コラス社長は肌で時代の変化を実感しつつ、さらにご自身の見識を深められている様子でした。
違う文化同士が交流する場合、「理解」という問題は必ず浮上してきます。
印象的だったのは、コラス社長が力説した「理解」に対する姿勢は誠実で真摯なものでなければならない、というお話でした。
ベルギー人が日本の商社でいじめられるアメリー・ノトンの小説がフランスでヒットしたのは現地にいたときだったのでわたしも鮮明に記憶にありますが、
「外国文化を馬鹿にするのは簡単。悪いところを見つけてつつくのは簡単。」
とコラス社長は警鐘をならしました。
さらに、
「確かに日本文化が誤解を受けやすいところは否定しないが、それは日本人に『理解されたくない』という思いがあるからで、日本の意識も誤解を避ける努力が必要。日本は文化に対して鼻が高すぎる」(※開催場所が京都だったので、これはことに京都文化の一部を指して言われたのかもしれません)
という日本文化に通じていらっしゃる方ならではのご意見は、わたし達それぞれが今後ますます意識すべきものだと思います。
大浦教授は、パリを中心としたフランスの現代について「共存する力」という言葉で表現されました。
パリの街には、もはや「純粋なフランス文化」はない、と。
イスラム、アフリカの勢いがここまであるのか、という驚きは実際当地に行ってみないと体感が難しいところですが、たしかにわたしなどもそう思います。
いろんな文化を受け入れてパワーにし、さらに大きく育っているパリという街の方法をもっと見習う姿勢があってほしいというご意見でした。
コラス社長も、「外国人には賞を取って欲しくない」、スポーツ番組や文学賞においてこう堂々と発言する人間がいまだゴロゴロいますが、その姿勢はどうかと苦笑いしていました。「日本は、外国文化を吸収するが、その方法がおかしい。鎖国はそういった形でまだ続いている。」
夏目漱石は外国でうまく文化と溶け合えずうつ病になってしまったが、
「せっかく今いる場所、その場所の文化を吸収しよう」
という明るい姿勢は大切だとおっしゃっていました。
自ら視野を狭め、新しい変化を拒むその態度はもったいないことです。
ほんとにね。同感です。
「大衆の興味」について日仏の相違点をどのあたりに感じるか、
という磯村氏の問いかけには、
「バルベリ氏の古典的で教養溢れる文章の読者は200万人から300万人いる。それだけ知的レベルの高い文章を好んで読む人間が、これだけフランスにはいる。
(※フランスの人口は約6千万人、日本はその約2倍)
対して日本の本のベストセラーは、脳の使い方などHowto本、血液型・・・、これはいかがなものだろうか?」と大浦氏が肩をすくめるシーンも。
バルベリ氏本人は、
「自分の作品を最初出版社に送るにあたっては、わたしも意地悪な断りの返事をいくつかもらいました。『現代の好みに合わない』、そんな手紙もありました。
しかし、わたしは自分の書きたいものを書きました。」
と清清しい表情で語りました。
後世に残る本というのはこうして「譲らないオリジナリティ」が溢れるものが多い、と別のところでは聞きました。
彼女の本の確かな価値は、すっくとした誇り高い精神でできているところでしょう。
「文化の作り手」を、眩しく見つめました。
1時間半程のシンポジウムは、あっという間でした。
そのあとは懇親会。
大浦教授とお話しできて、楽しかったです。
コラス社長・バルベリ氏とももっとお話したかった・・・けれどもそれがくやしいことにかなわず、ちょっと意気消沈して帰途についたのでしたが、一夜明けてみると、明晰な・知性を愛するひとたちとこうして接することができたことに、多大な喜びをもらっていると気づきました。
精神に大きな窓をもち(=向上心)、それを存分に開けて陽光を取り入れることができること。
人間として大きな幸せです。あらためて噛みしめました。
空気が冴え冴えとした冬の夕方、出かけてきました。
写真は、会場である日仏学館のロビーです。京都・岡崎にあります。
第1部「新しい日仏関係」
・池村俊郎氏(読売新聞社)
・高橋麻彌氏(京都新聞社)
・中川謙氏(帝塚山学院大学教授・元朝日新聞社)
第2部「小説家、日仏の違い」
・ミュリエル・バルベリ氏(作家)
・リシャール・コラス氏(作家・シャネル日本法人社長・欧州ビジネス協会会長)
・大浦康介氏(京都大学教授)
時間の都合で、第2部から参加しました。
リシャール・コラス氏の小説はニュアンス豊かで繊細な描写が美しくて、以前からファンでした。
一度でいいからお目にかかってみたいとずっと思っていたので、ものすごくわくわくして出かけていきました。
バルベリ氏は、中世イタリアの美しい絵画から抜け出てきたような透明な美しさの輝く才媛。化粧っけのないつるんとした肌がつやつやと輝いて、綺麗です。才気が豊かに溢れる美しいフランス語を、慎ましくエレガントに話される様子にすっかりぽーっとなってしまった。
大浦教授は、外国語を文化ごと吸収した知識階級に特有の、許容範囲の広さをうかがわせる雰囲気を放っていらっしゃいました。
司会の磯村尚徳氏はアメリカやフランスに長年滞在されていた見識の広い方で、会を面白く進行してくださいました。
そしてそして!
