Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

貢献とリズム。

2012-12-04 | vie... kurashi
里帰り出産と称して実家に帰省すること早2ヶ月半。
夫の仕事の関係から1月いっぱいまで滞在するので、都合4ヶ月以上お世話になる予定。
独身パラサイト時代は、なかなか嫁に行かないわ、家には帰ってくるだけで手伝いもろくにしないわ、で出来の悪い娘でしたので、
当然肩身狭く両親と暮らしていましたが、
いまは、母から料理や子育てのヒントなどを教わることが出来て嬉しい。
実家付近も、主婦視点からみると最高に暮らしやすいエリアで、なんだかなー独身時代のわたしのまなこは節穴だったわ。と感じずにはおれません。


自分以外の人間と暮らすというのは、血縁であってもそうでなくても、簡単なことではない、殊にわたしにとっては。
幼少時から、家族との暮らしの中で長いこと「自分はあまり共同生活に向いている方じゃないな~」という自覚があったので、一時期、独り暮らしという体験もしましたが、
基本が寂しがりだったみたいで、やっぱり、大変さがあっても人と暮らす温かみが好きでたまらないのだということを実感するここ数年です。


その中で、現在のように、
同じ人間たちと暮らすにしても、以前はうまくいかなかったが今はうまくいく、
ということの理由は何だろう、と考える。

結論として、それは【貢献】そして【リズム】に尽きるのではないかと思いました。


ひとは誰かがいる「だけ」では幸せを感じはせず、その相手から、望む形での【貢献】を得ることで、感謝や幸せを感じるものだと思う。
たびたび書いてることではありますが、「独り善がりでなく、その人がほんとに望むこと」をできるひとは、多くない。大概が、「これであの人は喜ぶに違いない」と思いこんで行動に移すことがほとんどだと思います。もちろんわたしもそうなんだけど。

だけどそもそも「現状把握」ってもの自体、実はこの世にありえないことなんじゃないかとたまに考える。自分が現実と認識していることと実際の現実って、いつも少しずつズレがあるんじゃないかと。

でもそれはさておき、
【貢献】、って、されてみると簡単なことなのだけど、なかなか、行動は易くない。
わたしは殊更に鈍感なので(その割に自分自身の不愉快には敏感という・・・、)相手が血を分けた両親といえども満足な貢献がなかなかできていないけれど、まあ、諦めずにできることからしていこうと、思っています。
それを続けてようやく自分自身の快適も手に入るものだと思う。


あと、それに含まれることかもしれませんが、ひとの暮らしの【リズム】を邪魔せずそこにうまく自分の時間割を組み込む柔軟さってすごく大事だと思います。
いい人なんだけどヒトとの縁がいまいち薄い、というタイプは、自身のリズムが確立されすぎていて他人との折り合いをつけるのが巧くない人かもしれない、と感じたりもする。
家の数だけ、そして社会的地位が安定し、年齢を重ねるほど、そこには生活の【リズム】が確固として存在する。

独身パラサイト時代のわたしは、家族のリズムを尊重してなかったなと今になって思います。
結婚して、夫と、苦労して(それはもう、苦労して)やっとオリジナルの生活リズムを作り上げて、初めて【リズム】って概念が手に入って、それを元に、実家の家族との暮らしに応用することができた・・・という、普通の人にはできることがやっと理解できたという遅咲きぶりです。

でも考えてみたらこれって広義にもいえて、社会のリズムに合わせられない人も、社会とうまく折り合いがついていないよね。


そういうわけで【貢献】と【リズム】、これを2012年の・・・だけといわず、
生涯のキーワード、テーマとして、反芻し続けようと思う。



photo...実家の父にお風呂にいれてもらう息子。

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