これは個人的な興奮で申し訳ないですが、通訳は、かの菊池歌子先生でした。日本におけるフランス語教育の第一人者です。
かつてアテネ・フランセのサンテティック課程(←という、ほかに類を見ない最強スパルタクラスがあるのですが)で、幾度か授業を受ける恩恵に与りました。血も凍るようなびっしびしの授業、しかし学ぶ喜びを骨の髄まで味わわせてくれる貴重な授業でした。そのおかげで、出来損ないのわたしもなんとかそこそこまでフランス語が身についた当時でした。思いがけない再会、とても嬉しかったです。相変わらず美しい声と言葉、そして相変わらずお足元がフェミニンでお洒落でした。
考えてみれば、ここまで超・大物のゲストがいらっしゃるのだから、通訳さんも超・大物の方が呼ばれるに決まっているのだった。
とても素晴らしい場に参加できたことが、本当に嬉しかったです。
よく言われていることではありますが、よしもとばなな・村上龍・三島由紀夫・谷崎潤一郎などの仏訳が人気である一方、20年ほど前から、「マンガ」をとっかかりに日本に興味を持つフランス人の若者は急増してきたのだそうです。シャネル日本法人のトップとして、コラス社長は肌で時代の変化を実感しつつ、さらにご自身の見識を深められている様子でした。
違う文化同士が交流する場合、「理解」という問題は必ず浮上してきます。
印象的だったのは、コラス社長が力説した「理解」に対する姿勢は誠実で真摯なものでなければならない、というお話でした。
ベルギー人が日本の商社でいじめられるアメリー・ノトンの小説がフランスでヒットしたのは現地にいたときだったのでわたしも鮮明に記憶にありますが、
「外国文化を馬鹿にするのは簡単。悪いところを見つけてつつくのは簡単。」
とコラス社長は警鐘をならしました。
さらに、
「確かに日本文化が誤解を受けやすいところは否定しないが、それは日本人に『理解されたくない』という思いがあるからで、日本の意識も誤解を避ける努力が必要。日本は文化に対して鼻が高すぎる」(※開催場所が京都だったので、これはことに京都文化の一部を指して言われたのかもしれません)
という日本文化に通じていらっしゃる方ならではのご意見は、わたし達それぞれが今後ますます意識すべきものだと思います。
大浦教授は、パリを中心としたフランスの現代について「共存する力」という言葉で表現されました。
パリの街には、もはや「純粋なフランス文化」はない、と。
イスラム、アフリカの勢いがここまであるのか、という驚きは実際当地に行ってみないと体感が難しいところですが、たしかにわたしなどもそう思います。
いろんな文化を受け入れてパワーにし、さらに大きく育っているパリという街の方法をもっと見習う姿勢があってほしいというご意見でした。
コラス社長も、「外国人には賞を取って欲しくない」、スポーツ番組や文学賞においてこう堂々と発言する人間がいまだゴロゴロいますが、その姿勢はどうかと苦笑いしていました。「日本は、外国文化を吸収するが、その方法がおかしい。鎖国はそういった形でまだ続いている。」
夏目漱石は外国でうまく文化と溶け合えずうつ病になってしまったが、
「せっかく今いる場所、その場所の文化を吸収しよう」
という明るい姿勢は大切だとおっしゃっていました。
自ら視野を狭め、新しい変化を拒むその態度はもったいないことです。
ほんとにね。同感です。
「大衆の興味」について日仏の相違点をどのあたりに感じるか、
という磯村氏の問いかけには、
「バルベリ氏の古典的で教養溢れる文章の読者は200万人から300万人いる。それだけ知的レベルの高い文章を好んで読む人間が、これだけフランスにはいる。
(※フランスの人口は約6千万人、日本はその約2倍)
対して日本の本のベストセラーは、脳の使い方などHowto本、血液型・・・、これはいかがなものだろうか?」と大浦氏が肩をすくめるシーンも。
バルベリ氏本人は、
「自分の作品を最初出版社に送るにあたっては、わたしも意地悪な断りの返事をいくつかもらいました。『現代の好みに合わない』、そんな手紙もありました。
しかし、わたしは自分の書きたいものを書きました。」
と清清しい表情で語りました。
後世に残る本というのはこうして「譲らないオリジナリティ」が溢れるものが多い、と別のところでは聞きました。
彼女の本の確かな価値は、すっくとした誇り高い精神でできているところでしょう。
「文化の作り手」を、眩しく見つめました。
1時間半程のシンポジウムは、あっという間でした。
そのあとは懇親会。
大浦教授とお話しできて、楽しかったです。
コラス社長・バルベリ氏とももっとお話したかった・・・けれどもそれがくやしいことにかなわず、ちょっと意気消沈して帰途についたのでしたが、一夜明けてみると、明晰な・知性を愛するひとたちとこうして接することができたことに、多大な喜びをもらっていると気づきました。
精神に大きな窓をもち(=向上心)、それを存分に開けて陽光を取り入れることができること。
人間として大きな幸せです。あらためて噛みしめました。